津久井城の庭園跡周辺の発掘調査も2週間が過ぎ、今回の調査区の全体像が見えてきました。
調査区を掘り下げていくと、砂利が敷かれた遺構が広がります。土をかき出して砂利敷き遺構をきれいに出すのに、細かい根気のいる発掘作業となりました。しゃがんだ姿勢での調査は、市民調査員の皆さんもだいぶ腰に悲鳴が・・・。
残り具合はそれほど良くはありませんが、縁石で囲われた砂利敷き遺構も検出されています。津久井城の中でもつくりが丁寧で、戦国の世に安らぎを与える特別な空間だったのかなと思いながら、私たちも丁寧に遺構を掘り出しています。
遺構面からは戦国時代の遺物もパラパラと出土しています。いずれも破片資料ですが、素焼きのかわらけ、擂鉢のほか、より高価な中国の染付である青花(せいか)も出土しています。
全体が真っ白よりやや灰色がかり、淡い青色の呉須(ごす)で線描きされた磁器で、中国福建省南部で明時代に作られた漳州窯(しょうしゅうよう)の碗製品とみられます。
津久井城主内藤氏の居館跡とされる御屋敷曲輪(くるわ)でも出土しています。本城である小田原城など北条領国に特徴的に入ってくる貿易陶磁器で、戦国時代末の天正年間(1573~1592年)とされている資料です。この庭園空間が、北条氏が最も熟した頃に作られたものであり、市民調査員の皆さんは、「ここに姫がいたんじゃないか」などと思い思いに妄想を膨らませて調査に励んでいます。
※11月24日(日)午前10時~午後2時に現地での説明会を開催します(小雨決行・荒天中止)。場所は県立津久井湖城山公園里山広場。