遺跡の発掘調査をしていると、冗談まじりに「小判は出た~?」と聞かれることが、一度や二度ならずあります。残念ながら、今までの発掘調査経験で小判を発掘したことはありませんし、相模原市内で出土した事例もありません。ところが、博物館所蔵の資料に黄金に光り輝く“金”がありました!
この大きな金の山塊のような写真は、実は40倍の顕微鏡で撮ってみたものです。実際には1mm程の非常にごくごく小さな金の粒。
この金の粒が付いていたのは、戦国大名北条氏の支城である津久井城(相模原市緑区根小屋)で発掘された「かわらけ」という素焼きの土器でした。「かわらけ」は武家儀礼の宴で用いられる盃として使われる物ですが、縄文土器と同じように素焼きの土器は熱に強い。そのため、金属を溶かす時に用いられる容器=坩堝(るつぼ)として転用されていたようで、金属が溶けた溶融物が付着しているのがわかります。
この金粒付着かわらけが出土した場所が、また注目されます。これは津久井城主の内藤氏が屋敷を構えていた伝承の地「御屋敷跡」から出土しています。御屋敷跡から出土したかわらけ転用の坩堝は、破片資料ばかりですが12点見つかっています。顕微鏡で観察したところ、半数もの坩堝から金粒が見つかりました。ほぼ完形の坩堝には、溶けて冷却されて固まった玉状の金を剥ぎ取ったような跡も見られます。
戦国時代の金といえば、甲斐武田氏の甲州金が有名だと思います。様々な研究が今現在も進められています。一方、伊豆の土肥金山などを抱えていた北条氏の金生産は、ほとんどよくわかっていません。その意味では、津久井城発見の小さな小さな金粒は、歴史解明に大きな可能性を秘めているといえるのではないでしょうか。
そんなお話を、津久井城跡の発掘調査ボランティアの講習会で先日お話ししてみました。