【3月5日まで】「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」開催中です。

当館では令和5年2月7日(火)から3月5日(日)まで、「令和4年度かながわの遺跡展 縄文人の環境適応」を開催しています。

博物館正面の表示も展示に合わせて入れ替えました。

今回テーマは、「縄文時代中期~晩期にかけての環境適応」です。

特別展示室正面です。

縄文時代の中期(約5,500年前~約4,500年前)から後期(約4,500年前~約3,300年前)は、気候の寒冷化があったと推測されています。縄文人はこの環境の変化に対応しようと暮らしを変化させたことが、様々な遺構や遺物の様相からわかります。
今回は県内を中心に考古資料から縄文人の環境適応を紹介します。

展示の様子

中期の土器が並んでいます。

注ぎ口がついた「注口土器」

展示の見どころに有機質の資料、すなわち「骨」・「木」があります。貝塚からはイノシシやシカなどの骨がみつかっており、主に動物骨を縄文人が加工し、漁労具として使用していました。また、水が湧く低地などに木を加工した杭や板を組み合わせ「水場遺構」を設置していました。これは堅果類のアク抜きをした施設と考えられます。このように縄文人が多様な自然環境を適応していたことが明らかです。

遺跡から見つかった骨の漁労具や、木製品

縄文土器、土偶をはじめとし縄文人の生活ぶりが伺える資料を約600点展示しています。この機会に縄文人が残した優品をじっくりご覧ください。ご来館をお待ちしております。

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2月から3月にかけて宇宙イベントが盛りだくさん!

博物館のチラシやホームページなどで、もしかしたらお気づきかもしれませんが、2月から3月にかけて宇宙関連の事業が次から次へと予定されています。

まず、2月11日は、令和4年度「宇宙(そら)に飛び出せ!中央区こどもカレッジ」のオンラインイベントが開催されます。こちらは相模原市内在住在学の小学3年生から6年生が対象。申し込みは2月5日までです。イメージ画像

そして、2月18日は、「はやぶさ2#寄席」。こちらは先日の受付開始と同時に怒涛の申し込みをいただきまして、おかげさまで1部2部とも満席になっています。でも、配信もありますので、当日参加できない方も、お楽しみいただけます。また、ツイッターで事前質問を受付中ですので、2月17日までに「#haya2_QA」とハッシュタグをつけてつぶやいてくださいね。

その翌週、2月25日は、毎年恒例の「研究機関等公開講座JAXAコース」として「『はじめての宇宙科学』~三世代で星空を眺めよう~」を開催します。こちらは昨年に引き続き、プラネタリウム(今年は全天周映画「ノーマン・ザ・スノーマン~流れ星のふる夜に~」)をご覧になってから、大会議室での講演会、という趣向になっています。昨年は苦渋の決断で講師の先生の研究室からの中継という形になりましたが、どうやら今年度はリアルイベントとして開催できそうです。全天周映画をご覧いただいてから、JAXA宇宙科学研究所宇宙科学広報の大川拓也さんによる、宇宙についてのクイズやお話を伺います。タイトルどおり、小学生から大人まで、みなさまに楽しんでいただける内容です。もちろん、親子や祖父母と孫、という組み合わせでもご参加いただけますし、大人の方お一人や大人だけのグループ参加も可能です。こちらの申し込みは生涯学習センターへ直接か電話(042-756-3443)、あるいはメール(silc@sagamihara-kng.ed.jp)で2月4日午前9時からは相模原市在住・在学・在勤の方の先行申込期間、②(残席がある場合は)2月11日からは市外の方もお申し込みいただけます。

午後1時からのプラネタリウムを見ていただく関係上、開始時間は厳守となりますのでよろしくお願いします。

はじめての宇宙科学 ポスター

同じく、2月25日には「ナイトプラネタリウム&観望」。こちらのお申し込みは前月22日までということで既に終了いたしました。当選者の方、当日現地でお会いしましょう。

さらに、3月11日には既報の令和4年度「宇宙(そら)に飛び出せ!中央区こどもカレッジ」のオフラインイベントが開催されます。こちらも受付終了。たくさんの応募をいただいておりまして抽選になる見込みとのことです。

3月25日開催の「ナイトプラネタリウム&観望」のお申し込み受付は2月15日から22日までです。詳しくはこちら。毎回抽選となる人気の事業ですが、ぜひチャレンジを!

