ミニ解説② 家康の祖先と期間限定「どうする家康」等身大パネル展

相模原市立博物館では、2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送開始にちなみ、1月7日(土)からミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」を開催しています。
このミニ展示では、ドラマの主役である徳川家康やその祖先、重臣(おもだった有力な家臣)にまつわる身近な伝承地について、相模原市内を中心にパネルや写真で紹介しています。

そして現在、1階エントランスの正面玄関入ってすぐの場所で、NHKとの共催により本家大河ドラマ「どうする家康」出演者の等身大パネルを設置しています
当館にやってきたのは、織田信長(岡田准一さん)、お市(北川景子さん)、徳川家康(松本潤さん)、瀬名(有村架純さん)、大久保忠世(小手伸也さん)、豊臣秀吉(ムロツヨシさん)の6名の等身大パネルです。2月26日(日)までの限定となりますので、ぜひこの期間にお越しください!

そうそうたる顔ぶれ!期間限定のため、お早めにお越しください!

さて、ここからは前回に続き、ミニ展示に収まりきらなかった「ゆかりの地」の魅力や、展示の裏話などをお伝えしたいと思います。
ミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」は3つのテーマで成り立っているのですが、その一つが以前ブログのミニ解説で取り上げた家康の「霊柩遷座(れいきゅうせんざ)」です。
今回、このブログでは二つめのテーマである「家康の祖先」について紹介します。

家康は生来「徳川」姓だったのではなく、元々は「松平(まつだいら)」という氏を名乗っていました。
改姓の3年前にあたる1563(永禄6)年、本拠・三河国岡崎(愛知県岡崎市)周辺に勃発した「三河一向一揆」をその翌年に鎮圧したのち、同年中にほぼ三河一国を統一した家康は、当時盛んに勢力を拡大していました。そして、1566(永禄9)年に朝廷の許可を得て改姓し、従五位下(じゅごいのげ)三河守(みかわのかみ)に叙任されることで、名実ともに戦国大名となったのです。

それでは、家康が当初名乗っていた松平氏の祖はどのような人物であったのでしょうか。そのゆかりの地が、当麻山無量光寺(南区当麻)の境内にあるお髪塚と言われています。
このお髪塚は、家康の祖先で10代前の世良田有親(せらた ありちか)と、9代前の松平親氏(まつだいら ちかうじ)父子が帰依(きえ)した際に落とした髪を埋めたことに由来します。両名は南北朝の戦乱に敗れて足利氏に追われる中で当麻山無量光寺に来山し、八代他阿(たあ)良光に帰依して時僧となったと伝えられています。子の親氏はその後、諸国を巡り歩いて三河国松平郷(愛知県豊橋市)にたどり着き、還俗(げんぞく)して家康の祖先となりました。

展示している写真のお髪塚はちょうど紅葉の見頃でしたが、市指定史跡でもある無量光寺の境内は、訪れる時期により四季折々の美しい景色を見られることが魅力のひとつです。
また、当館の自然・歴史展示室内にある仏教遺産コーナーには、お髪塚の五輪塔の原寸大複製が展示されていますので、ミニ展示と合わせてご覧いただければと思います。

紅葉の絨毯が美しい無量光寺のお髪塚

松平家ゆかりの地として、ミニ展示では愛知県岡崎市の大樹寺を紹介しています。
大樹寺は松平家・徳川将軍家の菩提寺で、「どうする家康」第2話の舞台としても描かれた場所です。十三代登誉(とうよ)上人に説かれた「厭離穢土(おんりえど)欣求浄圡(ごんぐじょうど)」(苦悩の多い穢(けが)れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い、心から欣(よろこ)んで平和な極楽浄土を求め願うことの意。)の言葉は大樹寺本堂内陣に刻まれており、家康終生の座右の銘として旗印にもなりました。
実はこのミニ展示で紹介している「ゆかりの地」は、全て担当職員が実際に訪問した場所を写真に収めてパネルにしており、大樹寺も昨夏訪問した際に撮影した写真をお寺の許可を得て展示しています。岡崎市内では訪れた先々で「厭離穢土欣求浄圡」を目にする機会があり、現代でも大切にされている言葉であることを実感しました。

