「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No64・文化財記録映画「代参講」)

前回の本ブログでは念仏講について触れましたが、このほかにも、人々が集まって特定の神仏をまつったり、信仰的な行いをする講(こう)にはさまざまなものがありました。

そのうち、遠く離れた神仏を祀る講の場合、信仰する全員でお参りに行くことは経費なども大変なため、何人かの代表者が交代で参詣することが行われ、こうしたものを代参(だいさん)講と言います。

平成6年(1994)度の文化財記録映画第13作「庶民のねがい―相模原の代参講―」は、当時でも比較的古い形で行われていたいくつかの講について撮影されています。

最初から4枚目までの写真は、南区磯部・東講中の不動講です。磯部は火事が多かったため、火除けに利益のあるお不動様にすがろうということで不動講を始めたと言われ、伊勢原市の大山不動を信仰しました。

一枚目の写真は、大山の参道である「こま街道」を今回の代表者が大山寺に向かっているところです。そして、お寺では護摩(ごま)供養を行い、木札をいただいて帰ります。

 

そして、数日後に講に参加している人々が宿に集まり、受けてきた木札とともに不動の掛け軸を掛けてお経を唱え、不動講を行います。講では念仏講以外は男性が行うことが多いのですが、この不動講は女性が主に集まります。

最後に寺からいただいてきた木札を、講中で祀っている不動明王の石仏の隣りに納めます(平成7年[1995]1月27日撮影)。

 

次の御嶽(みたけ)講は青梅市の御嶽山を信仰するもので、「オイヌサマ」と呼ばれるお札は盗難除けのご利益があるとされ、家や蔵、田畑の隅などに立てられました。

こうした御嶽講の記録によると、すでに江戸時代には市内各地で行われていたことが分かり、例えば次の写真の帳面には、天保10年(1839)の淵野辺村で御嶽講に参加していた家々が記されています。

 

代参講では、地元から社寺に行くだけでなく、御師(おし)と呼ばれる者たちがお札などを配りに来ることもありました。次の写真は、南区大沼で講の世話人の家に御師が訪れて挨拶をしており、二枚目はこちらに泊まった御師がお札を配って歩いているところです。(平成6年[1994]10月26・27日)。

 

この映画では、他に緑区下九沢・中央区淵野辺の御嶽講や中央区上溝の成田講などを取り上げ、かつて盛んだった代参講が大きく変化しつつあった中で、その状況を撮影したものとなっています。

なお、昭和57年(1982)度から始まった文化財記録映画は、この13作目で制作が終了しました。いずれの作品も現在では撮影できない内容が多く含まれ、その映像や写真は貴重な記録となっています。

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