この「ナイトプラネタリウム&観望」は、毎回多くのお申し込みをいただき、年度当初は先着順とさせていただいていたものを、途中から抽選方式にしたものです。これからもよりよい運営方法を検討していきたいと思っていますので、ご理解とご協力をお願いいたします。

さて、長々と列記して参りましたが、実は他にも企画を進めているものがあります。お知らせできる時期になるのが私たちも待ち遠しいものですので、どうぞお楽しみに。

みなさまのご参加、ご来館をお待ちしております!

 

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博物館収蔵資料紹介~こどもの儀礼

前回は、人の一生の中でも婚礼の資料を取り上げました。今回は子どもの誕生や成長にまつわる資料です。

最初の写真は、南区下溝で昭和18年(1943)に生まれた女児のオビアケ(宮参り)の際に、中央区淵野辺の実家から贈られた着物です。前回、昭和17年に結婚した方が使った髪飾りを紹介しましたが、その翌年に誕生した長女のものです。第二次世界大戦中の物資の乏しい時代で買うこともできず、実家で持っていた糸を染めて織ってもらいました。                   

 

糸に挽(ひ)いても良い生糸にならない屑繭(くずまゆ)を、枠(わく)に引っかけて広げて作る真綿(まわた)は、布団の中の綿が寄らないように入れるほか、寒い時期には背中に入れたり、首に巻いたりしました。

そして、子どもが生まれて初めて外出する時や宮参りの時に真綿を子どもの頭に掛けることがあり、髪の毛が真綿のように白くなるまで長生きできるようにという願いが込められています。この真綿は、東京の実家から中央区上溝の孫に贈られたものです。                   

 

次の写真は、最初の宮参りの着物を着た女児の七歳の祝いの着物で、やはり母親の実家から晴れ着が届けられました(収集地・南区下溝)。そして、この際には親戚からも髪飾りや履物などが贈られ、二枚目の写真は親戚から貰ったポックリです。ポックリは、宮参りだけでなく、何かお祝いがある時や正月などにも履きました。                                  

 

女児が生まれて初めての三月節供(せっく)に雛人形が贈られます。次の写真は、昭和10年(1935)の南区下溝の旧家のもので、御殿の中に人形が見えています(前の着物をいただいた家とは別)。雛人形にも移り変わりがあり、昭和初期には御殿飾りも出てきて、その後、現在のような段飾りが主流になりました。                 

 

最後の写真は雛人形と同じ家からの寄贈で、男児の五月節供用の内幟(うちのぼり)です。五月節供には、実家から鯉幟(こいのぼり)や幟旗(のぼりばた)が贈られ、こうした家の中に飾るものもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が生まれてから成長し、やがて老いていくまでの人生の折り目にはさまざまな儀礼が行われ、それは現代でも同じです。今後とも、この地域の人々の人生儀礼のあり方について、資料を基に明らかにしていければと思います。

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冬鳥2種

博物館お隣の樹林地で調査の準備作業をしていたら、近くにこんな美しい鳥がやってきました。ルリビタキです。

ルリビタキ(オス)

夏に亜高山帯で繁殖し、冬は低地に下りてきて、薄暗い茂みでひっそりと越冬します。博物館周辺では時々見かけるのですが、藪(やぶ)から出てくることがあまりないため、瑠璃色の姿をじっくり見られることがあまりありません。

ルリビタキ(オス)

