「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.8・オシャモジサマ)

地域の中を歩いていると、神社や寺院をはじめ、いろいろな祠(ほこら)や堂があるのに気が付きます。今回紹介するのはオシャモジサマと呼ばれるものです。

南区当麻には、オシャモジ・オシャクシなどと呼ばれる石の祠が祀られています。地域の区画整理で場所が移動していますが、江戸時代に水田の測量をした際に使った縄を埋めたところを祀ったものとされています。咳(せき)や疱瘡(ほうそう)の神で、お供えしてある杓文字(しゃもじ)でご飯をよそって食べると咳が治り、治ると新しい杓文字を供えたと言います。写真は、平成14年(2002)2月の撮影で、新しい杓文字が供えられているのが分かります。

南区上鶴間には、「石上社」と書かれた祠があり、オシャモジサマと言われています。風邪をひいた時などにお茶を上げるとよくなるといい、やはり病気が治ると新しい杓文字を買ってきて奉納しました(平成13年[2001]5月撮影)。

以上の二つは祠ですが、緑区上九沢には、オシャモジサマとされる石仏があります。子どもの神様で、病気になったら杓文字を借りてご飯を盛り、病気が治るまでは毎日お参りして杓文字を使い、治ったら新しいものをお供えしました。かつては大量の杓文字が供えられていたと言います(平成12年[2000]6月撮影)。

オシャモジサマは、もちろん相模原だけではなく各地にあります。例えば、平成21年(2009)1月撮影の横浜市港北区の八杉神社境内にある羽黒大明神には、扉の上に杓文字が並べられています。博物館で実施した市内を中心とした各地のフィールドワーク講座として訪れた際に、たまたま発見しました。

 

そして、祠などではなく、普通の住宅にも杓文字が見られることもありました。写真は昭和59年(1984)5月に南区下溝の個人宅の玄関の上に打ち付けられていたもので、昭和5年(1930)に、この家の長男の百日咳(ひゃくにちぜき。子どもの急性伝染病で、特有の咳発作がある)避けのまじないとして付けたということです。

 

オシャモジサマと呼ばれる神をまつり、あるいは杓文字を供えたりそれを使ったりする風習は各地にあり、その学問的な理由もいろいろな説があります。いずれにしても、こうしたさまざまな伝承は興味深く、地域の歴史や文化を考える上でも重要なものと言えるでしょう。

 

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