「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No43・繭玉団子飾り②)

前回に引き続き、養蚕祈願として小正月に各家で作られていた繭玉団子飾りを紹介します。

 最初の写真は、前回の記事の三枚目の写真と同じもので、南区下溝で昭和63年[1988]1月15日の撮影です。木に紐のようなものが掛けられていますが、これは蚕に繭を作らせるためのマブシを麻(あさ)で表したもので、繭玉団子がマブシにたくさんの繭ができた様子を示しています。

                         

 次の写真は右側に飾られていた掛軸で、女性が養蚕をしているところのほか女神の養蚕神が描かれています。こうした蚕神の掛軸等を一緒に飾ることは各家で見られました。

                          

 団子(うるち米の粉を丸める)は、繭玉飾りを木に飾るほかにも家内の神仏に供え、さらに、ドンド焼きで焼く分を含めてたくさん作られました。この下溝のお宅では、撮影時には五升の粉を使い、以前は倍くらいの量だったと言います。

                          

 そして、撮影時には丸い団子がほとんどでしたが、養蚕が盛んだった当時は今年も繭がよくできるように繭の形や、この家では里芋の形を作ることもありました。この写真はお願いして作っていただいたもので、左は里芋、真ん中は繭形です。

                          

 この小正月の団子は、その年に作ろうとする作物の豊作祈願をするもので、場所が違うとさまざまな形がありました。次の写真は秦野市堀山下で、丸いものに混じって大根や、イチゴ・ミカンなどの団子が見られ、さらに中に小銭を入れた大入り袋も飾られています。秦野でタバコ作りが盛んだった時にはタバコの葉なども盛んに作られました(平成15年[2003]1月14日)。

                                     

 さらに次の写真は大磯町大磯での撮影で、下の方に魚が見えています。農作物に限らず、漁師の家ではその年の大漁を祈りました(写真は魚屋のもの。昭和61年[1986]1月14日)

                          

団子は、14日に行われることが多かった「ドンド焼き」(団子焼き・セイトバライともいう)で焼いて食べます。この団子を食べると風邪をひかないということは、今でもほとんどすべての場所で聞くことができます。写真では、ドンド焼きの火で枝に刺した団子を焼いており、南区当麻・昭和62年(1987)1月14日です。ドンド焼きも多くの地区で撮影させていただいており、保管する中でもっとも古いドンド焼きの写真です。

                          

 最後に、ドンド焼きで焼いた団子を他の家と取り換えるトッケエ団子というのがあり、前年に繭がよくできた家の団子と取り換えるとよいと言われました。養蚕が全くなくなった現在ではほとんど行われていないものの、南区古淵では近年でも見かけることがあります(平成24年[2012]1月14日)。

                          

 これまで数回にわたり正月の写真を取り上げてきましたが、このほかにも2月にかけての行事の写真があります。次回からもう少しそのような写真を紹介したいと思います。

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