東日本大震災から10年が経ちました。
博物館ではあの時も、JAXAとの展示の打ち合わせをしている最中でした。広報室のロケットの模型などが次々と倒れ、尋常ではない事態が起きたことを直感しました。
そして、発災から1週間後、災害支援協定を結んでいた銀河連邦の岩手県大船渡市へ、災害支援隊の一員として学芸員が1名参加し、1週間、支援活動を行いました。大船渡市の目抜き通りの、3月19日の様子です。
当時、支援隊が寝泊まりしていた施設のエリアは電気、ガス、水道がすべて止まっていました。雪がちらつく日もありましたが、不思議なことに寒さに凍えた記憶はありません。しかし、断続的に続く地鳴りには震えました。
相模原市の支援隊は、主に全国各地から届く支援物資の仕分け作業を行いました。場所は、大船渡小学校の体育館です。この建物は海岸から一段高くなった場所にあるのですが、入口まで浸水しました。ご近所の方が自発的に入口の泥をかき出し、掃除してくれたそうです。もちろん、そうした方々も被災者です。
三陸鉄道リアス線の惨状を目にしたときは、10年後の今、復活していることなど想像もできませんでした。
大船渡市越喜来(おきらい)地区は中心部がすべて津波の被害に会い、越喜来小学校の立派な建物は屋上まで波をかぶりました。
発災から1週間、被災地のみなさんがどんな様子で過ごしていたのか、どんなことを語っていたのか、見聞きした者の定めとして伝えていかなくてはいけないと思っています。これから何回かに分けて、紹介したいと思います。