2011年3月11日から10年 その3 温かい食べ物

東日本大震災の時、銀河連邦として災害支援協定を結んでいる相模原市から岩手県大船渡市への支援隊の一員として、2011年3月19日から24日まで大船渡市に滞在した経験を綴るシリーズの3回目です。

前回、大船渡市の職員さんが「普通のカレーが食いてぇなー」とつぶやいたことを書きました。電気、ガス、水道が止まった中で生活していると、何よりありがたかったのは温かい食べ物です。相模原市の支援隊は、プロパンガスのボンベとコンロを持ち込んでいたので、朝晩はお湯を沸かすことができました。そこでレトルトのカレーやカップ麺をつくり、さらに、そこへ炊き出しでいただいたおにぎりをぶち込んで食べます。本当に美味しかったです。

相模原市の支援隊の詰め所 電気がストップしていたので、ヘッドランプが手放せなかった(2011年3月21日)

特にこの支援活動中、カップ麺のありがたさをこれほど感じたことはありませんでした。神奈川へ戻ってからしばらく、いや、10年経った今でも、カップ麺を見ると感謝の気持ちが自然と沸いてきます。一方で、震災から10日以上経ったある日、支援物資として、トラック1台分のカンパンが届きました。

支援物資の搬入(写真の物資はカンパンではありません)2011年3月21日 大船渡小学校体育館

正直言って、「今はこれじゃないな」「とてもじゃないけど、これを食べてと被災者のみなさんへ配れない」とその場にいた人たちと話しました。カンパンは保存性が良く、非常時のための備蓄食料としてとても優秀です。それを理解した上でもあえて言えば、被災地でカンパンを食べることができるのは、補給が絶たれた状況の被災当日からせいぜい翌日くらいです。まだ寒い季節だったからということもありますが、やはり火を通した食べ物、たとえそれがお湯を入れるだけのカップ麺であっても、温かい食べ物が必要でした。
温かいかどうかは別にしても、炊き出しのおにぎりも、お米がよいのか、お水がよいのか、その両方かもしれませんが、とても美味しかったです。

炊き出しのおにぎり(大船渡小学校体育館で 2011年3月21日)

大船渡市役所で炊き出しに参加されている地元の方も、もちろん被災者です。そんなおひとりの女性がまわりの方に話しているのを聞きました。
「うちはおばあちゃんが津波に流されちゃってね。でもここに来ていれば気がまぎれるから来ているの。」
そんな言葉を聞いていたことも、おにぎりの味を特別なものにしていたのかもしれません。

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