上の写真の個体はオスです。メスは一見すると地味な色合いですが、とてもかわいらしく、こちらも人気があります(メスの写真は別の場所で撮影したものです)。

ルリビタキ(メス)

そして、こちらも冬の藪の中でひっそり過ごす冬鳥の、クロジです。オスは独特の渋い色合いで、こちらもなかなかその姿を見ることができません。

クロジ(オス)

今日は、ふだんあまり入らない藪の近くで作業していたため、出会えたのでしょう。近くにはメスもいました。

クロジ(メス)

冬らしい野鳥を間近で観察できて、ちょっとラッキーな日となりました。

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博物館収蔵資料紹介~婚礼

前回取り上げた正月行事は、毎年同じ日時に行われる年中行事ですが、人の一生の間に行われる人生儀礼にもさまざまなものがあります。今回は、その中でも女性の婚礼にまつわる資料を紹介します。

最初の写真は婚礼の際に着た打ち掛けです。第二次世界大戦後の間もない時期に、南区上鶴間から町田の地主の家に嫁入りした際に着られたもので、鶴が舞い、さまざまな草花が描かれるなど、華やかな装いです。                   

 

次の写真は、緑区相原から中央区上矢部に昭和14~15年(1939~40)頃に嫁入りした方が持ってきた着物の一つで、白い色をしています。意外に思われるかもしれませんが、かつて女性は自分の親(実家・婚家の両方)の葬式にはこうした白の着物を着ており、この写真の着物も喪服だろうとのことです。                   

 

和式結婚式では現在でも日本髪に結いますが、次の写真は、昭和17年(1942)に中央区淵野辺から南区下溝に嫁入りした方が使ったもので、上側は鼈甲(べっこう)製の櫛(くし)と笄(こうがい)・簪(かんざし)、下側も同じく櫛・笄(左)と簪(右)です。笄は髪型をまとめて髷(まげ)にさして飾り、簪も髪飾りで笄と組みで用います。                    

こういったものはその家で一番最初に結婚する人が買って、その後、姉妹が順番に使って一番最後に結婚した人がそのまま保管したそうで、この資料は昭和10年(1935)頃に、姉が結婚する際に町田の店から買ったとのことです。

 

また、この方からは、ご自分の結婚式で使った他のものも寄贈いただいており、次の写真の上側が角隠し(つのかくし)の布、左が末広(すえひろ)、右が筥迫(はこせこ)です。                

角隠しは花嫁の被り物で、布の真ん中を開いてとがった形にします。末広は花嫁が手に持つ扇子(せんす)です。筥迫は紙入れで、花嫁が着物からちょっと見えるようにして飾りものとして使います。

 

最後の写真は箱枕(はこまくら)で、以前のブログでも南区古淵から緑区下九沢に嫁入りした方の箱枕を紹介しましたが、この箱枕も髪飾りなどと同じく下溝の方が嫁入り道具の一つとして持参したものです。嫁入り道具には布団(ふとん)のほか、通常の枕とともに日本髪を結った時に使う箱枕の両方を持ってきました。                  

 

なお、この職員ブログで以前掲載していた「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」No.71「人生儀礼」では、結婚して初めて三月の節供を迎えた際にお嫁さんの実家から贈られた「おくりびな」なども紹介していますので、併せてご覧ください。

「人生儀礼」 https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/27135

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生きものミニサロン「鳥の羽根についてくわしくなろう!」を実施しました

1月28日、毎月恒例の生きものミニサロンを実施しました。今回のテーマは「鳥の羽根についてくわしくなろう!」と題して、館内のエントランスで実施しました。

はく製を使って解説

ノスリやオオタカ、オシドリ、フクロウ、トラツグミのはく製を用意して、羽根の役割や形の特徴などについて解説しました。特に翼の羽根の中でも風切羽(かざきりばね)は、鳥が飛ぶために特徴的な形をしていて、見方に慣れると左右どちらの翼の羽根かわかります。

