「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No66・オテンノウサマ)

夏場のお祭りというと、何といってもオテンノウサマ(お天王様)です。本ブログでもNo.17「キュウリの供え物」やNo.72「文化財記録映画・祭礼行事」などで関連する写真を紹介しており、そのほかにも各地の様子を撮影しています。

最初の写真は、やはり文化財記録映画「相模原の祭礼行事」で、緑区大島・古清水地区撮影の道切りです。オテンノウサマでは集落の境にそれぞれしめ縄が張られ、古い集落の道を歩いていると、道路をまたぐようにある道切りを各地で見かけます(昭和63年[1988]7月17日)。

 

二枚目の写真はNo.17でも掲載していますが中央区田名の堀之内地区で、手前の電柱に張られた道切りの奥では子どもたちが神輿(みこし)を担いでいます(昭和62年[1987]7月19日)。

 

次の三枚の写真はいずれも中央区田名・水郷田名地区で、かつての集落名としては久所(ぐぞ)と呼ばれていました。オテンノウサマでは神輿を担いで集落を回り、今では子どもたちの神輿も各地で造られています。

この地区では以前、神輿が相模川に入ることが見られました。オテンノウサマの神輿が川に入ることは「お浜降り」や「お浜入り」などと言われ、緑区青山の青山神社が知られていますが、かつては市内各地で行われていたとか、この点と関連して、オテンノウサマのご神体は川から流れてきたとの話も伝わっています(昭和60年[1985]7月21日)。

 

また、次の四枚の写真は南区下溝・古山(こやま)地区で、オテンノウサマというと囃子(はやし)が乗った屋台(やたい)と呼ばれる山車(だし)が神輿とともに巡行します。

古山では、かつてオテンノウサマのお宮があって現在は碑が建てられている前に来ると、神輿を左右に大きく振り、高く掲げることをします。そして、この場所でしばらく休む神輿を拝みに来る人も見られます(平成3年[1991]7月22日)。

市内では中央区上溝や緑区中野などのオテンノウサマが有名です(今年は上溝・中野とも中止となっています)が、祭りは今回紹介したように各地で行われており、市内の重要な民俗や文化として、今後とも地域でどのように実施されていくか注目していく必要があると言えるでしょう。

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