レールは箱根 江の島へ 南の玄関相模大野
かるたに描かれた小田急線の前身である小田原急行鉄道が新宿~小田原間で開通したのは1927(昭和2)年で、その後、分岐した江ノ島線が1929(昭和4)年に開通します。その当時、相模大野駅はまだなく、前身となる通信学校駅が設置されたのが、1938(昭和13)年のことでした。当時の駅周辺には畑や山林が広がっており、駅の利用者は主に近くに建設された陸軍通信学校(現相模女子大学等)や相模原陸軍病院(現グリーンホール相模大野・相模大野中央公園等)の通勤、通学、通院者でした。
当時の村名「大野村」にちなみ駅名が「相模大野」と改められたのは1941(昭和16)年で、周辺の地名も1981(昭和56)年の住居表示の実施によって駅名と同じ「相模大野」となりました。戦後における相模大野の商業地化は目覚ましく、1959(昭和34)年に建設された公団相模大野団地の建設をきっかけに急速に人口が急増し、駅周辺の区画整理事業に加え、1981(昭和56)年の米軍医療センター(旧相模原陸軍病院)の返還によって、商業ビルや高層住宅が立ち並ぶ街へと大きく変貌しました。
平成に入ると市内初の百貨店が進出し、駅には14階建ての駅ビルが建ちました。さらに2013(平成25)年にはショッピングモールや大規模な都市型住宅を含む大型複合施設が駅西側に完成するなどして、市の南の玄関として現在も発展を続けています。
通信学校の駅の設置からおよそ80年を経過し、駅周辺の景観はすっかり変わってしまいましたが、今も残る相模女子大学の正門や両方向にのびる石垣などは、陸軍通信学校建設当初のものであり、通信学校駅時代の面影をひっそりと残しています。
*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館にて貸出し可能です(現在、貸出しは休止中です。)
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