5月9日(日)まで、当館では考古企画展「変化の時代を生きた縄文人-相模原市域の縄文時代中・後期文化-」を開催しています。展示期間中の毎週火曜日に「今週の一品」として、展示資料の中から学芸員が選りすぐった一品を紹介しています。
第3回目は、どちらかというと隠れた一品という感じになりますが、川尻(かわしり)遺跡の縄文時代晩期(ばんき)の出土遺物を紹介します。
市内の縄文時代集落は、約5,000年前の縄文時代中期に激増しますが、約4,400年前から始まる後期には一転して減少へと向かい、特に後期後半から約3,200年前に始まる縄文時代終末の晩期になると、わずかな数の集落が知られているのみとなります。今回取り上げた川尻遺跡は、その数少ない集落遺跡の一つです。
川尻遺跡は緑区谷ヶ原二丁目付近に広がる遺跡で、縄文時代中期から晩期にかけての長期にわたる集落の変遷が確認された、市内でもまれな遺跡です。その重要性から南区の勝坂(かっさか)遺跡などと同じく、主な範囲が国指定史跡「川尻石器時代遺跡」として指定されています。
川尻遺跡で発見された縄文時代晩期の住居跡はわずか1軒ですが、今のところ市内における縄文時代最後の住居跡になっています。出土した土器は破片ばかりでしたが、地元の土器に加えて、東北地方の土器である亀ヶ岡(かめがおか)式土器の系列とみられる土器も出土しています。亀ヶ岡式系の土器は、薄手で精巧な作りが特徴で、写真に示した2点の土器は、器面が丁寧に研磨され黒色や黒褐色をしています。ちなみに右側の浅鉢(あさばち)形の土器は曲線の文様が描かれ、ベンガラ(酸化第二鉄)と推測される赤色顔料で赤く塗られています。
縄文時代終末期は遺跡が大変少ないため、当時の生活について不明な点も多いのですが、このような遺物から、同時期に多彩な祭祀(さいし)遺物や装飾性に富んだ土器や漆器などを発達させていた東北地方からの影響を強く受けていた最後の縄文人たちの姿をうかがい知ることができます。
今回紹介した資料は、考古企画展「変化の時代を生きた縄文人-相模原市域の縄文時代中・後期文化-」、「1 変化する集落の姿」のコーナーで展示しています。