ミニチュアのツボのようにも玉ねぎ型のようにも見えるクモの卵のう

ちょっとツボのようにも、玉ねぎ型のようにも見える卵のう(直径5mmほど)

ちょっと長いタイトルになりましたが、写真は、コクサグモの網につけられたシロカネイソウロウグモの卵のうです。

手前に写っているのがコクサグモ 奥にシロカネイソウロウグモの卵のうが見えます

クモそのものは、近くのジョロウグモの網にいました。

ジョロウグモの網にとりついたシロカネイソウロウグモ

宿主の網についた餌を盗み取って暮らしているクモですが、時々複数個体が同じ餌にとりついている事もあります。

同じ餌にとりつくシロカネイソウロウグモ

右側の個体が餌を放してしまいました。

片方が餌を放してしまいました

ジョロウグモの網の捕獲面から離れた位置に命綱をつけてあるので、脚を放すと、自動的に網の面から離れるようになっています。無防備に宿主の網を歩き回っているわけではなく、ちゃんと逃亡手段が用意してあるのですね。

ところで、この時期、ほかにも似たような卵のうを見かけます。

チリイソウロウグモの卵のう

これはヒメグモ(ニホンヒメグモ)の網で見つけました。チリイソウログモです。やはり宿主の網から餌を盗む習性があります。卵のうの形もどことなく似ていますね。

卵のうの下にいるのがチリイソウロウグモです

分類も習性も近い仲間が、卵のうも似た形をしているというのはちょっと面白いです。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.21・盆行事②・盆棚)

前回、博物館では盆行事に関するたくさんの写真を保管していると記しました。今回はその中でも比較的古い時期に撮影された、盆棚を中心とした写真を紹介します。

 お盆では、家に帰ってくるご先祖様を祀るために、いつも位牌や故人の写真などを置いておく仏壇とは別に、盆棚と呼ばれる臨時の棚を迎え火の当日や前日に作り、送り火を焚いて先祖が帰るとすぐに片付けます。

 下の写真は、昭和61年(1986)8月・南区磯部の旧家の盆棚で、当家では普段、使用している机に新しいゴザを敷き、そこに位牌や果物などをお供えし、手前にはナスの馬などがあります。そして、仏壇を見ると、位牌はすべて盆棚に出されているため、空になっています。

 次は昭和62年(1987)8月・南区当麻で、ここでは床の間の空間を利用して盆棚を作っています。盆棚には、前側あるいは四方に竹を立てて竹や縄を渡し、ホウヅキや畑で穫れたものなどを吊り下げますが、ここではトウモロコシが下げられています。
 棚の上には、位牌や線香などのほかに、里芋の葉の上に米と刻んだナスを載せた「アライアゲ」と言われるものと、ミソハギ(盆に仏前に供える植物)の葉があります。前の磯部の写真でナスの馬の隣りにあったのも同じもので、盆棚へお参りする際には、水に付けたミソハギをアライアゲに振りかけて線香を灯します。

 同じく昭和62年(1987)8月・南区下溝で撮影した次の盆棚は、机ではなく大きな樽を使っています。かつては72リットルも入る四斗樽の上に、雨戸に使う戸板を置いたり、蚕に桑を与える時に用いる給桑台(キュウソウダイ)に戸板を載せて盆棚としました。
 また、この写真では棚の下にもお椀が置いてあるのが分かります。盆には先祖のほかに、亡くなった子どもや他では祀られない無縁の仏も祀り、ここに盆棚と同じものをお供えします。ただ、この家では、棚の下のお膳には箸はつけないとのことです。

最後は緑区相原で、前回記したように、相原地区は7月盆ですので昭和60年(1985)7月の撮影です。盆棚の正面に掛け軸があるほか、盆提灯がたくさん置かれています。実はこのお宅は、前年の盆から今年の盆までの間に亡くなった方があった新盆の家で、そのため軒先には盆提灯として用いられる岐阜提灯を吊り下げています。新盆の家には、特に親戚や近所の人がお参りに来ました。

