「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No46・初午)

初午(はつうま)は2月に入って初めての午の日で、今年は立春と同じ日の2月3日でした。その年によって、立春の前に午の日が来ることもありますが、その年は火事が多いとして、初午ではなく立春後の二の午(二回目の午の日)に行事を行いました。

初午はお稲荷さんを祀る日で、稲荷社は個人の家の屋敷神をはじめ、複数の家々で共同で祀ったり、また集落全体の神として、非常に多くの祠を見かけることができます。

初午の行事には幟(のぼり)を立てることが行われ、以前は幟を目当てに歩くと稲荷社を見つけることができました。行事自体は初午の日ですが、幟は2月1日に立てられることも多く、写真は昭和63年(1988)2月1日・南区当麻です。

次の3枚の写真は、中央区上矢部で昭和62年(1987)2月14日に撮影したものです、個人の家の屋敷にある稲荷にお参りしています。

二枚目の写真では、左側に竹筒に入れた酒があるほか、団子や小豆飯・メザシ・油揚げなどが供えられ、団子や小豆飯などは稲わらで作った藁苞(わらづと)に入れられています。初午の供え物は、藁苞に入れることがよく見られます。

そして、お供えしたものをおろして、集まっている近所の人たちと食べてひと時を過ごしました。

複数の家で稲荷を祀る場合には、初午に各地で稲荷講として宿(やど)に集まり、稲荷を祀ることも行われました。写真は緑区相原での稲荷講で、宿の家の床の間に稲荷の掛け軸を飾って供え物をし、講のメンバーが集まって飲食をしました(文化財記録映画第9作目「続・相模原の年中行事」・平成2年[1990]2月撮影)。

稲荷社は常設の祠のほかに、臨時の祠のようなものを作る例がポツポツあり、最後の写真は南区当麻で、初午に際して稲荷社の脇に竹を柱にして、それに杉の枝の屋根をのせたお仮屋を作っています。

また、後ろから一本の竹を斜めに差し掛け、竹の先端に杉の枝葉を丸めたものを縄で吊り下げています。これは鯛釣り(タイツリ)と呼ばれており、他ではほとんど見ない、珍しいものとされています(平成22年(2010)2月)

江戸には稲荷社が多かったことも知られており、稲荷を祀る日として初午が盛んに行われてきました。そして、農家では農業、商家では商売繁盛、漁村では豊漁の神など、その信仰は地域の生活と密着しており、特に養蚕が盛んだった市内では、稲荷に繭の豊作を祈りました。市内には養蚕の神としての稲荷社があり、今後、紹介していきたいと思います。

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