縄文土器の中からマメ?

昨日(6月28日)は、博物館の考古ボランティアの相模原縄文研究会(通称“縄文研”)メンバーといっしょに資料の調査と整理作業を行いました。

午前中は、国指定史跡でもある勝坂遺跡から出土した縄文土器の資料調査です。何を調査しているかというと、縄文土器づくりの際に、粘土にたまたま紛れ込んだりする植物種子などの圧痕(インプリントされた穴)です。

縄文研の皆さんで縄文土器の植物種子圧痕探し

既に勝坂遺跡からは、約5,000年前の縄文時代にダイズやその原生種とされるツルマメのマメ類を利用していたことがわかっています。ダイズは現代人の私たちも、ビールのおつまみの枝豆や納豆、豆腐など、たいへん身近な食材です。「縄文人がダイズを食べていた」と聞くと、会ったこともない「縄文人」に何となく親近感が湧きませんか?

午後からは下溝の下中丸遺跡で発見された縄文土器や石器の洗い作業です。土がこびりついている資料を、水をかけながら刷毛ブラシでやさしく洗い流していきます。遺物の洗い作業は実は一番楽しい作業で、洗っていると縄文土器のおもしろい文様が浮かび上がってくるわけです。どの時期のものなのか、何の型式なのか、資料を良く見る一番の機会になります。

水道に一列に並んで土器洗い作業

刷毛ブラシで♪トントントン♪と叩くように洗い流します

洗っている中で、興味深い土器がありました。割れていた勝坂式土器の破片が接合したのですが、それはよくある事です。

接合する勝坂式土器

土器の接合部の隙間に何やら黒いものが・・・

割れ口と割れ口のところを良く見ると、真っ黒になった圧痕(あっこん)が両方にあるではありませんか!

パカッと出てきたのは真っ黒になった植物種子圧痕

土器づくりの際に植物種子が混入して土器の焼成がされると、土器の器壁(きへき)に閉じ込められた種子は中で炭化して、圧痕も真っ黒になることがよくあります。まさにその状況で、炭化したマメの表皮らしきものも見られました。

左の炭化した種子圧痕

右の炭化した種子圧痕

その大きさも、粒の長さが10mm、厚さ4mm程で、「これはもしやダイズか?」と胸が高鳴ります。勝坂遺跡で見つかっていたダイズの圧痕レプリカは、長さ9.5mm、厚さ3.4mmです。シリコンでレプリカをとって、分析してみないと確実なことは言えませんが、興味深い資料と出会えた一瞬を、縄文研メンバーといっしょに味わうことができました。

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春から姫へ

博物館の駐車場周辺では、毎年のことながらこんな植物が目立ってきました。

ヒメジョオンの花

古典的な(?)外来植物で、“雑草”のスタンダードと言えるヒメジョオンです。
でも、こんな花なら春からいっぱい咲いていますね。よく似ていますが、こちらは、ハルジオンです(チョウチョは、ウスバシロチョウです)。

こちらはハルジオン

春に咲くハルジオン(あえて漢字を充てるなら、春紫菀)と、初夏から真夏に咲くヒメジョオン(姫女菀)は、梅雨の初め頃には開花時期がオーバーラップします。見分け方は図鑑を見るといろいろ書いてありますが、一番わかりやすいのは、葉の付け根です。付け根が耳のように張り出して茎を軽く抱くのがハルジオン。

葉の付け根が茎を抱く(茎に沿って回り込む)ハルジオン

まったく抱かないのがヒメジョオンです。

葉の付け根はあっさりとしているヒメジョオン

そして、一見そっくりな花も、よく見ると違います。糸のように細い花弁ですが、ハルジオンの方がさらに細いのです。こちらはハルジオン。

糸のように見えるハルジオンの花弁

少し幅広いヒメジョオン

少し幅広い花弁のヒメジョオン

図鑑では「ハルジオンの花やつぼみはピンク色を帯びることが多い」と書かれていますが、上の写真のようにヒメジョオンも花期の始めの方では結構ピンク色のものがあり、この見分け方はアテになりません(しかも初夏のハルジオンはほとんどピンク色になりません)。
そして、茎が中空(ちゅうくう=ストロー状)なのがハルジオンで、詰まっているのがヒメジョオンなので、茎をつぶすように押すとわかる、ともあります。でも、中身が詰まっているといってもスポンジ状の組織なので、ヒメジョオンも若い茎だと押せば簡単につぶれます。これは、ちゃんと切断面を見ないとわかりません。
こちらがハルジオン。