間近で見る機会が少ないはく製に、興味津々の参加者のみなさん

参加者のみなさんにそれぞれ1枚ずつ、鳥の羽根をお渡しして、左右どちらの翼の羽根か、考えてもらいました。

翼の羽根(フクロウの左翼の風切羽)

識別、確認していただいた羽根は、それぞれチャック袋に入れて持ち帰っていただくことにしました。
続いて、身の回りにある鳥の羽根や、それを使った道具などを紹介しました。まずは“赤い羽根”です。これは、ニワトリの体羽(たいう)を赤く染めたものです。

赤い羽根(ニワトリの体羽)

続いて、羽はたきす。これは、ダチョウの羽根でできています。飛ばない鳥なので、翼の羽根もまったく飛べる感じがしません。

ダチョウの羽根と、羽はたき 左の白い羽根は、翼の羽根

最後に、触り心地を体験してもらうために、フクロウとノスリのはく製の羽根をみなさんに「1回ずつだけ」触ってもらいました(もちろん、普段は手を触れることはできません)。フクロウの羽根のやわらかさに、みなさん驚かれた様子でした。
次回の生きものミニサロンは2月25日(土)に実施します。お楽しみに!

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【満員御礼】尾崎咢堂記念館で山本五十六に迫る

1月22日(日)、近・現代史講演会「山本五十六と現代」を尾崎咢堂記念館で開催しました。
コロナ禍前は恒例行事だった近・現代史講演会ですが、令和元年以降は感染症拡大防止のため中止を余儀なくされていました。このため、本事業を委託している「尾崎行雄を全国に発信する会」と、3年ぶりとなる講演会が無事に開催されることを願いながら準備を進めてまいりました。

講演会の開催については、こちらのブログでも予告いたしましたが、当館ホームページやTwitter、広報さがみはら、市ホームページなどたくさんの場所でお知らせした甲斐もあり、楽しみにお越しいただいたお客様で開場後すぐに満員御礼となりました。

尾崎咢堂記念館の多目的室が満席状態となる盛況ぶりでした。

講師には、日本海軍戦史戦略研究所副所長を務め、ディレクターとしてNHK BS1番組「山本五十六の真実」の制作に携わった、海軍史家の渡邊裕鴻(わたなべ ゆうこう)氏をお招きしました。

講師の渡邊先生は三重県のご出身ですが、三重といえば本市緑区又野出身の郷土の偉人・尾崎行雄(咢堂)が14歳の時に移住し、第1回衆議院議員総選挙の際に立候補地となった尾崎行雄ゆかりの地でもあります。今回、尾崎の生誕地で開催となったことにご縁を感じつつ、約2時間たっぷりと講演いただきました。

講師の渡邊裕鴻氏

この講演会のメインテーマである山本五十六は、新潟県長岡市出身の旧帝国海軍軍人で、連合艦隊司令長官を務めた人物です。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」などの言葉を世に広めたことでも知られており、山本五十六が残した名言の数々を一度は耳にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか。また、意外かもしれませんが、軍国主義が高まる中で国際平和を訴えて軍部を批判していた尾崎行雄とも、生前に交流を持っていたことが分かっています。

なぜ山本五十六は一貫して日米開戦に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案したのかという視点は、その人物像を紐解く上で重要な手がかりのひとつです。
今回の講演会により、手記や写真から分かる歴史的事実や、遺族など周辺人物が残した聞き書きなどを通じて、平和を希求する思いと軍人としての立場との間で揺れ動いていた山本五十六という人物を知ることができました。
また、政治家と軍人という異なる身の上ではあるものの、反戦を掲げてそれぞれの立場で尽力した尾崎行雄と山本五十六のつながりについて、深く考える契機にもなりました。

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プラネタリウム ウィンターコンサートを開催しました!