 
 今回は、盆行事でよく見かけた盆棚の写真を紹介してきました。次回は、市内でも行う地区に地域差がある「砂盛り」を取り上げたいと思います。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No.20・盆行事)

夏の暑い時期に各地でオテンノウサマ(天王祭)が行われるのに対して、夏場に各家で行われる代表的な年中行事の一つがお盆です。盆は正月と並んで行事も多く、市域でも特に旧家では盛んに行われていて、博物館でも多くの盆の写真を保管しています。

 ちなみに市内では多くの地区で8月の盆ですが、緑区相原や橋本をはじめ、津久井地域でも7月に盆を行う地区があります。相原では、第二次世界大戦後に何か新しいことをしようということで、行事日を統一して7月盆を採用したとの話も残っています。

 盆には普段、位牌を置いてある仏壇とは別に盆棚を作り、盆の期間はそこに位牌を移し、掛け軸を下げたりして飾ります。また、13日には迎え火を焚いて先祖の霊を盆棚にお迎えし、盆の間はさまざまな供え物をしてもてなして、16日(家により15日)に送り火で先祖を送ります。今回紹介するのは、昭和60年(1985)8月13日と16日に中央区上矢部の旧家で撮影させていただいた、盆の迎え火と迎え火の様子です。

 最初の写真は、盆棚に用いるものを作っているところです。盆棚を作るには新しい竹や縄、チガヤなど、いろいろなものが必要でした。盆棚には季節の野菜や果物などもお供えし、写真にはスイカやブドウが見えます。また、先祖の霊が乗るキュウリやナスの馬(牛ということもあります)も用意し、ナス・キュウリの後ろにトマトやトウモロコシもあるのが分かります。
この職員ブログのシリーズNo.18で取り上げた酒まんじゅうなども供えられ、酒まんじゅうは盆や祭りなどには欠かせないもので、自分の家で食べたり親戚に配ったりしました。

 次の写真は13日夕方の迎え火です。撮影させていただいた家では、屋敷と地続きの墓地で迎え火をして先祖をお迎えし、さらに屋敷の入り口でも火を焚いて家の中に入り、迎え火の火を盆棚に移します。この後、写真にはありませんが家族が盆棚を拝み、線香を上げます。

 16日の送り火は、ご先祖がやって来る迎え火は早くというのに対し、帰られる送り火は遅くということで暗くなってから焚くこともあり、当家ではこの日の晩に行われました。少し写真が暗いですが、送るに際して盆棚を片付けています。そして、迎え火とは反対に、まず家の入口、次に墓場に行って送り火を焚いて盆は終了となりました。

 今回は一軒の家での盆の写真を取り上げてきましたが、前述のように他にも多くの盆に関する写真があり、次回以降も何回かに分けて、これらの写真を紹介していきたいと思います。

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人吉植物標本レスキュー 洗浄作業と取材対応

8月8日、水害で被災した人吉城歴史館の植物標本レスキュー作業を実施しました。作業も今回で3回目となり、作業にあたる相模原植物調査会のみなさんの役割分担や手順の確認も慣れてきて、だいぶ効率的に進んでいます。

水で洗浄中

今回も激しく泥をかぶり、カビの増殖が進んでいるものがありました。水で洗浄、エタノールで消毒をします。

標本台紙と標本を分離する作業は緊張します

台紙には色とりどりのカビが発生しているので、エタノールを噴霧して慎重に取り除きます。

カビが発生した標本台紙

今回作業した標本は1919年の採集品もありました。なんと101年前!標本を挟んでいる新聞紙も時代を感じさせます。

大正時代の新聞紙!

