前回は、麦の刈り取りと脱穀の写真を取り上げましたが、いずれも昭和62年(1987)度制作の文化財記録映画「相模原の畑作」の際に撮影したものでした。映画では文化財記録映画という性格上、「相模原の畑作」に限らず、ほかの作品でもすでに行われていなかったものを含めて再現していただいており、現在では貴重な記録となっています。
一方で、博物館が保管する写真には、実際にわずかながらも行われていた作業などもあり、今回は麦に限らず、稲や大豆の脱穀作業の様子を撮影した写真を紹介します。
次の三枚の写真は、昭和59年(1984)11月に南区新戸で撮影されたもので、水稲の脱穀です。一枚目では、センバ(市内南部では稲こきマンガとも呼ばれる)で稲をこいでいますが、実は当時でも、ほとんどセンバを使うことはありませんでした。 ただ、この方は、翌年の種籾に使うものだけは傷がつかないように、機械ではなくセンバを使っていました。
そして、センバで脱穀した籾をフルイにかけ、トウミでゴミを飛ばします。
次の二枚の写真は、昭和60年(1985)年11月・南区下溝の撮影で、大豆の収穫です。ここでは大豆をクルリボウで叩き、トウミにかけて実とゴミを選別しています。
前回の麦の「ぼうち」作業では、大勢でクルリボウを使っていましたが、麦の脱穀でも必ず大勢でやるということではなく、また、大豆などそれほど量が多くないものは、個人で叩きました。
トウミを使っている写真では、下側の口から大豆が出て、トウミの先からゴミが飛んでいる様子が分かります。
最初の写真で、すでにセンバが使われていなかったことを記しましたが、実際に使われていたのは動力脱穀機です(昭和59年10月・南区新戸)。米や麦の脱穀作業では、センバの後に足踏みの脱穀機が導入され、さらにその後、動力脱穀機へ代わっていくものの、残念ながら今のところ、農作業で足踏み脱穀機を使っている写真は保管していません。
二枚目の写真は、平成10年(1998)11月8日に中央区の淵野辺公園で行われた「農業まつり」での足踏み脱穀機の体験の一コマで、会場ではほかにセンバやトウミの体験なども行われました。
たびたび記しているように、博物館では多くの写真を撮影しています。これからもさまざまなテーマの基に、また、いろいろと関連付けて紹介していきたいと思います。