今回の絵葉書は愛らしい眠り猫や素朴な町並みが中心です。

前回のブログでお知らせしたとおり、津久井郷土資料室旧蔵資料の絵葉書は2月5日(日)から内容が替わっています。今回の第2弾では、小田原や府中、三島の市街地の絵柄や、かわいらしいカラーの眠り猫など9枚を展示しています。
こちらは3月上旬頃に入れ替えを予定していますので、2月26日(日)までの期間限定等身大パネル展と一緒に、お見逃しなくご覧ください。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その3

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は町田市「なすな原遺跡」の出土品を紹介します。展示では、神奈川県周辺の良好な資料として同遺跡の晩期の土器、石器を展示しています。いずれも町田市教育委員会所蔵です。

晩期の土器 高さ29㎝

晩期の土器 高さ31㎝

晩期の土器。4つの突起が印象的です。高さ:21㎝

晩期の土器は中期の勝坂式土器のように粘土紐を多用した立体的な文様や、あふれる躍動感はないものの、沈線や細かな縄文が施文されており、どことなく静的な印象を受けます。いずれの土器もどの部分に縄文があるのか、探してみるのも面白いかもしれません。

矢尻などの石器。右下は信州産の黒曜石を用いています。

縄文時代後~晩期になると矢尻が多く出土します。写真右の2点は異形石器と呼ばれるもので、祭祀に用いられたと推測されます。どちらも押圧剥離で丁寧に作られています。

押圧剥離のやり方。鹿角を使った復元です。

 

耳飾り(いずれも複製)

こちらの写真は土製耳飾りです。単なる棒状ではなく、精緻な彫り込みがみられます。
後期の終わりごろから晩期にかけて耳飾りを中心に、装身具が多く使用されるようになります。

縄文時代が終わりに近づく晩期は今からおよそ3200~2400年前であり、遺跡数も中期と比較するとかなり減少していた時期になります。本展示は晩期を生きた人々の痕跡を土器、石器などから知る良い機会です。じっくりご覧ください。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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鶯色の真実

みなさんは鶯色(うぐいすいろ)と聞いて、どんな色を想像しますか?
下の二つの色見本のうち、どちらが鶯色でしょうか。

鶯色とはどちら?

現在は、鶯色というと右の色を指す人が多いようです。
しかし、鶯色は、左の色です。右は、萌黄色(もえぎいろ)で、どちらも日本の伝統色と言われ、言葉としても古くから布地の染色などに使われてきました。
実際、ウグイスは下の写真のような色合いです。

ウグイス

さえずりの美しさに比べてずいぶんと地味に見えますし、滅多に明るい場所に出てこないため、ウグイスの声は知っているけど見たことはない、という人が多いと思われます。
そして、鶯色の誤解を決定づけたのは、花札でしょうか。「梅に鶯」という札に描かれた鳥の色合いが、萌黄色や浅緑色(あさみどりいろ)などに近いものでした。お似合いの組み合わせで粋(いき)を表現したものと思われますが、実際に梅の花が咲くころによく梅の木にとまるのは、メジロです。

梅の花の蜜を吸うメジロ

つまり、メジロの色合いが札に描かれたことで、それが鶯色と混同されてしまったようです。ウグイスは薮の中が好きなので、梅の花の咲く枝にとまることはめったにありません。
他にも、和菓子でうぐいす餡(あん)やうぐいす餅などというと、たいていは黄緑色に近い色です。間違いというよりは、意図的に食欲をそそる色合いを出しているのかもしれません。
ちなみに、現在放送されているNHKテレビの「テレビ体操」という番組のタイトルバックにも、梅の花と小鳥が登場します。そこにはしっかりとメジロと識別できるイラストが描かれていました。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その2

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「顔面把手(がんめんとって)」。勝坂式土器にみられる土器の縁の部分(口縁)に、顔が付くものです。