そして、今日は報道機関の取材も受けました。日頃の植物調査や標本作製のスキルと、東日本大震災の時の、陸前高田市立博物館の標本レスキューの経験が生きていることなどを紹介しました。

TVと新聞社、タウン誌の取材を受けました

標本レスキューは時間との勝負なので、慌てず確実に進めていきたいと思います。

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スズミグモ

博物館の駐車場脇に、直径1メートルはありそうなドーム状の網がありました。

駐車場にあったスズミグモの網

周囲を囲むようにジョロウグモの網が多数あるため、一瞬見落としかけたのですが、これはスズミグモの網です。おそらくメスの成体のものです。
スズミグモは体長2cm程。不規則網の中にドーム状のメッシュ網があるという、特徴的な網を張ります。日本国内では、もともと静岡県以西に生息していましたが、1980年以降、神奈川県内でも発見されるようになり、現在では埼玉県・茨城県・栃木県などでも確認されています。相模原市内では藤野、城山、津久井での記録があるだけです。
これは貴重な記録になると思ったのですが、肝心のクモがいません。網の状態からすると、つい最近までここにいた様子なのですが。今まで見落としていた事が悔やまれるばかりです。
かなり気落ちしながら、とりあえず隣の樹林地へ行くと…奇跡的に幼体が1個体見つかりました。

スズミグモ幼体

ごらんのとおり、ドーム網の下にぶら下がっています。
クサグモ、ヒメグモ、サラグモ類も似たような網を張りますが、スズミグモの場合はクモがいる場所の網が、シートではなく、きっちりとした網目になっています。

腹部の模様も特徴的です

これほど簡単に他の個体が見つかったという事は、探せばあちこちにいそうです。
分布を広げているかどうかはわかりませんが、もしかしたら今年はこのクモの「当たり年」かもしれません。市内ではまだ珍しいクモですので、身近に見かけたら「ちょっとラッキー」と思って間違いありません。

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玄関から20歩の自然 その30 セミの抜け殻くらべ

家のまわりの公園など、身近な場所でセミの抜け殻を探すと、かなり大きさの違う抜け殻を見つけられます。

左からニイニイゼミ、ツクツクボウシ、アブラゼミ、クマゼミ

上の写真はすべて違う種類で、左からニイニイゼミ、ツクツクボウシ、アブラゼミ、クマゼミです。
ニイニイゼミはそろそろ季節的に終わりになり、探すと見つけられる抜け殻のほとんどがアブラゼミ、またはミンミンゼミになります。この2種類は抜け殻だけ見ると、とてもよく似ています。その違いはまた改めて紹介します。クマゼミは相模原付近では比較的最近広まってきたので、分布が偏っているため抜け殻を見つけるのは難しいかもしれません。
季節がそろそろ終わって見られなくなるので、ニイニイゼミの抜け殻を紹介します。表面になぜか泥が付いているのが特徴です。

ニイニイゼミの抜け殻

成虫はこちらです。

ニイニイゼミの成虫

小さめのセミで、翅にまだらの模様が入るのが特徴です。このまだら模様が見事に保護色になっていて、鳴いていないと見つけにくいセミです。
もう鳴き声もアブラゼミやミンミンゼミにかき消されつつあります。ニイニイゼミを観察するなら、今のうちです!

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ホオズキカメムシ

ワルナスビの茎にうじゃうじゃと虫がついています。

ワルナスビに虫がたくさんついています

ナスやトマトの害虫として知られる、ホオズキカメムシです。
このカメムシは、群れる事がよく知られており、ワルナスビはナス科の植物なので、実に納得の光景です。
しかし、よく見ると面白い事に気が付きます。
色々な形、色、大きさの虫が混ざっています。

色々な齢が混在しています

実はこれ、すべてホオズキカメムシの違う齢の個体です。卵もあります。

左のほうにある黄色いツブツブは卵です

ただ群れるだけでなく、ここで繁殖をしているのですね。
様々な齢の個体が入り混じっているという事は、複数のメスが違ったタイミングで産卵して、幼虫がふ化した後も同居をしているのであろうという事が推測されます。
うっかり通り過ぎてしまいそうな道端の雑草の上でも、意外に面白いことが起きています。
そういえばいつもこのあたりを通り過ぎるときに変なにおいがしているのを思い出しました。もしかしたらカメムシのにおいだったのかも知れませんね。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介⑮ ㋵

