5月9日(日)まで、当館では考古企画展「変化の時代を生きた縄文人―相模原市域の縄文時代中・後期文化―」を開催しています。本日から、展示期間中の毎週火曜日に「今週の一品」と題して、展示資料の中から学芸員が選りすぐった一品を紹介していきたいと思います。
第1回目の今日は、勝坂(かっさか)式土器です。勝坂遺跡は、南区磯部地区に所在する本市を代表する縄文時代の遺跡です。大正15年(1926)に最初の発掘調査が行われ、その際出土した土器の一部を基準として名付けられたのが勝坂式土器です。現在では、縄文時代中期(およそ5,000年前)の西関東・中部地方を中心に分布する土器の名称として定着しています。
写真の土器は平成10年(1998)に勝坂遺跡から出土したもので、全体の形は、やや開きながら立ち上がる一段目と、一段目との間に括(くび)れを挟んで膨らむ二段目、垂直に立ち上がる三段目からなっています。底の部分は残念ながら残っていませんでしたが、残存する高さでおよそ50cmあります。一段目には、縄を回転させながら押し当ててつけた縄文と、粘土紐を貼り付け装飾した台形、三角形、楕円の区画文(くかくもん※粘土の紐や線などで器面を区画した文様)がほどこされます。二段目には楕円の区画文が見られ、三段目は縦線文様となっています。このように勝坂式土器は、立体的で、粘土紐を多用した複雑な文様が特徴となっています。勝坂式土器の豊かな装飾性は、縄文時代中期における縄文文化の繁栄を象徴するものと言えるのではないでしょうか。
今回ご紹介した資料は、考古企画展「変化の時代を生きた縄文人―相模原市域の縄文時代中・後期文化―」の「1 変化する集落の姿」のコーナーで展示しています。