津久井城のある県立津久井湖城山公園の畑に植えられたエゴマも、小さな白い花は枯れ、黒い実がこぼれ落ちそうになっていました。もう収穫の時期です。
エゴマは古代から「荏子」、「荏油」などと呼ばれ、明かりを灯す灯明皿の灯油などにも使われています。戦国時代の津久井城からも、素焼きの器「かわらけ」を用いた灯明皿が多く出土しており、エゴマの油が利用されていたのかもしれません。
秋の深まりが感じられる津久井城で、今年も7日から発掘調査が始まりました。この調査は、市民調査員といっしょに津久井城の歴史的価値を確認するための調査で、今年でもう連続9年目になります。昨年度に引き続き、公園内の「里山広場」という平場(曲輪 くるわ)での調査です。午前中に調査区の設定をし、午後から掘り始めました。
近現代の耕作土などの表土層は、小さな重機で掘っています。掘り進めていくと、地表から80cm程の深さで土が変わってきました。地層の違いです。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、棒を刺した掘削面の土の色が少し明るくなり、しまって地層に変わってきました。その地層面をよく見ると、一部に真っ黒な部分が現れてきました。
この黒いものは、とても細かな砂粒のような集まりで、いわゆる「宝永火山灰」です。宝永火山灰は江戸時代の宝永4年(1707年)に富士山の噴火で降り注いで堆積したものです。火山灰といっても、スコリアと呼ぶ細かい火山の噴出物で、江戸の人々も「砂降り」などといったように、まさに砂のような感じです。
調査初日で、まずは18世紀初頭の江戸時代の地層が確認できました。この下に、目的とする戦国時代の痕跡が眠っていると信じ、調査を進めていきたいと思います。調査は11月末までの予定です。逐次ブログで速報していきますので、乞うご期待!