「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No47・藁仕事)

 節分や初午、職員ブログNo.37で紹介したヨウカゾウが終了すると、2月には特に目立った行事はなく、農業でも麦踏みなどがある程度で農閑期に当たります。

 冬場の主な作業は、これも職員ブログNo.34で触れた山仕事とともに、特に縄ないなどの藁仕事がありました。

 かつての農業や生活では縄をはじめ、俵や養蚕に使用するものなど、さまざまな藁製品が必要で、それらはほとんど自分の家で作ラれていました。そのため、この頃にはどの家でも藁を叩く音がして、暇があると藁仕事をしているような感じだったと言います。

 今回取り上げる写真は、昭和62年(1987)12月に南区下溝で、何人かの方に集まっていただいて各種の藁細工をした際の撮影です。

 最初の写真は、藁すぐりと呼ばれる道具に藁束を差し込み、引き抜いて藁の茎(くき)を被うハカマを取り除いているところで、二枚目ではハカマを取り除いた藁を叩いて柔らかくしています。藁細工にはこうした用意が必要でした。

 

 藁細工の基本は縄ないで、使われる作業によって縄にもいくつかの種類がありました。両手を広げた長さを一尋(ヒトヒロ)として、それが二〇尋でイチボ、二〇ボが一把(イチワ)で、一人が一日で一把なうのが一人前とされていました。また、俵は一日で一〇俵編みました。

 次の写真は、養蚕で使う縄網(なわあみ)を編んでいるところです。ある程度成長した蚕に桑葉を与える時に使うもので、網に桑を乗せると蚕が食べに上がってくるほか、下の食べ残しの葉や枝を取り除きました。縄網は売っているものを買う家もありました。

 

 田畑に行く際に履くための藁草履(ぞうり)なども作られました。写真は、草履の半分の大きさの足半(アシナカ)を作っているところで、踏ん張ったりするのによい履物です。こうした履物は、足の指に縄を引っかけて編んでいきました。

 最後に、藁細工ではありませんが、冬場に屋敷の庭などが寒さで霜が降りてしまい、その後の日光でドロドロにぬかるむのを防ぐために、藁を撒いておくことがありました。写真は昭和60年(1985)1月・南区古淵での撮影で、こうした何気ない写真にもかつての地域の生活の様子をうかがうことができます。

 

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