伊勢原市などにそびえる相州大山(そうしゅうおおやま)は、古くより各地からの信仰を集め、特に7月27日から8月17日の「夏山」(なつやま)の期間は、大山講の人々がまとまって参拝します。そして、江戸時代には、頂上までの参拝は夏山の間(旧暦6月27日~7月17日)だけ許されていました。
市内にも大山へ至る、通称「大山道」がいくつかあり、そのうちの一つを歩いていく民俗講座「大山道を歩く」を平成14年[2002]に実施したことは、本ブログのNo.29で紹介しました。今回は、こうした道に建てられたいくつかの大山道の道標(どうひょう)を中心に紹介します。
最初の写真は、緑区橋本の横浜線の踏切にある表示で、この踏切を通る道が大山道であったことを示しています(平成16年[2004]11月17日撮影)。
次の2枚は前回も紹介しており、1枚目は緑区橋本の大山道標で、安政2年[1855]造です。上部に大山の不動明王を彫り、正面に「右大山みち」と記されています。現在は区画整理のために旧道はなくなっていますが、地域では「橋本の棒杭(ぼうぐい)」と呼ばれて親しまれており、市の登録史跡となっています(平成13年[2001]9月2日撮影)。
次の写真は、嘉永2年[1849]造で、中央区上溝・田尻の三叉路にあり、向かって右に行くと南区当麻から厚木というように大山方面、左は座間などに南下していく道となります(平成15年[2003]7月1日)。
市内の大山道では、橋本―上溝―当麻のほか、橋本から中央区田名を抜けるルートがあり、田名の水郷田名地区には旧道の雰囲気を伝える道も残されています(平成13年[2001]9月28日)。
また、田名・四ツ谷集落には、これも場所は移動していますが、やはり不動像ともに「此方(このかた)大山道」と記された道標が見られます(平成16年[2004]8月30日)。
さらに、橋本以外に、町田市木曽町から中央区淵野辺を通って南区磯部で相模川を渡る大山道が知られており、次の写真は上磯部地区のT字路の端にあるもので、元治2年[1865]造です。おそらく向かって右側の不動像が、左側の「不動尊」と記された角柱の上に載っていたと思われます。ちなみに真ん中は道祖神です(平成11年[1999]1月10日)。
この上磯部の道標を右手に真っすぐ進むと見えてくるのが、造立年不詳の下磯部の文字塔です。「右大山道」とありますが、右に曲がったところに相模川の「磯部の渡し」があり、渡し場の場所を間違えないように大山に向かう人たちに伝えています。
最後に紹介するのは、南区上鶴間本町の安永9年[1780]造で、不動像の頭部はなくなっているものの正面に「大山不動」と記されています。これは大山への道しるべというより、「講中十四人」とあるように地元の大山講の人々による建立で、そうした地元の信仰に基づく石造物も各地に残されています(平成15年[2003]7月25日)。
このような大山道標は相模原地域だけではなく、もちろん津久井地域にも見られます。次回は津久井地域について取り上げたいと思います。