博物館収蔵資料紹介~糸繭の商い

中央区上溝は横浜開港に関わり、明治3年(1870)に生糸及び繭などの取引を目的に市(いち)が開設されました。毎月三と七の付く日(月に六回)に開かれる市には糸や繭を売買する商人をはじめ、日用品や雑貨等を売る者が各地から集まり、大変な賑わいを見せました。

前回のブログでは蚕の種(卵)を専門に作る「種屋」の道具を紹介しましたが、博物館では、こうした糸や繭を扱う糸繭商(いとまゆしょう)の道具も保管しています。

最初の写真は、自然・歴史展示室の五テーマ「地域の変貌」に展示されているパネルで、右側には大正8年(1919)に行われた盛大な祭りの様子が写されています。この時に作成された書類によると、上溝に住んでいた糸繭商は29名にのぼり、そのほかに他地から来る者が63名というように、地元だけでなく、大変多くの糸繭商が上溝に集まってきました。                  

 

二枚目の写真は、「繭蚕糸売買証票(まゆさんしばいばいしょうひょう)」(収集地・中央区上溝)で、商人はこのような許可書を持参していました。ちなみにこの証票の発行日は明治20年(1887)4月1日です。                 

 

次の写真は、紙製の枡の「紙枡(かみます)」(収集地・中央区田名)です。枡と言うと穀物や酒などの液体をはかる木製のものを思い浮かべますが、こうした商人は市だけでなく農家を訪れて直接、繭などを買い付けることもあり、折りたたんで持ち運びできる紙枡は便利でした。紙枡は、大正時代後期に繭をはかる単位が容量から重さに代わり、使われなくなりました。写真の資料には一升五合と記されています。                 

 

糸繭商にも上溝に店を出しているところと、ソクザシなどと呼ぶ仲買いを専門にする者がいて、以下の三枚の写真は、いずれも糸や繭を扱う商店で使われていたものです。

最初と二枚目の写真は目方をはかるための秤(はかり)です。最初のものは皿に繭などを乗せ、二枚目の方が大きい秤で重いものをはかることができます。やはり農家に糸を買い付けに行く時に持って行きました。                                     

 

最後の写真はこの商家にあった大きな戸棚で、主に生糸を入れるのに使っていました。この戸棚は博物館の「地域の変貌」に展示しています。また、自然・歴史展示室の二テーマ「郷土の歴史」の明治時代のコーナーには、上溝市場開設に関わる書類なども展示されていますので、最初に紹介したパネルなどとともに見学いただければと思います。                 

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