1月から始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の関連事業として、当館でも1/15からミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団 横山党」を開催中です。
このミニ展示では、鎌倉時代初めに相模原市域に勢力を持っていた武士団横山党と、大河ドラマの13人のひとりで横山党とも関係の深い和田義盛(わだよしもり)という武将の市内の伝承地などを紹介するともに、伝承が記された明治期の地誌資料を展示しています。
今回は前回の横山党の紹介に続き、ミニ展示紹介②として、「和田義盛と横山党」について紹介します。
和田義盛は三浦一族の有力武将で、鎌倉幕府が創設されると軍事・警察部門をつかさどる侍所(さむらいどころ)の別当(長官)となります。今回の大河ドラマでも同族の佐藤B作さん演じる三浦義澄や、山本耕史さん演じる三浦義村らとともに既に度々登場している主要キャストの一人です。
ドラマをご覧の方は、髭が勇ましいあの武者といえばピンとくるでしょうか。ドラマでは和田義盛を、主に舞台で活躍している横田栄司さんという俳優さんが演じています。
この和田義盛ですが、実は横山党の娘を妻としています。そうしたことからか、市内上溝の亀が池八幡宮付近に和田義盛に関する伝承地の「わだ坂」と「藤橋」があります。
「わだ坂」は、和田義盛がこの付近で食べた弁当の箸(はし)が根付いたとされる「和田榎」がかつてあった場所の近くで、現在は坂道の脇に地名標柱が建てられています。
もう一つの「藤橋」は、わだ坂の北100メートルほどの場所で、和田義盛が川(姥川)を渡るのに藤で橋を作ったとされる場所で、現在も「藤橋」が架かっています。
和田義盛は、建暦3年(1213)に執権北条義時らと戦い(和田義盛の乱)、奮戦むなしく敗れます。相模原にいた横山党も和田義盛とともに戦い、多くの者が討ち死にしたと鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記されています。上矢部に残る板碑(いたび)は、この時討ち死にした矢部義兼の供養のために90年後につくられたという伝承があります。
和田義盛の乱は、大河ドラマ後半のクライマックスの一つになると思いますので、横山党の武士がドラマに登場することを期待しています。
ミニ展示内では、各伝承地の詳細位置図も展示していますので、ぜひご確認ください。
本ミニ展示は3/13まで開催予定です。次回は、大河ドラマの時代 鎌倉時代初期の市内伝承などを紹介します。