1月25日、プラネタリウムウィンターコンサートを開催しました。これは、相模原市民会館で開催されている「ランチタイムコンサート」に出演している林愛実さん(フルート)、岡本梨紗子さん(チェロ)、原礼以菜さん(ピアノ)の生演奏を、プラネタリウムに映し出される満天の星や映像と共に楽しもうという贅沢なコンサートです。

「はやぶさ」の前で

満席となった会場で始まったコンサートの1曲目は、ジュピター(ホルスト作曲・組曲「惑星」から)でした。

木星をバックに演奏

ポピュラーからクラッシックまで、多くの人に愛される名曲が演奏されました。

幻想的な宇宙空間の映像とともに

コンサートの間には今晩の星空の解説が入り、雰囲気を盛り上げます。
幻想的なオーロラや宇宙空間の映像と、生演奏のコラボレーションに、会場のみなさんのため息が重なります。

オーロラも演奏を盛り上げます

プログラムの最後は、「瑠璃色の地球」。美しい青い星に思いを寄せながら演奏に聴き入りました。

              地球へ        Ⓒアストロアーツ 

アンコールを含めて8曲、約1時間のコンサートが終わる頃、外は夕暮れて月が出ていました。
ちょうど演奏者のみなさんがお帰りになる時、博物館駐車場の上には月と木星が見えました。そこで、天文担当の学芸員による臨時の観望会です!

臨時の星空観望会 正面の月の左上に、木星が!

ジュピター(木星)で始まり、木星の下で「お疲れさまでした」のご挨拶。スタッフも演奏者のみなさんも、笑顔で締めくくることができました。

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ミニ解説① 家康の柩が通った相模原

先日のブログでもお知らせしたとおり、市立博物館1階エントランスにて、NHK大河ドラマ“どうする家康”関連ミニ展示「相模原にもあった!?徳川家康ゆかりの地」を開催中です。

このミニ展示では、今年の大河ドラマの主役・徳川家康やその祖先、重臣(おもだった有力な家臣)にまつわる実は身近な伝承地について、相模原市内を中心に紹介しています。
そこで、今回から数回にわたり、ミニ展示には収まりきらなかった「ゆかりの地」の魅力や、展示の裏話などをこちらのブログでお伝えしたいと思います。

博物館エントランスの一角で開催中です。

初代将軍として江戸幕府の礎を築いた徳川家康は、1616(元和2)年4月にその生涯に幕を下ろします。享年75歳、当時としてはかなり長寿でした。
家康は自身の死後、埋葬や葬儀、位牌を納める場所、一周忌にすべきことについて事細かに遺言しており、それに従って亡くなった翌年に久能山(くのうさん/静岡市葵区)から日光山(にっこうさん/栃木県日光市)へ柩(ひつぎ)を遷座(せんざ)します。南区新戸(しんど)の一里塚は、この柩を運ぶ道中に築かれたものとされています。

南区新戸の一里塚の標柱

江戸時代に編さんされた地誌『新編相模国風土記稿』には、この一里塚について「府中道の左右に相對す 高一丈、頂に榎樹ありしが寛政中枯槁す、元和三年神柩通御の時築立ありし一里塚なりと傳ふ…」とあります。
武蔵国(むさしのくに)の国府があった東京都府中市につながる府中道の左右に高さ約3メートルの塚が築かれ、その頂上に植えられていた榎(えのき)は寛政年間(1789~1801年)に枯れてなくなったことが記されています。(植物のエノキについてはこちらのブログで紹介しています。)
一里は約4キロメートルで、新戸の一里塚は久能山から日光山の長い旅路の道標の一つとして築かれたのでしょう。現在は記述にあるような盛り土は残っていませんが、標柱により一里塚の場所を確認することができます。

また、ミニ展示では霊柩(れいきゅう)遷座に関わる場所として、新戸の一里塚にも程近い座間市の宗仲寺を紹介しています。
宗仲寺は、家康の重臣の一人・内藤清成(ないとう きよなり)が自身の父である竹田宗仲(たけだ そうちゅう)の菩提寺(ぼだいじ)として1603(慶長8)年に開いた寺で、家康が生前に好んでいた鷹狩りの折に休憩所として立ち寄れるよう、清成が境内に御殿を建てたと言われています。

