市内を流れる相模川は県内最大の河川です。相模川で川漁が盛んに行われていたことは、本ブログNo.9~11で鵜飼い(うかい)なども含めて紹介しました。
次の写真は、中央区田名での砂利(じゃり)ふるいの様子です(昭和62年[1987]10月26日撮影)。東京などの都市化に応じて、コンクリートの材料となる砂利を取ることは、明治から昭和にかけて各地で行われました。そして、大規模な機械掘りになる以前は、相模川沿いに住む人々によって手掘りの砂利採取が行われ、冬場の現金稼ぎになっていました。
最初の二枚の写真は「岡ぶるい」です。河川敷の砂と砂利などを、万石(まんごく)と呼ぶ道具で選別するもので、砂など混ざったものを網の上に掛けて振るい分けていきます。ちなみに農具にも米や麦を選別する万石がありますが、それとは別のものです。
次の写真は「川ぶるい(水ぶるい)」で、直接川の中に入り、鋤簾(じょれん)で砂利をすくって川底の砂利を振るいます。水で洗われたきれいな砂利が取れたことから、高く売れたと言います。
川は魚や砂利を取るなど、人々に恵みを与えるばかりではなく、災いをもたらす存在でもありました。その大きなものが洪水で、田畑や人家が水をかぶったり、押し寄せる水で堤防がいたむこともありました。
次の写真は、南区新戸河原地区で蛇籠(じゃかご)を作っています(平成2年[1990]6月26日・8月7日)。竹を粗く長円形に編んで中に石を詰めた蛇籠は、大蛇が伏せている形に似ているところからその名があります。川の岸に杭(くい)を打ち、蛇籠を並べて置いて堤防などを水からまもりました。
一枚目の写真は蛇籠を作っているところ、二枚目は出来上がった蛇籠で、三・四枚目は石を詰めています。石はたくさん必要で、中でくずれないように詰めていきます。
今回紹介した砂利採取や蛇籠作りは、このブログで紹介してきたほかの行事や作業と同様に、当時でもすでに経験された方はかなり少なくなっており、いずれもしばらく振りに再現していただいて撮影することができました。
市内のなかでも相模原地域は台地上に広がり、水に乏しい地区と言われますが、こうした川辺でのさまざまな生活や民俗も営まれていたのです。