茎が中空のハルジオン

こちらがヒメジョオンです。

スポンジ状の組織で中身が詰まっているヒメジョオン

ハル(春)からヒメ(姫)へ、季節とともに植物も置き換わります。梅雨も本番となり、博物館のまわりでも夏の植物がどんどんと咲き始めていますので、またそちらもご紹介していきたいと思います。

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ヤツボでヒンヤリ

梅雨らしい日和になってきました。梅雨明けは、過去の平均では7月21日頃のようで(気象庁HPより)、市内の小中学校の多くがちょうど夏休みに入る時期です。梅雨が明ければ夏本番。

ヤツボの測量調査

梅雨が本格化する前の6月23日、大島の「ヤツボ」調査に行ってきました。ヤツボとは、主に大島から田名地区にかけてみられる湧水の施設です。相模川沿いの崖から自然に湧き出る地下水を、岩盤を削り込んだり石垣で囲うなどして水を溜める施設で、地元では「ヤツボ」と呼ばれています。古くは江戸時代からあり、地域の人々の生活の水場として大いに利用された土木的遺構です。大島では中ノ郷、水場、古清水の3地域のヤツボが市の登録史跡として登録され、地域の人々によって大切に守られ、見学することもできます。

大島中ノ郷のヤツボ(市登録史跡)

大島水場のヤツボ(市登録史跡)

大島古清水上組のヤツボ(市登録史跡)

現在、博物館では市文化財保護課と共同でヤツボの調査を進めており、この日はヤツボが、段丘面からどのくらい下がった崖に造られているのかを測る測量調査を行いました。太陽に照らされると非常に熱い日でしたが、ヤツボ測量中は清らかな水の流れでヒンヤリとして、心地よい癒しの空間でもありました。

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砂展展示解説6/25

企画展「砂展〜日本の砂・海外の砂〜」の展示解説を6月25日に行いました。

はじめに、相模川水系の川原の砂の元となる岩石について説明しました。

サハラ砂漠や南極の砂など、海外の砂に皆さんの関心が集まります。

海外の砂を説明しているところです。

神奈川県内の砂も、並べてみると場所ごとに違っているのがよくわかります。

神奈川県内の海岸の砂の違いについて説明しています。

砂の中の有孔虫がどれくらい小さいかを実物で、また、小さいけれど種類によって形が違うことを顕微鏡写真で説明しました。

今回も多くの方に聞いていただきました。ありがとうございました。

これで、砂展の関連事業は全て終了しました。

砂展も最終日の7月2日まで残りわずかです(6/27、28は休館日です)。少しでも多くの方にご覧いただければ幸いです。

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不思議でかわいいカイコ!

今日(6月24日)は毎月恒例の生きものミニサロンでした。お題はこちら!

5齢になったばかりのカイコ

「不思議でかわいいカイコ!」

素敵な看板でお出迎えしました

サポートスタッフさんによる素敵な看板のおかげで、たくさんの方にお集まりいただきました。

ぐいぐいと前のめりになってきいてくれました

まず、博物館で飼育中のカイコをじっくり観察して、カイコの絵を完成させてもらいました。

すごい集中力で観察!

最初は容器ごしに見ていたお子さんも、だんだん慣れてきて手乗りカイコで観察!

手乗りカイコ!

カイコの目や脚のおはなし、繭や成虫、そしてカイコに近縁な野生の蛾であるクワコのことなど、いろいろなお話をきいてもらいました。手に乗せたときのひんやりした感触や、一心不乱に食べ続ける姿にみなさんとても関心を持たれていました。来月は7月22日(土)の12時から実施します!

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明日のミニサロンはカイコです!

