ピンクシャツデーご存じですか?博物館では・・・

みなさん、ピンクシャツデーってご存じですか?

「ピンクシャツデー」とは (ピンクシャツデー2022神奈川 公式サイトより)

ピンクシャツデーは、カナダの高校生がはじめた「いじめ反対」運動です。

2007年、カナダ・ノバスコシア州――――
中学3年の男子が、ピンク色のポロシャツを着て登校したことを発端に、性的なからかいや暴行などのいじめにあいました。それを知った高校3年生の男子2人が、「いじめはもうたくさんだ」と、ピンク色のシャツを買い集め、学校のネット掲示板やメールを通じて、「明日、みんなでピンクのシャツを着よう!」と呼びかけました。

翌朝、みんなに配ろうと大量のシャツをもって学校に行くと、そこには、みずからピンク色のシャツや小物を身に着けて登校する生徒たちの姿が・・・。
彼らの呼びかけを知った人たちが情報を拡散し、多くの生徒たちが賛同。学校中がピンク色になったのです。これによって、いじめを受けた生徒は安心して学校に通えるようになり、その学校でのいじめは自然になくなったといいます。

今では180以上の国と地域に広がるワールドアクションとなっています!

詳しくはこちら(神奈川県のホームページにリンクしています)。

神奈川県のホームページから

今年度は2月21日から25日まで「さがみはらピンクシャツウィーク」として、相模原市で様々な取り組みを行っています。

博物館では、案内のチラシなどはすでに掲示中ですが、期間中、下記のような取り組みを行います。

・2月22日から25日まで(24日は休館日)、職員やスタッフが折り紙で作った「ピンクシャツ」を名札につけます!

・2月23日はオリンピック・パラリンピックグッズ(ピンバッジ)の配布をピンクシャツを模した飾りをつけた箱で行います!(数に限りがあります。先着100名様まで)

「さがみはらピンクシャツウィーク」をきっかけに、いじめ問題について考えてみる機会としていただけるよう、取り組んでまいります。

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古民家でおひな様🌸春のお出かけスタンプラリー始まりました!

2月12日から始まったスタンプラリー、初日には台紙を求めて開館前からお客様がいらっしゃるなど、企画側としても嬉しいスタートになりました。スタンプラリーの記念品引き換えも初日から大盛況!

案内チラシ兼スタンプラリー台紙

参加者のみなさま、ありがとうございます!

詳しい内容はこちら(スタンプ台紙のダウンロードもできます)。

この試み、博物館と文化財保護課は市の教育委員会の生涯学習部という繋がりが元々あるのですが、そこに民設民営の「相模田名民家資料館」とも連携して実施したというのが今回のポイントです。

おひな様を通じていろいろな施設を巡りながら、相模原市のいろいろな魅力、そして春の訪れを感じていただけたら幸いです。

博物館のエントランスにもおひな様が!

タウンニュース中央区版2月17日号にて紹介していただいているほか、様々なサイトでも取り上げていただきました。

みなさまのご参加お待ちしております!

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連ミニ展示の紹介②

1月から始まったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の関連事業として、当館でも1/15からミニ展示「鎌倉時代初めの相模原の武士団 横山党」を開催中です。

ミニ展示全体

このミニ展示では、鎌倉時代初めに相模原市域に勢力を持っていた武士団横山党と、大河ドラマの13人のひとりで横山党とも関係の深い和田義盛(わだよしもり)という武将の市内の伝承地などを紹介するともに、伝承が記された明治期の地誌資料を展示しています。

今回は前回の横山党の紹介に続き、ミニ展示紹介②として、「和田義盛と横山党」について紹介します。

和田義盛と横山党コーナーと関連資料展示

和田義盛は三浦一族の有力武将で、鎌倉幕府が創設されると軍事・警察部門をつかさどる侍所(さむらいどころ)の別当(長官)となります。今回の大河ドラマでも同族の佐藤B作さん演じる三浦義澄や、山本耕史さん演じる三浦義村らとともに既に度々登場している主要キャストの一人です。

三浦氏系図(神奈川県史より)

ドラマをご覧の方は、髭が勇ましいあの武者といえばピンとくるでしょうか。ドラマでは和田義盛を、主に舞台で活躍している横田栄司さんという俳優さんが演じています。

NHK大河ドラマのホームページ「和田義盛キャスト紹介」

この和田義盛ですが、実は横山党の娘を妻としています。そうしたことからか、市内上溝の亀が池八幡宮付近に和田義盛に関する伝承地の「わだ坂」と「藤橋」があります。

「わだ坂」は、和田義盛がこの付近で食べた弁当の箸(はし)が根付いたとされる「和田榎」がかつてあった場所の近くで、現在は坂道の脇に地名標柱が建てられています。

わだ坂に建つ地名標柱

もう一つの「藤橋」は、わだ坂の北100メートルほどの場所で、和田義盛が川(姥川)を渡るのに藤で橋を作ったとされる場所で、現在も「藤橋」が架かっています。

わだ坂の北 姥川にかかわる藤橋

和田義盛は、建暦3年(1213)に執権北条義時らと戦い(和田義盛の乱)、奮戦むなしく敗れます。相模原にいた横山党も和田義盛とともに戦い、多くの者が討ち死にしたと鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記されています。上矢部に残る板碑(いたび)は、この時討ち死にした矢部義兼の供養のために90年後につくられたという伝承があります。