「呼ばわり山 迷子のはやぶさ 声届く」

「相模原ふるさといろはかるた」 ㋵

㋵の札は、相模原市中央区共和1丁目にある新田稲荷(しんでんいなり)神社内の「呼ばわり山」を取り上げています。

文政元年(1818年) 淵野辺新田の鎮守として建立された「新田稲荷神社」入口

「新田稲荷神社」社殿

「新田稲荷神社」社殿の隣にある「呼ばわり山」(画像右奥の木々の中)

呼ばわり山」とは、迷子や行方不明者を捜すとき、そこへ行って鐘や太鼓をたたいて”迷子の迷子の誰それやーい”と叫ぶと、尋ねあてることができると信じられていた約7メートルの小高い丘です。

「呼ばわり山」入口

むかし、この周辺は「相模野」と呼ばれる広大な原野であったため、方向が分からずに行方不明になる人がいました。そこで、小丘を築き、人探しにご利益のある武蔵国多摩郡川口村(現 八王子市内)の今熊野権現社(いまくまのごんげんしゃ(現 今熊神社))を
勧請(かんじょう)し、祠(ほこら)を建てたと伝えられています。

「呼ばわり山」頂上に建てられた今熊神社

 

読み札にある”迷子のはやぶさ“は、小惑星探査機「はやぶさ」のことです。
小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャで、JAXA宇宙科学研究所の川口淳一郎教授は、2005年12月に宇宙で行方不明になってしまっていた「はやぶさ」の発見を祈願して、毎夜のように「呼ばわり山」に立ち寄ったと言われています。その声が届いたのか、行方不明から約一か月半後、「はやぶさ」は奇跡的に発見され、地球との通信を回復させました!絵札に鳥居と探査機が描かれているのは、上記のエピソードによるものです。

また、JAXA相模原キャンパスで現在運用中である小惑星探査機「はやぶさ2」のプロジェクトメンバー達が、2019年1月5日に新田稲荷神社を参拝し、小惑星リュウグウへのタッチダウン成功を祈願しました。その願いは届き、2019年2月22日「はやぶさ2」は小惑星リュウグウへのタッチダウンを見事に成功させました!

現在「はやぶさ2」は2020年12月の地球帰還を目指し、宇宙を旅しています。無事に地球へ近づくことができれば、小惑星リュウグウのサンプルを採取したカプセルを私たちに届けてくれる予定です。ご興味がある方は、新田稲荷神社の「呼ばわり山」を参拝して、「はやぶさ2」を応援してはいかがでしょうか。

さらに「はやぶさ2」の活躍を詳しく知りたい方には、当館プラネタリウムで2021年3月まで上映を予定している全天周映画「HAYABUSA2~REBORN」をお勧めします!!番組や上映スケジュールについては当館HPをご覧ください。お待ちしております!

 

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館にて貸出し可能です(現在は当面の間、貸出しを休止しております)。
*貸出しの詳細やその他このかるたに関心のある方は、博物館までお問い合わせください(042-750-8030)。
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・消毒などを必ず行ってください。

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玄関から20歩の自然 その29 セミの旅立ち

梅雨が明けて、近所のセミの声がだいぶ騒がしくなってきました。
通常、関東地方南部の平地なら、7月初旬のニイニイゼミに始まり、梅雨明け前後にアブラゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、そして8月に入ってツクツクボウシ・・といった順番で鳴き始めるのですが・・近年、セミの羽化の時期が変化してきているように感じられます。今年はニイニイゼミが遅く、アブラゼミとあまり変わらず、ヒグラシやミンミンゼミも同時くらいになりました。なぜそうなっているのか、もっと時間をかけて見ていかないとわかりません。全国的に記録をしっかりとっておくことが重要ですね。
さて、8月2日の夕方、博物館の駐車場の地面を歩くアブラゼミの幼虫を見つけました。