明日(6月24日)は毎月恒例の生きものミニサロンを実施します。
博物館で現在飼育展示しているカイコについてじっくり観察する予定です。

5齢になった飼育中のカイコ

カイコの体のつくりや成長のようすなど、手にとってじっくりと見ていただこうと思います。
そして、こんな繭もお見せします。

カイコの繭にはもともと黄色いものがあります

左は実用品種の「かいりょう・あけぼの」の繭ですが、右は黄色い繭をつくる系統の交雑品種です。
ほかにも形の違う繭などご紹介します。お申し込み不要ですので、正午に博物館1階エントランス付近にお集まりください!

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花5題

最近の市域での植物分布調査中に、発見!というほどではないけれど、思わず写真を撮ってしまった花についてご紹介します。まずはこちら、カワラナデシコです。通常は梅雨の終わり頃に見ごろとなる花ですが、一足早く満開となっていました。

カワラナデシコ

これが相模川の河原なら普通のことなのですが、河原でもなんでもない、中央区の市街地内の、ある場所で撮影しました。カワラナデシコは、いわゆるナデシコです。つまり、なでしこジャパンのナデシコということになります。見事なピンク色ですね。
さらにもう1種、カワラとつく植物で、こちらはヒロハノカワラサイコです。

ヒロハノカワラサイコ

おそらくこの場所が、かつて相模川の河原から客土して造成されたのではないかと考えられ、その証拠の植物がこうして見られるようです。
一方でこちらは外来植物ですが、同じ場所で見られたハルシャギクの大群落です。

ハルシャギク

特定外来生物のオオキンケイギクに近縁の植物ですが、市内ではこんな大群落はほかにありません(といっても、この写真を撮影している時はすでに草刈り中でした)。
そしてこちらは中央区の別の場所のセイヨウフウチョウソウです。

セイヨウフウチョウソウ

園芸用として人気の植物ですが、こうして建物が撤去された後の更地に突如群生することがあります。
最後に、博物館お隣の純林地で今見られる、地上の星です。

アカメガシワの雄花

アカメガシワという樹木の雄花です。満開の後、地面に花を落としています。花びらが無く、黄色いおしべが星の瞬きのように見えますね。

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雨ニモ負ケズ、市民学芸員研修~平塚市博~ & 市民学芸員を募集中!

6/21(水)に市民学芸員の研修として、平塚市博物館に行きました。平塚市博物館も当館同様に人文、自然、天文分野を扱った地域の総合博物館で、しかもボランティア活動が盛んな博物館でもあります。

エントランスには引き出しがいっぱい!

午前中は平塚市博物館の学芸員から館の概要、取り組みなどの講義と、展示解説ボランティアさんからその活動概要と展示解説をしていただきました。なんと開館日には必ず3~4名の展示解説ボランティアがいるそうです(驚!)

平塚市博 学芸員からの説明

 

展示解説ボランティアから平塚宿の説明

この日は朝から雨模様で、昼頃には雨脚が強まってきました。実は、昼食を外でとる予定であったため、参加者はみな雨にも負けず外に繰り出し、大変だった分ご飯をおいしく食べられたと思います。

午後は、プラネタリウムを視聴しました。天文担当の学芸員さんに説明いただき、しかも研修用プログラムとして、設備、運営、普及事業などもお話しいただきました。

プラネタリウム・・・天体が近くに感じられます

帰りのバスに乗っている時が最も雨が激しかったのですが、当館に着いた時にはピークは過ぎ、無事に研修を終えることができました。

なお、現在当館では、新規の市民学芸員の募集を行っております。今回のような研修をはじめ、様々な博物館イベントへのスタッフ参加や展示準備など、博物館でしか体験できないことに関わることができます。そして、楽しい仲間がたくさんできると思いますので、興味がある方は、当館ホームページや広報さがみはら6/15号をご覧下さい。

夏の恒例 市民学芸員による企画「クイズラリー」

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いろいろな砂を顕微鏡で見てみよう

6月18日に「いろいろな砂を顕微鏡で見てみよう」を開催しました。

毎年恒例の普及事業ですが、今年度は企画展「砂展〜日本の砂・海外の砂〜」の関連事業として開催しました。
ボランティアとして相模原地質研究会と相模原青陵高校地球惑星科学部の皆さんにご協力いただきました。