展示中の資料は座間市蟹ケ澤(かにがさわ)遺跡から令和4年10月にみつかったものです。

両面にお顔がある顔面把手

相模原市では、下溝大正坂遺跡出土のものがあります。そのお顔を比較してみると・・・

ゆるい「m」字のまゆげ、特徴的なお鼻、開いた口、両側に貫通した穴があるなど、共通している部分があります。

左:蟹ケ澤遺跡 右:下溝大正坂遺跡(相模原市)

土器の外側・内側

さらに、横から見ると、お鼻や目の高さが微妙に違います。

赤破線:推定の大きさ

上の写真は土器の内側で、顔が歪んでついています。なぜ内側かというと、残存する口縁のカーブの状況や、土器の上から見ると顔が中心側を向いていることがわかるためです。また、赤の破線はおそらくはこのような口縁の大きさでは?と推定したラインです。

常設展示の勝坂式土器のコーナー

常設展示の土器と口縁の具合を比較すると、大きい土器は弧が緩やかで、小さい土器は弧がきつくなっています。このことから中ぐらいの大きさの土器につけられたものかもしれません。

皆さんも実物をじっくりご覧いただき、縄文人の顔への意識を考えてみるのはいかがでしょうか。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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冬鳥の表情

先日、継続的に行っている野鳥の調査のために、市内南区下溝の相模原沈殿池へ行きました。今冬はオシドリが滞在しているので、観察に来ているバードウォッチャーが何人もいました。

オシドリのオス(左)とメス(右)

こちらはすでにペアになっているのか、なんとなく余裕の表情です。現在、10羽ほどの群れになっていますが、メスは2羽しかいないため、ちょっとアンバランスですね。ところで、「おしどり夫婦」という言葉がありますが、オシドリは毎年ペアを作り直します。
こちらは、護岸で寝ているコガモです。

護岸で休息中のコガモ

日なたでのんびり寝ているように見えますが・・じつは、しっかりこちらを見ています。

アップにすると、しっかりこちらを見て警戒しています

休息中も警戒を怠ってはいないのが、野生生物らしいですね。
こちらは畑地で食べ物探しをしていたツグミです。

ツグミ

3歩ほどホップしては立ち止まり、背伸びをしてあたりをうかがっています。バードウォッチャーの間では「だるまさんがころんだポーズ」などと呼ばれますが、実際は遊んでいるわけではなく、警戒中です。姿勢のせいもあるかもしれませんが、キリッとした表情に見えますね。

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「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」展示品紹介その1

現在、開催中の「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」で展示中の資料を紹介します。

今回は「注口土器と土偶」。注口土器は今から約4200年前の縄文時代後期に一般化した土器で、注ぎ口がつけられ、急須あるいはヤカンのような形状です。展示では綾瀬市上土棚南遺跡から出土した資料を紹介しています。

こちらが注口土器。左は注ぎ口が破損してみつかったものです。(左:高さ10㎝、右:高さ12㎝)

高さ8㎝の小形の注口土器。しっかり注ぎ口があります。

縄文土器と言えば深鉢形がよく知られていますが、注口土器はなんともユーモラスな形をしています。何に使われたのかはっきりしませんが、お酒を入れたり、祭祀に使ったものと推測されています。よく見ると細かな沈線や縄文が施文されているのが分かります。

また、綾瀬市上土棚南遺跡の土偶を3体展示しており、いずれも綾瀬市の指定文化財に指定されています。

中空土偶に手足があります。高さ:22㎝ 黒味が強い部分は復元部分

筒形土偶の胴部。頭は見つかっていません。高さ:14㎝

筒形土偶の顔

これらの注口土器と土偶から上土棚南遺跡の縄文人はどのような祭祀をしていたのでしょうか??実物から想像してみるのも面白いと思います。

本展示は3月5日(日)まで開催しています。また、3月4日(土)には展示解説がありますので、ぜひご参加ください。

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博物館収蔵資料紹介~講の掛軸

講(こう)は、地域の人々が集まって特定の神仏をまつり、信仰的な行為を行うもので、市内にもさまざまな講が見られました。その際には神仏の姿や文字を書いた掛軸(かけじく)を飾り、博物館でも各地の掛軸を収集しています。

