前回は、夏場のごちそうであった「酒まんじゅう」作りの道具を取り上げましたが、相模原を代表するもう一つの食べ物がうどんです。うどんは夏場だけでなく、夕飯には一年中うどんを食べ、夏場は茹でたうどんを水にさらした「あげそば」、冬場は野菜と一緒に煮込んだ「にこみ(にごみ)」を食べました。
なお、「あげそば」のように、そば粉で作ったものだけでなく小麦粉の麺であるうどんのことも一般にそばと呼んでいました。
うどんを作るには、前回紹介した「こねばち」で小麦粉をこね、それを麺状に細く切っていきます。最初の写真は「のしばん」と「めんぼう」(収集地・南区下溝)で、こねた小麦粉を細長く伸ばします。寄贈していただいた方は明治43年(1910)生まれで、実際にはこれらを使用したことはなく、親世代が使ったと言います。
二枚目の写真はのしばんの裏側で、使っていない時にはめんぼうを差しておき、無くしたりしないような工夫がされています。
それではどのような道具で麺にしたかというと、広く使われたのが製麺機(せいめんき)で、どの家でも古くから購入して使っていました。次の写真の製麺機は、明治28年(1895)生まれの方が嫁入りした時にはすでにあったと言われ、上溝で購入したと伝えられています(中央区相模原)。製麺機には製造所の表示があるものも多く、いろいろなところで作られていました。
製麺機にかけて麺状にしたうどんを茹で、「すいのう」(手前・緑区根小屋)で湯から上げて「そばあげ」(緑区大島)に取ります。そばあげには他にも笊(ざる)を使ったり、さまざまなものがあり、写真のものは自家製で、大量のうどんを茹でた時に使いました。
今年はいまのところ猛暑となっていますが、機会があればざるうどん(あげそば)を食べて、かつての地域の食文化に想いをはせるのはいかがでしょうか。
※前回に引き続き「写真に見る昭和・平成の相模原」No.19には、今回取り上げた道具 を使用している写真を掲載しています。