市内の相模原地域は台地上に広がり、平らというイメージが強いですが、境川や相模川に向かっていくつもの坂があります。そうした坂にも、名称の由来となるような言い伝えが残されています。
最初の写真は、中央区田名の「ひの坂」です。この坂の下には、二枚目の写真のように狸菩薩(たぬきぼさつ)がまつられており、いたずらが過ぎる狸に、たまりかねたおばあさんが炭をぶつけ、狸が火だるまになって坂を転げ落ちたとの伝承からひの坂(火の坂)と呼ばれるようになりました。また、狸菩薩にもお参りをする人がたくさんいたと言われています(平成12年[2000]2月11日撮影)。
次の写真は南区下溝の「山の神社」と「雹塚(ひょうづか)」で、この横に山の神坂が通っています。山の神社は、戦国時代に北条氏照の娘である貞心尼(ていしんに)が下溝の集落の堀之内(ほりのうち)に住んだ際、その鬼門(きもん)の方角にまつられたと言われています。
また、隣りにある石塔の雹塚は、日本全国から土を持ってきて雹の害がないように祈ったものとされ、石塔の各面には天照大神(あまてらすおおみかみ)などの神名が記されています(平成13年[2001]2月4日)。
車などが増えてくると、昔ながらの旧道の坂は拡張され、あるいは別の場所に新しい坂が作られます。一枚目の写真は、文字通り緑区下九沢の「新道坂」です。そして、その途中から分かれるようにあるのが旧道の「神明坂(しんめいざか)」で、坂の上に神明社があったことからの名称です(現在、神明社は坂下に移動)。二枚目の写真にはかつての旧道の雰囲気が写されています(平成12年[2000]9月30日)。
最後の写真は、中央区上溝の「七曲り」です。下側の虹吹(にじふき)集落から上の段に向けて大きく曲がりくねった坂で、こうした幾重にも曲がった七曲りと呼ばれる坂はほかの地区にもありました。
上溝の七曲りは明治30年(1897)に改修され、写真のように西側がよく見渡せることから「西見坂(にしみざか)」とも命名され、その後、再び改修されて現在のような坂になっています。特に伝説はありませんが、大きな坂の特徴あるものとして取り上げました(平成12年[2000]11月19日)。
これまで木・水・石・塚・坂を取り上げてきましたが、市内にはまだまださまざまな伝説や言い伝えが残されており、もう少しテーマを変えながら紹介していきたいと思います。