最初の写真は、南区下溝の古山(こやま)集落で平成14年(2002)4月16日に行われた念仏講(ねんぶつこう)の様子で、正面に掛軸を飾り、その前で出席者の女性が並んで念仏などを唱えています。念仏講は市内で広く行われていましたが、この地区では写真の念仏講が最後となり、掛軸など使用するものが博物館に寄贈されました。

二枚目の写真は掛軸を撮影したもので、左側は十三仏(じゅうさんぶつ)で13の仏が描かれています。真ん中の掛軸には「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と書かれており、南区当麻の古刹(こさつ)である無量光寺(むりょうこうじ)と係わるものです。そして、右側は有名な観音(かんのん)をまつっている八王子市大塚の清鏡寺(せいきょうじ)から出された掛軸です。                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お稲荷さんは各地にあり、稲荷講も盛んに行われていました。この写真は南区当麻の掛軸で、女神や狐とともに白笹(しらささ)稲荷大神と書かれています。白笹稲荷はこの近辺では秦野市が有名ですが、この地区では、明治45年(1912)に火防の神として秦野の白笹稲荷社から御霊(みたま)を分けていただき、稲荷講では地元の白笹稲荷社にお参りしたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の写真は、土地や作物の神である地神講(じしんこう)の掛軸で、このように地神講では武士の姿をした神を描いたものもありました。掛軸の絵は、中央区上溝出身の日本画家である吉川啓示(よしかわけいじ)画伯に昭和26年(1951)に依頼したもので、地元の高名な画家が描いたものとしても注目されます(収集地・中央区田名)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の写真も地神講と同じ地区からいただいたもので、勢至菩薩(せいしぼさつ)としてまつられていました。地神講の掛軸は昭和になってから作られたのに対して、こちらは古くからあり、この地区では、女性による毎月二十三日夜の二十三夜講や二十六日の二十六夜講が行われ、その際に飾られたものではないかとされています。明治19年(1886)からの二十三夜講の記録なども残されており、これらも一緒に寄贈されました。                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は講に関する資料を中心に紹介しましたが、このほかの信仰に係わる資料もたくさん保管しています。次回もそうしたものを取り上げたいと思います。

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津久井城跡市民協働調査の講習会・展示製作を行いました。

今年11~12月初めに行った津久井城跡城坂曲輪群の7号曲輪について、その調査成果を博物館にて発表しました。
開催日は1月18日、当日は29名の参加がありました。

会場の様子

講師は文化財保護課職員であり、津久井城跡の概要や7号曲輪の位置、どこに調査トレンチを入れ、どのような土層があったのか、何がみつかったのか説明しました。

多くの情報を整理し、丁寧に説明。

調査結果の概要ですが、地山である関東ローム層を削った段切りがみつかり、平場が造られていたことが確認されました。そして出土遺物から16世紀後半の天正期には平場が利用されていたと推測されます。なお、この時期は下段に位置する5号曲輪の庭園遺構が築かれた時期と同じです。

 

2月2日には展示を製作しました。参加した市民調査員は6名です。
市民協働調査では、毎年博物館で開催される考古分野の展示で、11月に行った発掘調査の成果を公開しています。
まずは、座学。考古担当学芸員から博物館の機能や学芸員の役割、過去の津久井城跡の展示の様子を説明します。津久井城跡市民協働調査の成果公表についても、市民調査員に参加して頂き、津久井城跡の様子をみんなで伝える目的があります。

博物館の機能、学芸員の役割は??みんなで考えます。

座学の後は、特別展示室に移動し、解説パネルの製作です。カッターナイフを使い、丁寧に切ります。展示には見栄えが必要です。安全第一かつ綺麗に仕上がるよう、みなさんをサポートします。

安全第一!

