博物館収蔵資料紹介~講の掛軸

講(こう)は、地域の人々が集まって特定の神仏をまつり、信仰的な行為を行うもので、市内にもさまざまな講が見られました。その際には神仏の姿や文字を書いた掛軸(かけじく)を飾り、博物館でも各地の掛軸を収集しています。

最初の写真は、南区下溝の古山(こやま)集落で平成14年(2002)4月16日に行われた念仏講(ねんぶつこう)の様子で、正面に掛軸を飾り、その前で出席者の女性が並んで念仏などを唱えています。念仏講は市内で広く行われていましたが、この地区では写真の念仏講が最後となり、掛軸など使用するものが博物館に寄贈されました。

二枚目の写真は掛軸を撮影したもので、左側は十三仏(じゅうさんぶつ)で13の仏が描かれています。真ん中の掛軸には「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と書かれており、南区当麻の古刹(こさつ)である無量光寺(むりょうこうじ)と係わるものです。そして、右側は有名な観音(かんのん)をまつっている八王子市大塚の清鏡寺(せいきょうじ)から出された掛軸です。                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お稲荷さんは各地にあり、稲荷講も盛んに行われていました。この写真は南区当麻の掛軸で、女神や狐とともに白笹(しらささ)稲荷大神と書かれています。白笹稲荷はこの近辺では秦野市が有名ですが、この地区では、明治45年(1912)に火防の神として秦野の白笹稲荷社から御霊(みたま)を分けていただき、稲荷講では地元の白笹稲荷社にお参りしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の写真は、土地や作物の神である地神講(じしんこう)の掛軸で、このように地神講では武士の姿をした神を描いたものもありました。掛軸の絵は、中央区上溝出身の日本画家である吉川啓示(よしかわけいじ)画伯に昭和26年(1951)に依頼したもので、地元の高名な画家が描いたものとしても注目されます(収集地・中央区田名)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の写真も地神講と同じ地区からいただいたもので、勢至菩薩(せいしぼさつ)としてまつられていました。地神講の掛軸は昭和になってから作られたのに対して、こちらは古くからあり、この地区では、女性による毎月二十三日夜の二十三夜講や二十六日の二十六夜講が行われ、その際に飾られたものではないかとされています。明治19年(1886)からの二十三夜講の記録なども残されており、これらも一緒に寄贈されました。                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は講に関する資料を中心に紹介しましたが、このほかの信仰に係わる資料もたくさん保管しています。次回もそうしたものを取り上げたいと思います。

カテゴリー: 考古・歴史・民俗 タグ: パーマリンク