「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No45・節分)

 節分は年越とか年取りの日と言われ、立春前日の暦の上でも重要な日です。通常は2月3日の節分が今年は124年ぶりに2日になるということで話題になっていますが、市内でも各家の年中行事として盛んに行われていました。
 
 文化財記録映画第9作目「続・相模原の年中行事」では、第二次世界大戦以前の南区東大沼の節分の様子を再現して撮影しています(平成2年[1990]2月撮影)。

 節分というと思い浮かぶのが豆まきです。囲炉裏(いろり)の火で炒(い)ったものを撒くのですが、大沼では、まず地区の氏神や稲荷社などに豆を撒いて歩き、その後、家に戻って家中の豆まきをしていました。写真は、豆を炒っているところと家の神棚への豆まきです。

                         

                         

 豆を炒る時には、ヤッカガシといってイワシの頭をマメガラ(豆を取った後の枝)に刺したものに、「ヤッカガシ、ヤッカガシ、よろずの虫の口を焼く」と唱えてツバを吐き掛け、火であぶりました。なお、マメガラではなくヒイラギの枝にイワシの頭を刺す地域や家もありました。
 写真では、ヤッカガシにツバを吐き掛け、二枚目の写真では豆を炒っている鍋の下にイワシの頭が見えています。

                         

                         

 ヤッカガシは作物の虫よけや魔よけ・病気よけのためとされ、玄関や物置の入り口など、いろいろなところにおきました。写真は玄関にさしているところです。

                         

 以上はすべて文化財記録映画での撮影ですが、ヤッカガシは各地で見かけることがあり、次の写真は緑区相原です。この家では、それまでの何年にも及ぶ多くのヤッカガシが玄関の軒下にさされていました。

                         

                         

 節分では、豆まきの唱え事(「鬼は外、福は内」等)や、撒いた豆を年齢の数だけ食べるなどの、現在でも多くの人が知っているもののほかに、その年に初めて雷が鳴った際に、とっておいた豆を撒くとか食べるという言い伝えもありました。
 その一方で、近年では太巻き寿司(恵方[えほう]巻き)を食べるなど新たな要素も加わっており、今後の展開が注目されます。

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