養蚕は一年に3~4回程度行われ(後にはさらに多くなります)、最初が5月上旬~6月上旬で、その後、7月下旬~8月中旬、8月下旬~9月下旬と続きました。このうち春の蚕の規模が一番大きく、現金収入の中心でした。
養蚕は、蚕の種(卵)を羽根で掃き下ろすハキタテの作業から始まります。春蚕は五月節供頃に「柿の葉が大きくなって、柿の木に止まったスズメが隠れて見えなくなるとハキタテの旬」と言ったりしました。写真では、前回も紹介したエガあるいはエビラという平らなカゴの上に紙を敷き、蚕の種を掃き下ろしています。この時の蚕は非常に小さく「ケゴ」と言います。
こうしたケゴも桑葉を食べて次第に大きくなり、農家は桑を与えたり、蚕の糞を掃除したりで忙しくなっていきます。前の写真と比べると、桑の葉がずいぶん大きいのがわかります。ハキタテから約10日ほどたった時の様子です。
部屋に作った棚の間で作業をしているところですが、棚にも多くの蚕が乗ったカゴが見えます。最初はわずかなカゴに掃き立てた蚕も、蚕の成長に応じて増やしていき、たくさんのカゴが必要となりました。
蚕は成長の途中で桑を食べなくなる時が四回あり、その時に脱皮して大きくなります。そして、五回目に蚕は口から糸を吐き出して繭を作ります。写真は繭を作る直前の蚕で、上側を向くのが繭を作る合図です。
蚕も生き物であり、繭を作りだす時期がそれぞれ違います。蚕の様子を見極めて先に繭を作る状態になった蚕を拾い、繭を作る場所に運びます。広い場所が必要で、住宅の一階で蚕を飼い、二階を繭を作らせる場所とすることがよくありました。
蚕に繭を作らせる道具をマブシといい、より使いやすいものを求めて時代によって変化していきました。映画ではその移り変わりを追っており、古くはいろいろなものが見られたようですが、これはハガチマブシという、ムカデ(ハガチ)の形に似ているところから付けられたものです。
昭和初め頃まで使われていたのがシマダマブシで、自家で藁を折って作りましたが一回しか使えず、また、蚕が繭を作る際に藁に押されて跡がついてしまうという欠点がありました。これだけカラー写真があったシマダマブシと、繭を取っているところです。
シマダマブシの後に一般的になったのが改良マブシです。藁の跡が少ない上に、使い捨てではない利点があります。これも前回紹介したように、各家で冬場の藁仕事に作りました。このマブシも繭を一つずつ外していきます。
その後、第二次世界大戦頃から普及したのがボール紙製の回転マブシで、ごく近年まで使われていました。繭を作る状態になった蚕は上に昇っていくため、一つ一つの空いた空間に一匹の蚕が入ります。また、何回も使えるとともに、折り畳みできるために繭を取り出すのも簡単になりました。
写真は、蚕を下に撒いて回転マブシに昇らせようとしている様子と、回転マブシからマユカキといって繭を取り外しているところ、併せて、平成22年(2010)に緑区上九沢で行われた養蚕での回転マブシで、たくさんの回転マブシが使われているのがわかります。
ちなみに、平成22年は、神奈川県で最後まで養蚕を行っていた12軒(うち4軒は相模原市内)が養蚕を終了し、県内から産業としての養蚕がなくなった年です。
今回は、文化財記録映画の際に撮影した写真を中心に掲載しましたが、これまで撮影してきた写真には養蚕に関わるものも多くあり、今後もいろいろな内容を紹介していきたいと思います。