たくさん保管している写真の中には、一見すると何を撮影したのか(どうして撮ったのか)不思議に思うものもあります。
下の写真は平成17年(2005)5月・南区上鶴間本町の撮影で、地域の氏神である長嶋神社の境内にある八坂神社と、そこに置かれていたキュウリです。
八坂神社は京都が有名ですが、江戸時代までは祇園(ぎおん)社と称し、祭神は牛頭天王(ごずてんのう)でした。また、八坂神社祭礼として有名な祇園祭は、祭神の名から天王祭やオテンノウサマとも呼ばれ、全国各地にある八坂神社でも夏場を代表する祭りとして、神輿や山車等が出て華やかに行われます。写真は昭和62年(1987)7月19日・中央区田名で、神輿が担がれて来る様子です(当日は雨だったようです)。
実はキュウリは天王祭と深く関わっており、祭りにおいて、初もののキュウリを天王の神に供えてから川に流すとか、輪切りにしたキュウリの断面が祇園の紋に似ていることから、天王祭の前にはキュウリを食べない、あるいはキュウリそのものを作ったり食べないとする土地も見られます。おそらく二番目の写真のキュウリも、その年に初めて穫れたものが八坂神社にお供えされたと思われます。
ちなみに博物館が保管する市内の天王祭に関する写真でもっとも古いのは、昭和60年(1985)7月1日・中央区上溝での「シメ張り」です。
前の田名の写真でも神輿が来る前側にしめ縄が写されていますが、天王祭では、祭り月の7月1日に、各地区ごとに悪い病気などが入ってこないように自治会館や自治会境にあたる道路の両側に高く竹を立て、しめ縄を張ることが行われます。次の写真では、竹を伐り出し、しめの紙を取り付け、自治会館前及び、集落境の道に竹を立てています。
今回取り上げたもの以外の天王祭の写真については、別の機会に紹介したいと思います。
なお、市内の天王祭でも上溝は有名な場所の一つですが、この職員ブログの「「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介⑧・㋠上溝夏祭り」や、同じくHP内にある「博物館の窓」の「民俗の窓」では、上溝地区をはじめとして、市内各地の天王祭について紹介しています。