今回は、緊急事態宣言を受け、8/5で終了となりました博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説の②-2を記します。
今回は第2章「各陸軍施設の移転と建設」の後編です。
前々回の「陸軍士官学校の東京からの移転」ブログで紹介しましたが、1937年(昭和12)に陸軍士官学校の東京市ヶ谷からの移転を契機に、現在の市域に陸軍施設が次々と移転・建設されました。
前回のブログ「各陸軍施設の移転と建設」②-1では、現在のJR横浜線沿いにあった相模陸軍造兵廠・陸軍兵器学校・陸軍機甲整備学校の3施設を紹介しました。
今回は、小田急線沿いにあった臨時東京第三陸軍病院・電信第一連隊・陸軍通信学校・相模原陸軍病院の4施設を紹介していきます。
最初が臨時東京第三陸軍病院で、現在の国立病院機構 相模原病院周辺になります。この病院は、日中戦争の拡大に伴い建設された病院(そのため名称に「臨時」と入る)で、当時としては、最新の治療・リハビリ設備を有していました。今回の展示では、当時の病院内の写真、建物配置図、現在も病院敷地内に残る行幸記念碑などを紹介しました。
次が、唯一の実戦部隊であった電信第一連隊で、現在の米軍相模原住宅内になります。この部隊に関する資料は少なく、残されている2つの関連石碑(市登録文化財)を写真パネルで紹介しました。石碑のうち、電信神社碑は市教育委員会保管で非公開ですが、もう一つの奠営訓示碑(てんえいくんじひ)は東大沼1丁目の相模原市慰霊塔内にあります。
3つ目が陸軍通信学校で、現在の相模女子大学や谷口台小学校周辺になります。こちらは現在も戦前の施設が数多く、しかも良好に残されています。通信学校では、有線、無線など通信に関することの他、伝書鳩についての教育まで行われていました。今回の展示では、建物配置図のほか、現存している多くの建造物などを写真パネルで紹介しました。
陸軍通信学校に隣接するようにあったのが相模原陸軍病院で、現在の相模大野中央公園周辺になります。この病院は、戦後に米軍医療センターとなり、1981年(昭和56)の返還後、公園の他、マンションや商業施設、図書館、ホールなどが建設されました。今回の展示では、建物配置図などを展示しました。
上記のように、小田急線沿いには病院による医療と、陸軍における通信の2つに重点を置いた施設がありました。
前回②-1と今回の2回にわたり、陸軍士官学校以外の7施設の紹介をしました。各陸軍施設の詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などを図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)
また、当館は緊急事態宣言中は休館のため、企画展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もご覧いただければ幸いです。
当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」
次回は、軍都計画と国内最大面積であった相模原町の誕生について紹介します。