緊急事態宣言を受けての休館により会期途中で終了した博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説④を記します。
今回は第4章「戦時中の相模原町の整備」です。
この軍都さがみはら展コーナー解説ブログ①「陸軍士官学校の東京からの移転」、②-1「各陸軍施設の移転と建設」前編、②-2「同タイトル」後編、③「軍都計画と相模原町の誕生」で紹介したように、1937年(昭和12)~1942(昭和17)にかけて、市域内には8つの陸軍施設が移転・建設され、その間にいわゆる軍都計画のもと、当時国内最大の町 相模原町の都市整備が進められます。
今回の企画展では、都市整備の事例として①区画整理(本シリーズブログ③「軍都計画と相模原町の誕生」を参照)、②水道整備(造兵廠等への給水など)、③住宅整備(相模原集団住宅「星が丘住宅」など)、④新駅設置と駅名変更(下記参照)、⑤相模原新都振興会(下記参照)を紹介しました。
展示資料については、⑤の相模原新都振興会関係を多く展示しました。この新都振興会とは、戦局が厳しくなるにつれ遅れ気味になった区画整理事業を国・地元が一致して軍都建設に協力するため、昭和18年(1843)3月に設立されたものです。
また、陸軍施設に伴って開設された駅(小田急線:相模大野駅や相武台前駅等、横浜線:相模原駅)や駅名変更などをパネルで紹介しました。
さらに、「陸軍施設があったのに大規模空襲がなかった相模原」と題し、当時の米軍戦闘機による機銃掃射に関連する資料を展示しました。
大規模空襲がなかったことについては明確な記録はありませんが、米軍が戦後の跡地利用を見据えてあえて陸軍施設への空襲がなかったと考えられます。
今回は、戦時中の相模原町の整備や空襲状況などについて紹介しました。これらの詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などに掲載されていますので、図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)
また、当館は緊急事態宣言中は休館しておりますが、軍都さがみはら展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もぜひご覧ください。
当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」
次回は、軍都計画が礎となった戦後の相模原の開発について紹介していきます。