「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」 (No100 二年間にわたり、ありがとうございました)

二年前の令和2年(2020)4月から開始した本ブログも、今回で100回を迎えました。その間、さまざまなテーマや内容のもと、博物館が撮影してきた写真を掲載してきましたが、とりあえず「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」シリーズは今回で終了します。長い間お読みいただき、まことにありがとうございました。

今回は、保管する写真の中で、改めて博物館の建設準備が本格的に始まった当初の昭和57年(1982)に撮影した、今から40年前の写真を中心に紹介します。

最初の写真は、ブログNo.7でも取り上げた1月6日の中央区・田名八幡宮での的祭(まとまち)で、保管する写真のうちでもっとも古いものです。子どもが的に向けて矢を射て、見事に的の中心に当たっています。また、的祭では終了後に上溝番田(ばんだ)の神代神楽(じんだいかぐら)が行われ、賑やかな祭りの様子が写されています。                                

 

市内では多くの稲荷社がまつられ、2月の初午(はつうま)を中心に祭りが行われています。次の写真は、中央区上溝の稲荷講(いなりこう)の幟(のぼり)です(2月10日撮影)。そして、せっかくですので翌年の58年2月にも再び訪れ、竿(さお)に飾った幟も撮影させていただきました。                                

 

祭りや行事のほかに、いろいろな農作業も記録しており、次の写真は南区下溝の麦蒔きの様子で、上の写真では麦を蒔くために畑をうなっています。また、かつては麦の種を肥料の堆肥(たいひ)に混ぜて蒔くことも多く、下の写真は堆肥をツミオケといわれる桶に入れて蒔く準備をしているところです(11月18日撮影)。                                   

 

最後に取り上げる写真は、特に昭和57年撮影のものではありませんが、上が令和3年(2021)7月に撮影した博物館の正面です。そして、下の写真は博物館の要覧に掲載された、開館した平成7年(1995)頃の様子で、明らかに正面の緑が少ないことが分かります。25年以上の月日による移り変わりの様子が示されており、こうした点からも写真は重要な資料と言えます。                                 

 

これからも博物館では、すでに保管している写真を活用しつつ、新たにさまざまな写真を撮影して、地域の変化を見据えながら記録を行っていきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

※本ブログとともに、博物館のHPでは「民俗の窓」として、平成22年(2010)度~28年(2016)度の、主に市内各地の祭礼行事等について紹介しています。トップページ右上の「リンク」→「博物館の窓」→「民俗の窓」からご覧いただけます。

 

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