博物館収蔵資料紹介~明かりの道具

明かりは住まいにとってもっとも重要かつ基本的なものの一つです。博物館でもさまざまな明かりに係わる資料を保管しており、最初の写真は「行灯(あんどん)」です。真ん中や下の台にある燭台(しょくだい)に油を入れ、その炎で明かりを取りました。

本来は風の影響で炎が揺れたりしないように紙の覆いがありますが、この資料は古いこともあって覆いはなくなっています。寄贈いただいた方も実際に使ったことはないとのことです(寄贈地・緑区相原)。                   

 

電気が引かれる以前の主な照明は石油ランプでした。例えば、南区下溝の古山(こやま)地区に電気が引けたのは大正8年(1919)で、最初は各家に一灯くらいで、電気になってからもランプを使っていました。

次の写真は天井などから吊るす「吊りランプ」(緑区大島)です。ランプは一晩使うと、火屋(ほや)と呼ばれるガラスの内側が煤(すす)でくもってしまい、手が小さくて火屋の中に手が入る子どもが毎日掃除をしました。                   

 

ランプとともに大切だったのは蝋燭(ろうそく)です。次の写真の右側が部屋などに置いて使う「燭台(しょくだい)」(南区新戸)、左側が手に持って運べる「手燭(てしょく)」(南区下溝)です。ちょっと外に出たり、家の中を探したりするのは蝋燭を使いました。                   

 

次の写真は「がんどう」(南区当麻)で、二枚目は内部を写した写真です。一方向を照らすために桶状の容器の中の芯に蝋燭を立て、また、把手(とって)を持って回しても蝋燭は水平で倒れないようになっています。

古山地区ではかつてワサビを作っていて、春の収穫前に盗難などの見張りとして小屋に泊まりましたがその際などに使いました。                

 

電気以前には、明かりの元となる火種(ひだね)をどうするかといったことも重要でした。最後の写真は、囲炉裏(いろり)などから火種を移す時に使われた「つけ木」(南区下溝)で、薄く削った木の片方に硫黄(いおう)が塗られています。

つけ木はマッチが普及するまで使われたものでしたが、この資料を所有されていた方も、第二次世界大戦前後の物資が乏しい時にマッチ代わりに使用したとのことです。                   

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