写真パネルなどが完成したので、展示ケース内で配置を決めます。皆さんが調査した遺跡なので、どのように配置するのか、皆さんでじっくり話し合います。配置が決まったら、打ち付けます。

ケース内に虫ピンで打ち付けます。

パネルを打ち付けること9枚!

その後、考古担当学芸員によりケース内に出土した土器や記録図面、解説パネル等を入れ込み、完成しました。

完成した7号曲輪の展示

令和4年度の調査成果は「かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」の中で展示しています。3月5日まで特別展示室で公開していますので、ぜひご覧ください。

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今日の雪

2月10日、今冬初めて、本格的な積雪を伴う雪が降りました。博物館もすっかり雪景色です。

2月10日午前の相模原市立博物館

博物館の前の通りも路面に雪があります。博物館は通常どおり開館していますが、周辺及び敷地内は大変滑りやすくなっています。

博物館前の様子

さて、せっかくの機会なので、雪の結晶を撮影してみました。

2月20日の雪の結晶

地上へ到達するまでに大半の結晶は崩れたり、ほかの結晶とくっついて形がわからなくなります。六角形のまま降ってきて、さらにそれが撮影しやすい位置に収まる確率はごくわずか。これらの写真は、博物館駐車場のフェンスの上に積もったものを撮影しました。フェンス沿いを何往復もしてやっと撮影できました。

雪の結晶

雪の結晶

ふと思い出して、前庭のウグイスカグラのところへ行くと、雪をかぶった花が、けなげに咲いていました。

ウグイスカグラの花

そばでヒヨドリが、慌てた様子でヤブランの果実を食べていました。
野生動物にとって、積雪は飢餓に直結します。明日は晴れ予報です。しっかり雪を融かしてくれるよう、太陽に期待しましょう。

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野鳥の標識調査

毎年、博物館お隣の樹林地で野鳥の標識調査を実施しています。これは、標識調査の資格を持った人(バンダー)がカスミ網で野鳥を捕獲し、足環(あしわ)を付けて放鳥するものです。その足環が今後、どこかで回収されると、その野鳥の移動や生きた年月が明らかになるもので、環境省が山階鳥類研究所に委託して行っている専門的な調査です。今年も2月6日から7日にかけて実施しました。
捕獲調査なので、ふだん近い距離で見ることがあまりない野鳥を、間近で観察できます。例えば、タカの仲間のツミです。

ツミ(オス)

精悍(せいかん)な顔つきで迫力満点ですが、ツミは国内のタカ類の中で最小です。これはオスなので、ヒヨドリくらいの大きさしかありません(タカの仲間の多くは、オスよりもメスの方が大きいのです)。
こちらはトラツグミです。普段は薮(やぶ)の中にいてあまり姿を見せてくれないので、こうして近くから見ると、その美しさ、堂々たる大きさに圧倒されます。

トラツグミ

こちらはエナガです。双眼鏡ごしに見ていても小さな鳥ですが、間近に見ると改めてその小ささに驚きます。

エナガ

こちらはシメです。頭部の黄金色が美しいオスです。

シメ

よく見ると、翼の先端近くに青紫の光沢が見えます。こんな色合いも、間近でなければなかなかわかりません。
さらに今回は、足環のついた鳥の再捕獲が多くありました。中でも、2020年1月に同所で足環を付けたシロハラが捕獲されました。シロハラは日本では冬鳥で、中国東北部からロシア沿海地方にまたがる繁殖地のどこかの地域と、この場所を3往復半していることになります。なんとも感慨深い“再会”となりました。
こちらは捕獲はできなかったのですが、調査ステーションの真上に飛んできたリュウキュウサンショウクイです。

リュウキュウサンショウクイ

この鳥は近年になって東日本へ分布を広げてきた注目の野鳥です。神奈川県内では繁殖も確認されていて、この鳥の季節移動の実態がどうなっているのか注目されています。標識調査ができれば、そうしたことの一端も見えてくるかもしれません。今後、この鳥にも標識を付けられたらと、新たな目標もできました。
寒い中、早朝からの作業でしたが、いろいろな成果が出て充実した調査となりました。

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