「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.5・養蚕①)

市内の農業は、畑での麦やサツマイモ作りなどとともに養蚕が重要であり、特に蚕が作った繭や生糸(絹)を売った収入は家計の中心と言えるものでした。

 これまで紹介してきた「文化財記録映画」でも養蚕や糸取り・機織りを扱っており、今回紹介するのは、昭和58年(1983)製作の第二作目「さがみはらの養蚕」の際に撮影されたものです(そのため今回もモノクロ写真が中心です)。

 当時はかなり少なくなっていたとはいえ、まだ自宅で養蚕を行っている家があり、映画はそうした一軒であった南区大沼の方にお願いして撮影されました。ただし、すでに実際には行われていない古い作業の様子も含まれています。

 養蚕は、春蚕(ハルゴ)という春の時期に蚕を飼うものが5月の節供頃から始まり、少し前の4月下旬には養蚕に使う道具を洗います。川で洗ったという話がよく聞かれますが、ここでは近くに川がないので屋敷で洗っています。
              

 蚕を飼う場所は、人間が普段生活する住まいを使うことが普通でした。そのため部屋の畳を上げ、蚕を竹などを平らに編んだエガあるいはエビラと呼ぶカゴに乗せて飼うため、そのカゴを入れる棚を作ります。棚は部屋一杯に立てるのではなく、一部屋に2か所にして間を通路や作業場所とします。
               

 養蚕は時代によっても異なり、年に数回、春から秋にかけて蚕を飼いましたが、冬の間には作業がなかったかというとそんなことはなく、蚕に繭を作らせるマブシという藁製の道具をたくさん作って翌年の養蚕に備えました。写真は改良マブシを作っているところです。
              

 蚕はどんどん桑の葉を食べ、特に蚕が成長すると桑葉を畑に取りに行くのが大変でした。春に飼う蚕と秋の蚕では葉の取り方が違い、春蚕では枝ごと伐ってもそこからすぐに次の枝が出てくるので枝ごと伐っても大丈夫で、家で枝から葉を取ります。
              

 これに対して、秋の養蚕では畑で一葉ずつ桑を摘み、首から下げた桑摘みビクに入れていきます。
              

 桑葉は、蚕が大きくなるとそのまま与えましたが、小さいうちは細かく切る必要があり、包丁で切ったりしましたが、のちには桑切り用の機械を使うようになりました。桑葉を取りに行くことと並んで、蚕に桑を与える作業も大変なものの一つでした。
              

 今回は養蚕の第一回目として、養蚕の諸準備や桑を取り上げました。「養蚕」と一口に言っても、さまざまな作業が必要であったことがわかります。映画では、蚕の成長に応じた作業の流れだけでなく、こうした関連する内容も撮影されています。

 ※文化財記録映画は、博物館でビデオテープの視聴が、また視聴覚ライブラリーでDVDでの視聴・貸し出しができます(現在、休館中)。

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