新たな年を迎えました。今年も博物館をよろしくお願い申し上げます。
毎年、同じ日時に行われる行事の代表的なものとして正月があります。博物館で収蔵している年中行事に使われた資料の中から、今回は正月行事に関するものを紹介します。
最初の写真は正月に神棚の前に飾られるもので、これに半紙やダイダイ(ミカン科の果実)を付け、松なども添えます。昭和62年(1987)12月に南区下溝の方の製作で、当時でもこうした正月飾りを見かけることが少なくなっていたため、実際に作っているところを撮影し、完成したものをそのまま寄贈していただきました。二枚目の写真はその時の様子です。
市内各地では、正月14日に「粟穂稗穂(あわぼひえぼ)」といって穂に見立てた短く切った木を竹の先に付け、畑に使う肥料を積み上げたところに立てており、これは粟や稗などの穀物がたくさん実ることを祈って行われました。
次の写真は緑区相原の粟穂稗穂ですが、この資料を作っていた家では1月16日に粟穂稗穂を作り、11日の仕事始めで少し耕した畑のところに立てました。二枚目の写真は昭和63年(1988)1月の行事の様子で、やはり写っているものが寄贈されました。
次の写真は緑区佐野川で、ここでは「粟穂稲穂(あわぼいねぼ)」とされ、竹を二つに割って片方に粟穂、もう一方は稲の穂を差します。写真には三点写っており、これらを14日に飾り、その後に畑に持って行って立てました。なお、このお宅の方には、そのほかにも正月14日の行事に用いるさまざまなものを作って寄贈していただきました。
特に津久井地域では、正月に山の神をまつることが盛んで、いろいろな行事がありました。最初の写真は、粟穂稲穂と同じ家の方に作っていただいた「おりかけ」と呼ばれるもので、2日に山へ行く「やまいり」の際に持っていき、竹筒(たけづつ)の部分にお神酒を入れて、さおの左側のとがっている方を地面に突き刺して山の神の祠(ほこら)に供えます。
そして、山の神の日とされる1月17日に弓矢を作り、それを21日に射ることが行われました。写真は緑区沢井の山の神の弓矢で、上側が弓、下が五本の矢です。この家では17日に作った弓矢を庭木にかけておき、21日に庭で四方に矢を放ちました。
このように博物館で収集した正月行事の資料は、実際に製作したり行事に使っていたものをそのままいただいており、その時に撮影した写真も一緒に保管しています。 この職員ブログでは、以前「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」を連載していましたが、その中で、今回紹介した資料に関わる内容を取り上げていますので、併せてご覧いただければと思います。
「七草とアワボヒエボ」https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/24764
「山の神」https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/24898
「小正月のものつくり」https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/28484