「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.7・一番古い写真は?)

これまで今の時期の春先の行事や農作業などを紹介してきましたが、もちろん撮影された写真はそうした内容に限りません。

 博物館の建設準備が本格的に始まったのは、今から39年前の昭和56年(1981)です。それでは写真がいつから残されているかというと、翌年の昭和57年(1982)1月6日の中央区・田名八幡宮での的祭(まとまち)がもっとも古いものです。

 この祭りは、境内に作られた大きな的に四名の男の子が矢を射て、その当たり具合で吉凶を占うもので、起源は鎌倉時代とか元禄時代に始まったとする説もあります。相模原市を代表する民俗行事として、市指定無形民俗文化財に指定されています。
 後には行事全体の準備から実施に至る調査も行われましたが、この時は当日の的や子どもが矢を射る様子が撮影されています。

 次に古いのは、中央区上溝の田尻地区で行われた初午(はつうま)の稲荷講で、昭和57年(1982)2月10日の撮影です。市内では各地で稲荷社が祀られており、その祭りとして2月初めの午(うま)の日に、稲荷にお供え物をするほか、近所や親戚同士が集まり、稲荷講をすることが広く行われました。当時は、まだ各地で初午の行事や稲荷講が見られ、別の地区の写真も残っています。

 写真は、竹筒に入れたお神酒のほか、赤飯やメザシ・油揚げなどが稲荷にお供えされています。撮影の際には何が供えられているかにも注意します。

 職員ブログ「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」の第1回目として、中央区淵野辺本町での醤油搾り(昭和58年3月5日)を紹介しましたが、写真の入力作業も継続中です。大量の写真のうち、古い時期のカラースライドから始めており、現在はモノクロ(白黒)写真に取り掛かっています。
 
 この醤油搾りは、昭和58年(1983)4月6日に南区下溝で行われたもので、やはり古い時期の撮影の一つです。先の初午のように、同じ行事や作業でも地区によって違いがあるため、なるべく多くの写真を撮影するようにしてきました。
 もしかすると、さらに古い時の写真が見つかるかもしれません。

 今後ともいろいろな話題に基づきながら、さまざま写真を紹介していきたいと思います。

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