これまでにも本シリーズで記してきたように、養蚕はこの地域でもっとも重要な産業の一つでした。そのため、蚕が上質な繭をたくさん作ることを願い、さまざまな行事や信仰が行われてきました。
最初の写真は、緑区相原で昭和63年(1988)1月15日に撮影された繭玉団子です。本シリーズNo.42・43でも紹介したように、小正月の行事として、各家で繭に見立てたたくさんの団子を木に刺したものを座敷に飾り、このように多くの繭ができるように祈りました。
そして次の写真には、皿に盛られた団子と左側には飼育途中の蚕が見えます。これは「フナゴ団子」と呼ばれるもので、蚕は盛んに桑を食べる期間と桑を食べずに脱皮する時がありますが、3回目の脱皮のフナドマリになると、蚕がある程度大きくなって一安心ということで団子を作って蚕室にお供えしました(昭和58年[1983]度文化財記録映画「さがみはらの養蚕」・南区東大沼撮影)。
市内には、各地に養蚕の際にお参りする神仏がありました。その中でも有名だった神社の一つが南区相模大野の稲荷社で、「蚕守稲荷(かいこもりいなり)」とか、地区名の「谷口(やぐち)のお稲荷さん」と呼ばれ、4月17日の大題目(おおだいもく)と称されるお祭りには主に女性が参拝しました。
二枚目の写真で左側の女性が持っているのが絵馬で、この絵馬を蚕室に飾ると蚕が当たると言われ、毎年お参りに来て古い絵馬を返し、代わりに新しい絵馬をいただきました(昭和62年[1987]年4月17日撮影)。
蚕室にはこうした絵馬のほか、お札を貼ることもありました。養蚕のお札を配る社寺も各地にあり、写真は緑区根小屋の蚕室で、八王子市寺田町の榛名(はるな)神社から出されたものです。「雹(ひょう)除」とあるのは、春先に雹が降ると蚕が食べる桑が駄目になってしまうということで、雹が降らないように願いました(平成28年[2016]8月6日撮影)。
最後の人形のようなものは「オキヌサマ」です。これを祀ると養蚕が忙しい時に、どこからか娘が現れてきて手助けしてくれるなどと言われ、中央区淵野辺本町の皇武(こうぶ)神社が本社とされています。ただし、地元にはほとんど信仰がなく、埼玉県や群馬県などで盛んに信仰されていました(平成3年[1991]10月17日)。
前回と今回にテーマとした養蚕の信仰に関わるものは石仏などにも見られます。次回はそうした石仏を取り上げてみたいと思います。