「義太夫(ぎだゆう)」は、三味線(しゃみせん)の音に合わせて太夫(たゆう)と言われる語り手が、物語の人物のセリフやしぐさ、情景などを語っていく民俗芸能です。娯楽が少なかった明治から大正頃にかけて各地の農村に流行し、市内でも特に若者が習って演じた話が伝えられています。
今回取り上げるのは、緑区橋本で義太夫をしていた神田信次郎さん(明治29年[1896]生まれ)が若い頃に使用したもので、神田さんは20歳くらいから義太夫を始めました。そして、地元の郷土史家だった加藤重夫さんが執筆した『橋本の昔話』(昭和60年[1985]刊)に、当時の義太夫の様子について記されており、神田さんも登場しています。
最初の写真は、太夫が語る文句が記された義太夫本で、表に演目が書かれています。また、手前左側は中を開いた状態で撮影しましたが、独特な書体で記されているのが分かります。ちなみに開いたものは「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で、江戸時代の仙台伊達家の御家騒動を題材とし、歌舞伎(かぶき)や人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)での有名な演題の一つです。
次の写真は義太夫本をのせる見台(けんだい)で、太夫は見台に置いた本を見ながら語っていきます。二枚目の写真は見台の写真見本で、大阪の義太夫本等の販売所の発行です。こうしたものから気に入った見台を選んだのでしょうか。
太夫は次の写真のような肩衣(かたぎぬ)を着ており、さらに、袴(はかま)や紋付(もんつき)など他の衣装もあわせて寄贈していただきました。
先ほどの加藤さんの本によると、義太夫は個人の家を宿(やど)としたり、小屋を組み立てて行うこともあり、次の写真は語っている演目を記した「めくり」で、何かの上演会の際に使ったものではないかとされます。
今回は『橋本の昔話』に記事がある橋本地区の義太夫の資料を紹介しましたが、このほかにも、中央区宮下本町・相模原・田名や南区東大沼・新戸地区の義太夫関係資料を保管しています。
なお、博物館では平成22~28年度にかけて、各分野の活動などを紹介した「博物館の窓」を掲載しており、そのNo.61「南区新戸地区の義太夫関係資料」(平成25年度)https://sagamiharacitymuseum.jp/blog/2014/06/07/minzoku_madoh25/#minzoku61として、地元のみならず義太夫の演者として広く有名だった方を紹介していますのでご覧いただければ幸いです。