食生活に係わる焼き物の道具は、碗や皿をはじめとして現在でも私たちの身の回りにたくさんありますが、今回取り上げる甕(かめ)や壺(つぼ)などもかつての生活では欠かせないものでした。両者は同じような器で、一般に口が広く、胴体が下に向けてすぼまったものは甕、口が小さくて胴体が膨らんだものが壺と言われます。
甕の代表的なものが水甕です。最初の写真は、自然・歴史展示室内に復元した清兵衛新田の開拓農家の中にある水甕(民家の外に出して撮影)で、以前、井戸から手桶で水を汲み、水甕に運ぶのが日課だったことを紹介しました。この水甕も昭和23年(1948)頃に水道が引かれるまで使っていました(収集地・中央区清新)。
次の写真は中央区宮下本町から収集されたもので、これにラッキョウを漬けたり、その前は醤油(しょうゆ)を入れたりしていたとのことです。ただ、この形のものは焼酎(しょうちゅう)甕と言われることも多く、この家でも甕で焼酎を買って飲んでいたという話を聞いているそうです。
かつて梅干しは欠かせない漬物の一つで、屋敷には必ず梅の木があり、その梅の実を土用干しにして各家で梅干しが作られていました。次の写真の甕は梅干しを作る時に使用し、一~二升の梅とシソを入れて漬け込みました(中央区田名)。
壺は口が小さくて密閉性が高く、長期間の保存に適していました。次の写真は茶の葉を入れる茶壷で、お茶の木は宅地の境や道路の端にあり、その葉を摘んで自家製の茶を作りました。せっかく熱を加えてもんだ茶葉が湿気ないように、こうした壺に入れておきました(緑区橋本)。
最後に紹介するのは酒を入れた徳利(とっくり)です。酒は酒屋から買って飲み、買う時の容器として酒屋から徳利を借りることが多く、これを「通い徳利」と言います。写真は南区下溝で、これで酒を買いに行きましたが、もともとは酒屋が貸したものではないかとのことです。ちなみに徳利に書かれている「瀧(滝)沢」は、昭和の初め頃まで南区当麻で造り酒屋をやっていました。
これまで数回にわたり、竹・木・金属・土といった素材ごとの容器に注目して紹介してきました。もちろん博物館ではほかにも数多くの資料を保管しており、これからもさまざまな観点から紹介していきたいと思います。