沖縄のサンゴ礁の砂やサハラ砂漠の砂、南極の砂など、日本各地と海外の32か所の砂を顕微鏡で観察しました。

砂を顕微鏡で見るとこんな感じです。

顕微鏡で見た南極の砂

鳴り砂の体験は、今回からは島根県の琴ヶ浜の砂を使いました。前回までは福島県の豊間海岸の砂を使っていました。鳴らしているうちに、鳴かなくなるので、そうなったら新しい砂と取り替えます。豊間海岸の砂を使い切っとところで、タイミングよく琴ヶ浜の砂をたくさんいただきました。豊間海岸の砂は鳴らすのにコツが必要でしたが、琴ヶ浜の砂は誰でも簡単に鳴らすことができました。

実物の砂入りカードも作りました.砂は神奈川県由比ヶ浜の砂、沖縄のサンゴ礁の砂、サハラ砂漠の砂の中から一つ選びます。

多くの方に楽しんでいただくことができました。

お手伝いいただいた相模原地質研究会と相模原青陵高校地球惑星科学部の皆さん、どうもありがとうございました。

6月25日(日)午後2時〜2時30分に砂展の展示解説を行います。こちらも、ぜひご参加ください。

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本能寺の変 そして・・・

5月下旬に山梨県へ資料調査に行った際、念願であった岩殿城跡も巡りました。岩殿城跡は山梨県大月市に所在する戦国時代の山城で、山梨県指定史跡にも指定されています。なぜ隣国甲斐の岩殿城を踏査したかったのか。それは表題の本能寺の変まで遡ります。
時は戦国時代、天下人までのぼりつめた織田信長でしたが、天正10年(1582)6月2日に、京都の本能寺に宿泊していた折、家臣の明智光秀の謀反により天下統一への道半ばにして急死するという歴史的な一大事件。小学校の授業でも必ず学ぶ日本の歴史です。旧暦の6月2日は、新暦でいうと今日からちょうど435年前の6月21日の出来事です。本能寺の変の波及は全国へ広がります。
戦国時代の市内は、関東の雄 北条氏の支配領域ですが、北条氏の支城である津久井城を本拠に津久井領を治めていたのは、その城主内藤氏になります。津久井城は相模と甲斐を結ぶ境目の城として、軍事的にも重要な山城です。実はこの内藤氏、本能寺の変による混乱に乗じて当時織田領であった甲斐に進軍し、岩殿城を奪取していたのです(天正10年6月13日北条氏政書状)。
岩殿城は標高634mの岩殿山に築かれた山城です。中央線や中央高速道路で大月方面に行ったことがある人は、右前方に大きな岩山をご覧になった方も多いと思います。岩殿山は高さ150mもの岩(礫岩)が露出した断崖絶壁が甲州道中沿いに面し、周辺の景観を圧倒しています。東国屈指の堅固な城としても知られ、現地に立つと確かに頷いてしまいます。

鏡岩となる礫岩の断崖絶壁

「揚城戸跡」(礫岩の切り通しの城道)

その山頂部に本丸などの曲輪(くるわ)や水手(みずのて)である池、敵の侵入を防ぐ堀切りなどが築かれています。

「馬場跡」とされる曲輪

右「亀ヶ池」 と左「馬洗池」

山頂部尾根の堀切り

登山道は整備されており、麓から30~40分で山頂まで行けました。山頂からの眺めは雄大で、435年前の緊迫した甲斐国で、津久井城主の内藤綱秀もこの眺めを見ていたのかなと思うと、感慨深いものがあります。

山頂からの眺め(手前から中央高速道路、桂川、JR中央線と大月駅)

なお、天正10年6月13日北条氏政書状は、3月に刊行しました『ふるさと津久井』第7号(下山治久「津久井城の在番衆と山角定勝」)に掲載されています。興味を惹かれた方は、合わせて是非ご高覧ください。

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