地面を歩くアブラゼミの幼虫

ヨイショヨイショと歩いて、サクラの幹の根元にたどり着くと、迷わず登り始めました。

サクラの木の幹を羽化場所に選んだようです

おそらくあと数時間も経たずに羽化を始めることでしょう。
抜け殻はこれからの季節、あちらこちらにくっついていますが、動いている幼虫を見つけるのはなかなか難しいものです。蚊の襲来を覚悟しつつ、夕方6時から7時の間くらいに、抜け殻の多い場所を探し回ると見つけられるでしょう。土の地面がある公園や緑道などでも見つけられます。羽化前の幼虫はとてもデリケートなので、決して触らないようにして、追い掛けてみて下さい。夜8時過ぎまでがんばって観察を続けると、羽化を観察できます。下の写真は昨年撮影したもので、アブラゼミの羽化の様子です。

重力を使って羽化します

全身が抜ける直前に頭を上げて、今度は翅(はね)を重力で伸ばします

緑がかった乳白色が神秘的です

セミの羽化は、身近な場所で観察できる生命の神秘です。近くの公園へライトを持ってぜひ出かけてみて下さい。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介⑭ ㋕

家族で行こう 青根の 緑の休暇村

緑区青根の道志川沿いに青根緑の休暇村はあります。
キャンプ場施設である「青根キャンプ場」、温泉施設の「いやしの湯」、宿泊施設の「緑の休暇村センター」などを中心に、コテージやテニスコート、音楽ホールである「やまびこホール」も併設した、自然の中で活動的に過ごすための一大拠点です。

農林省(当時)の自然休養村事業の一環として昭和51年(1976)に休暇村整備事業が着手され、昭和55年(1980)6月に休暇村事業の中心施設の休暇村管理センター(現、緑の休暇村センター)が開所されました。

昭和61年(1986)、合唱曲「遙かなる友に」が道志川沿いのキャンプ場で生まれたことを記念する「遙かなる友に」歌碑が建立され、除幕式には「合唱の里」宣言が採択されました。作詞・作曲者の名前をとり、磯部俶(いそべ とし)記念道志川合唱祭が毎年9月に行われています。

平成6年(1994)には、合唱館「やまびこホール」も開設され、合唱の里の機能が充実します。

さらに、平成17年(2005)5月には、絵札に描かれている温泉施設「いやしの湯」が開館します。

また、「遙かなる友に」歌碑の隣、沢沿いには「沢水枯渇 痛恨の碑」という碑も建てられています。これは、宮ケ瀬ダム建設に伴い道志導水路(トンネル)が開鑿(かいさく)され、沢水が枯渇したことを嘆いて、平成14年(2002)に設置されたものです。

令和元年10月の東日本台風(台風19号)による国道413号の通行止め(令和2年3月解除)などもあり、さらに新型コロナウィルス蔓延のため、いやしの湯及び休暇村センターは、令和2年3月2日から休館を余儀なくされ、6月19日にようやく再開しました。青根キャンプ場も6月1日から通常営業に戻っていますが、どちらもソーシャルディスタンスを守っての営業ということで、入場者を制限する形での営業になっています。
また、令和2年度の道志川合唱祭も中止が決まっています。

そんな残念な状況ですが、自然の中で味わうバーベキューやキャンプ、コテージやテニス、源泉かけ流しの天然温泉に違いはありません。逆に、少なめの人数で、ゆったり味わえるチャンスなのかもしれません。ぜひ、ご確認の上、お出かけください。
  青根キャンプ場(キャンプ施設) 042-787-1380
  緑の休暇村センター(宿泊施設) 042-787-2215
  いやしの湯(温泉施設)     042-787-2288

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館にて貸出し可能です(現在は当面の間、貸出しを休止しております)。
*貸出しの詳細やその他このかるたに関心のある方は、博物館までお問い合わせください(042-750-8030)。
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・消毒などを必ず行ってください。

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