明治初期の宗仲寺境内図。鳥居奥の建物に家康の柩が入ったとされています。(本堂で撮影)

家康没後、霊柩遷座の際も宗仲寺は休憩所となっており、当時柩が入った御殿のものとされる欄間(らんま)が本堂内陣に現存しています。
このほか、家康ゆかりの宗仲寺には、家康がてずから植えたとされる銀杏(いちょう)の木や、拝領品と伝わる茶道具など見どころがたくさんあります。

ここまでは、家康の柩が通った相模原と近隣のゆかりの地を紹介してまいりましたが、ミニ展示では霊柩遷座の道のりについて、もっと遠く離れた地も紹介しています。
それが「絵葉書に描かれた霊柩遷座のまちなみ」のコーナーです。

期間限定のラインナップです。

このコーナーでは、2015(平成27)年3月に閉室した津久井郷土資料室から当館に移管された12,000点以上の絵葉書の中から、霊柩遷座に関係する場所をピックアップして展示しています。これらは全て、緑区若柳出身の郷土史家・鈴木重光(すずき しげみつ)氏が明治・大正・昭和にかけて収集した膨大な絵葉書コレクションの一部です。

絵葉書の展示については、資料保護の観点もありますが、一度に全ての絵柄を紹介しきれない…ということで、会期中の入れ替えを予定しています。
第1弾となる今回は、日光東照宮から家康の墓所や色鮮やかな陽明門、府中の大國魂神社、小田原城や西湘海岸、三島神社などの全10点です。2月初旬には第2弾に入れ替える予定ですので、ご興味がある方はお早めにお越しください。

そして、当初これらの絵葉書を所蔵していた津久井郷土資料室について詳しく知りたい場合は、自然・歴史展示室内で現在開催中の市史ミニ展示「津久井郷土資料室と雑誌『日本少年』」もあわせてご覧いただければと思います。

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県立相模原公園で野鳥の調査会

1月22日、県立相模原公園で野鳥の調査会を行いました。これは、相模原市自然環境観察員制度の野鳥部会が、市内の公園の鳥類相(生息している鳥のリスト)を明らかにするために年間通して行っている調査で、今年度は相模原公園と、隣接する相模原沈殿池を調べています。基本的に、野鳥部会の観察員が個別に行って調べていますが、年に何度か、勉強会を兼ねて調査会を開いていて、今回は博物館の学芸員が案内しました。

沈殿池での調査の様子

最初に登場したジョウビタキのメスです。くりくりした目がとてもかわいらしいですね。

ジョウビタキ

今年は冬鳥が少なめで、いつもの年なら公園内にたくさんいるツグミをほとんど見かけません。でも、沈殿池へ行くと、やっぱり定番のカモはいました。こちらはその中の1種で、オシドリです。

オシドリ

あまりの美しさに、観察員のみなさんも大喜びです。
カモの他にも、カンムリカイツブリやカワウなどの水鳥をしっかり観察してから、公園へ戻ります。途中、スズメの群れに出会いました。

スズメ

野鳥に関心を持ち始めると、最初はスズメを見ても「いつも見ている鳥」くらいにしか思いませんが、ベテランになるにつれて、スズメのかわいらしさを再認識します。いつも群れてチュンチュン鳴きながら騒いでいる姿は、やっぱりかわいいものです。
終盤、園内の水無月園(みなづきえん)では、モズが姿を見せてくれました。

モズ

全体的に鳥の数は少なかったものの、2時間余りで約30種を確認できました。
楽しく観察しながら野鳥の特徴を知ることができる調査会です。自然環境観察員に興味のある方は、エコパークさがみはら(相模原市立環境情報センター)へぜひお問い合わせください。

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