正月も二週目には通常の生活になっていきますが、正月15日を中心とした数日は小正月と呼ばれ、さまざまな行事が見られました。前回取り上げたアワボヒエボなどもそのうちの一つで、五穀豊穣を願って行われました。
そして、養蚕が盛んであった市内では、やはり今年も繭がよくできるように、各家で13日に蚕が作る繭に見立てた団子を木の枝にたくさん付けた繭玉団子を飾りました。これは博物館の建設準備が始まった頃でも旧家では比較的行われており、博物館の開館後も含めて多くの写真を撮影させていただきました。
今回は、そうした各家の繭玉団子飾りの写真をなるべく多く紹介します。掲載は撮影日の古い順です。
最初の写真は南区東大沼で、団子とともにミカンも枝に飾られています。向かって右側には14日に行われることが多かった団子焼き(どんど焼き)で焼くために、木の枝につけた団子も見えます(昭和60年[1985]1月14日)。
緑区相原の撮影で、前回のアワボヒエボを撮影させていただいた同じ家です。団子飾りの前に重ね餅が置かれていますが、13日には餅もつきました。また、繭玉を飾った木を石臼の穴に挿して立たせているのが分かります(昭和60年[1985]1月14日)。
この写真では団子を木に飾るほかに桶にも盛り上げるようにしています。さらに、団子焼きで焼く団子以外に、団子飾りの上側にも短い枝に付けた団子があり、これは年神棚を吊るす場所に飾ったものです(南区下溝・昭和63年[1988]1月15日)。
緑区大島で、やはり石臼を台にして床の間の前に飾っています((平成2年1990]1月・文化財記録映画『続・相模原の年中行事』での撮影)。
13日に繭玉飾りを作り、14日には御飯などをお供えします。上の写真は南区当麻で、白飯とケンチン汁が供えられています。翌日の15日朝には小豆粥を作りました(平成20年[2008]1月14日)。
それに対して、緑区根小屋のこの家では14日の朝に小豆粥を作って供えていました。また、ミカンを一緒に飾ると、汚れた繭ができてしまうとして決して付けなかったと言います(平成22年[2010]1月14日)。
緑区与瀬の撮影で、枝には団子のほかミカンを挿し、台もビールケースの下に石臼が見えています。団子飾りの右側に女神が描かれた掛け軸がありますが、繭がよくできるようにとの行事のため、こうした蚕神の掛け軸などを飾ることは各地で見られました(平成23年[2011]1月8日。団子焼きがこの日になり、繭玉飾りも合わせて作られました)。
最後の写真は緑区青野原で、地元の自治会館内に飾られたものです。個人の家で見られることがさすがになくなり、繭玉団子のかつての様子をしのび、伝えることを目的に団子焼きの行われる当日に自治会で作ったものです(平成23年[2011]1月14日)。
以上、各地の繭玉団子飾りを紹介しましたが繭玉団子は多くの写真を撮影しており、次回も引き続き取り上げてみたいと思います。