NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連ミニ展示の紹介③~第9話で出会った頼朝・義経に関する伝承も…~

市内がロケ地の一つでもあるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の関連事業として、当館でも、ミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団 横山党」を開催中です。

ミニ展示全体

このミニ展示では、鎌倉時代初めに相模原市域に勢力を持っていた武士団横山党と、大河ドラマの13人のひとりで横山党とも関係の深い和田義盛(わだよしもり)という武将の市内の伝承地などを紹介するともに、伝承が記された明治期の地誌資料を展示しています。

今回は前々回の横山党の紹介前回の和田義盛と横山党に続き、ミニ展示紹介③として、「市内の鎌倉時代初期の伝承と横山党滅亡後の相模原」について紹介します。

市内の鎌倉時代初期伝承と横山党滅亡後の相模原紹介コーナー

3/6放送の大河ドラマ9話では、大泉洋さん演じる源頼朝と菅田将暉さん演じる義経がついに出会う場面がありました。実は、この頼朝または義経が鶴が舞うのを見たことが地名の由来になったとされるのが本市、大和市、町田市周辺の「鶴間」で、本市では南区の「上鶴間」や「上鶴間本町」という地名があります。

頼朝、義経兄弟の話をしましたが、今後登場する兄弟に源範頼(のりより)という人物もいます。範頼は義経とともに西国の平家軍を討つ大将となりますが、その後範頼も義経同様に頼朝に疎(うと)まれ、殺されてしまいます。その範頼の家臣に当麻太郎という人物がおり、主君範頼の噂を聞くため頼朝の寝所に忍び込み捕まってしまいます。当麻太郎はその後流罪になったとされていますが、この当麻太郎の伝承が南区当麻に伝えられています。

当麻太郎の伝承地「当麻城山」付近にある浅間神社(当麻城山は戦国期ののろし台伝承もある)

前回、建暦3年(1213)の和田義盛の乱について紹介しました。実はこの乱は、泉親衡(いずみちかひら)という人物が2代将軍頼家の子を将軍にしようと画策した謀反計画に和田義盛の息子や甥が加担したとされ、所領を奪われてしまったことがきっかけでした。その泉親衡が市内中央区上溝に逃れたとする伝承があり、その石碑が建てられています。

石碑「伝泉小次郎源親衡之旧跡」

上記のように、市内には鎌倉時代の初めの伝承地もあり、こうした伝承を意識しながら大河ドラマを見るとさらに楽しめると思います。

なお、和田義盛の乱により横山党も滅亡してしまいますが、その後横山党の所領横山庄は13人の一人である大江広元(おおえのひろもと)の所領になったとされています。

これまで3回にわたり、大河ドラマ鎌倉殿の13人関連ミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団横山党」について、解説いたしました。博物館でのミニ展示は、3/13(日)で終了しますが、今後当館の所管施設である吉野宿ふじやで4/16~6/12まで、尾崎咢堂記念館で6/18~8/28まで、内容を少し変えて巡回展示を行う予定ですので、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。

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