現在、当館の特別展示室ではミニ企画展「相模原に生まれた偉人 尾崎行雄(咢堂)新規収蔵資料展」を開催しています。
先日のブログに続き、ミニ企画展で展示している郷土の偉人・尾崎行雄ゆかりの新規収蔵資料の担当者的見どころ紹介をします。
本展示でひときわ存在感を放つ資料が、高さ134.5cm、幅339cmの六曲一隻(せき)の屏風です。今回列品している中で最大級のこの資料は、観覧者の目を引くことと思います。
この屏風は、上諏訪(現在の長野県諏訪市)で「如鳩堂(じょきゅうどう)」という薬局を営み、尾崎と親交があった久保田力藏(くぼた りきぞう)氏が所蔵していたものです。
多くの著名人と交友関係にあった力藏氏は、尾崎と岩波書店創業者である岩波茂雄との間を取り持ったとも言われています。力藏氏の逝去に際し、関係者が追悼のために寄せた『如鳩堂追悼録』において、尾崎は彼のことを「頭の働らいた人」(原文ママ)、「あれ程友情に厚く信頼の出来る人は私の長い生活の中にも極めて稀である」と評していることから、かなり信頼を置いていた人物であることがうかがえます。
昨年度、上諏訪久保田家が所蔵していた尾崎ゆかりの資料を一括で寄贈いただいたため、このたび代表して屏風をお披露目しました。
このほか、今回展示している和服姿の子どもと桜並木が美しい絵葉書も、尾崎が力藏氏に宛てて送ったものです。
この絵葉書では、描かれているポトマック河畔の桜について「是(これ)は先年私が東京市長として贈りたる三千本の桜にて今は当府の一大名物となり…」と、尾崎が米国に贈ったものであることが直筆で記されています。
尾崎の東京市長在任時、米国大統領タフト氏夫人がワシントンD.C.のポトマック河畔に桜の植樹を希望していたことから、日本の桜に感動を覚えたシドモア女史の提案もあって、時の東京市長から桜苗木を贈ることになりました。
その後、明治42(1909)年に日本を発った第1便は虫害によってあえなく焼却処分となりましたが、翌年に万全を期して再度寄贈を行い、約3,000本もの桜が無事に海を渡ったのです。
当館に尾崎ゆかりの資料は多数あれど、尾崎が自筆で桜寄贈について語る資料は大変貴重なものとなっています。
こうして米国ポトマック河畔に植樹された桜は現代にも受け継がれ、開花時期には全米桜祭りが開催されるなど、日米友好の証として親しまれています。本ミニ企画展では、その様子を伝える写真も併せて展示しています。
尾崎が送った絵葉書とそっくりなアングルで撮影された満開の桜や、国を問わずお花見を楽しむ人々の姿が印象的です。
展示室の“咢堂桜”はと言うと…、八分咲きくらいでしょうか。満開まであと一息というところまで咲いています。
今回の見どころ紹介はここまで、また次回をお待ちください。
(歴史担当学芸員)