「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No35・炭焼きの窯作り)

 今回紹介する写真は、昭和61年度文化財記録映画「相模原の炭焼き」に関わるもので、いずれも昭和61年(1986)12月~62年1月の南区東大沼での撮影です。

 市内では、山間部に位置する津久井地域はもちろん、相模原地区でも江戸時代から炭焼きを行っていた記録が残り、特に盛んだったと言われるのが大沼地区で、相当量の炭を焼き、昭和40年(1965)前後までは行われていました。

 映画では、炭焼き窯(かま)を作るところから、その窯を使って実際に炭を焼くまでが記録されました。ちなみに映画で撮影の中心となられた方は、実に33年ぶりに窯を作られたとのことでした。

 窯作りは、窯の大きさにあわせて土を掘ることから始まります。大沼をはじめ相模原地区で焼かれた炭は窯を密閉して消火する黒炭(くろずみ)で、石を組む窯ではなく土を固めたドガマで焼きます。白炭に比べて柔らかく、点火しやすい炭です。

 そして、土を掘った穴にカタマキと呼ばれる槙(まき)を並べていきます。このカタマキは二段積みます。

 次の写真は、手作りの杵(きね)で粘土(ねんど)を搗いているところです。カタマキを積んだところをゴザで縛って固定し、粘土をのせて叩いています。この作業の際に唄われたのが「土窯搗き唄(どがまつきうた)」です。

 この後は窯の乾燥で、落ち葉や枯れ木を窯の上で燃やします。一週間は乾燥させる必要がありました。

 乾燥が終わった窯の様子です。ドガマは地面を掘るので、炭の材料の木を入れる口が地面より下になります。また、窯の天井部分の保護のため、小屋を作りました。

 この時には、ドガマの完成まで正月を挟んで約一か月かかり、撮影のため炭焼きが二回行われました。次回は、「相模原の炭焼き」の炭を焼いている様子を取り上げます。

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