昨年度に引き続き今年度も軍都さがみはら探訪を開催しました。今年は5/20、5/27の2回シリーズで、1回目が小田急相模原~相模大野周辺の旧日本陸軍施設の痕跡や現存文化財を、2回目が同じく陸軍が戦争終末期に造った八王子の浅川地下壕を見学しました。
1回目は小田急相模原を出発し、電信第一連隊跡(現米軍相模原住宅)、臨時東京第三陸軍病院跡(現国立病院機構相模原病院周辺)、通信学校跡(相模女子大学、谷口台小学校周辺)、相模原陸軍病院(相模大野中央公園、相模原中等教育学校周辺)を案内し、解説しました。
駅周辺や住宅街のあいだを抜けるコースで、歩道の幅が狭いような場所もありましたが、博物館ボランティアの市民学芸員さんの安全誘導もあり、無事に見学することができました。
また、相模女子大学内に多くの通信学校時代の文化財があることに皆さん感動していました。これまで貴重な遺産を大切に保存していただいた相模女子大学さんには感謝申し上げます。
2回目の浅川地下壕は高尾駅南口に集合後、「浅川地下壕の保存をすすめる会」の中田氏に案内・解説をしていただきました。浅川地下壕は陸軍の中島飛行機武蔵製作所の地下工場として使用された場所です。(武蔵製作所の空襲により浅川地下壕に移転)
途中地下壕の戦時中の写真や八王子空襲などの説明があり、いよいよ地下壕に入ります。地下壕の入口はなんと一般的な戸建て住宅敷地内の裏にあり(所有者の方が快く了解して入らせてくださるそうです)、そこからは懐中電灯がなければ歩けない完全な暗闇で、気温も約15度ほどです。(コウモリにも迎えられました〔笑〕)
地下壕の全長は4キロ以上で、碁盤の目状に掘られているとのことですが、そのような工事をわずか半年ほどで行ったそうです。現在見学できるのはその入口部周辺ですが、それでも、説明を受けながらまわると約1時間ほどで、終わるころには体が冷え冷えでした。
地下壕から出て、最後にまとめを行いました。相模原市内では大規模な空襲はありませんでしたが、もし相模陸軍造兵廠(現相模総合補給廠)などに大規模空襲があったら、同じような地下壕が近くに造られたかもしれません。
今回の軍都さがみはら探訪にも定員を超えるたくさんの応募があり、落選された方にも自由参加でオ小田急相模原~相模大野間の探訪だけ開催しました。市民の皆さんのこの時代への関心の高さが窺えました。今後も現在の相模原の発展の礎となっている軍都相模原にかかわる歴史を普及していきたいと思います。