上矢部の板碑を祀(まつ)る祠(ほこら)(上矢部3丁目内)

和田義盛の乱は、大河ドラマ後半のクライマックスの一つになると思いますので、横山党の武士がドラマに登場することを期待しています。

ミニ展示内では、各伝承地の詳細位置図も展示していますので、ぜひご確認ください。

本ミニ展示は3/13まで開催予定です。次回は、大河ドラマの時代 鎌倉時代初期の市内伝承などを紹介します。

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考古企画展の展示資料から(その2)

当館特別展示室では、1月29日(土)~3月13日(日)の期間、考古企画展「古代相模原台地の開発」を開催しています。

今回の展示では、古墳時代から平安時代にかけて行われた市内相模原台地の開発や人々の生活をテーマに、当時のムラから出土した土器や農具などの生活用品のほか、仏教など信仰に関連した遺物などを展示しています。

前回は、展示品の中から、畿内産土師器(きないさんはじき)を紹介しましたが、今回は鉄製の鎌や鋤(すき)をご紹介したいと思います。

田名塩田原遺跡の鎌

こちらの写真はⅠテーマ「開発の波」で展示している中央区田名に所在する田名塩田原(たなしおだはら)遺跡から出土した鉄製鎌の身(刃)です。平安時代の竪穴住居跡から出土しました。曲刃の鎌で、現代の私たちが使っている鎌にも近い形をしたものがあるかと思います。ただし、現代の鎌は、身の根元にある茎(なかご)を柄に差し込んで固定していますが、市内で出土するこの時代の鎌は、茎がなく身を柄にあけた溝穴に通し、根元を折り曲げて固定するものであったようです。

現代の鎌

折り曲げられた根元(田名塩田原遺跡の鎌)

鎌は現代の私たちと同じように草刈りや稲の根刈りなど、さまざまな農作業に使用されていたものと考えられます。

次の写真は、鋤先(すきさき)と呼ばれるものです。

谷原2号墳の鋤先

風間遺跡の鋤先

上段は南区当麻に所在する古墳時代の谷原(たにはら)2号墳から出土したものです(Ⅰテーマ「開発の波」)。また、下段は緑区川尻に所在する風間(かざま)遺跡の平安時代の竪穴住居跡から出土したものです(Ⅲテーマ「古代集落の生活」)。鋤は刃先を土に差し入れて土を掘り起こす道具で、鋤先はU字形をした鉄製の刃の部分です。木製の柄に装着して使用しました。農作業や土木工事に用いられたと考えられますが、谷原2号墳から出土したものは古墳の墳丘から出土しており、古墳を造る際、使われたものかもしれません。

鋤のイメージ

なお、同じく土を掘り起こす道具として鍬(くわ)がありますが、鋤先と同じU字形をした刃が装着されており、両者の刃先については区別がなかったとも言われています(企画展では発掘調査報告書の記載に従って区分しました)。

こうした鉄製の農具からは、高燥な原野が大部分を占めていた相模原台地を切り開いた先人たちの苦労が偲ばれます。ぜひ展示室で実物をご覧ください。

なお、ギャラリートークを2月27日(日)、3月13日(日)に開催します。いずれも午後2時から30分程度です。こちらもお気軽にご参加ください。

 

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介㊹ ㋪ヒバリ アジサイ

ヒバリ アジサイ 相模原市の 鳥と花  (ひばり  あじさい さがみはらしの とりとはな)

 

相模原市の鳥「ヒバリ」と花「アジサイ」は、相模原市の防災同報無線「ひばり放送」や、あじさい会館(相模原市中央区富士見)などの名称でも親しまれる、市のシンボルです。昭和49年に市制20周年を記念して制定され、選定理由として、ヒバリは「元気よくさえずる声は躍進する相模原市を象徴」、アジサイは「緑と太陽のまちにふさわしい市の風土に適したもの」とされ、絵札のようにマンホールぶたの絵柄にもなっています。
ヒバリを市の鳥に選んだことは、河岸段丘面の開けた台地上にまちが形成された相模原市の自然を象徴しており、とても理にかなっています。

ヒバリ

現在は市街化されて分布も限られてきていますが、それでも相模川に沿った農地などでには数多く生息し、ちょうど今くらいの季節から、晴れた日には美しい歌声をきかせてくれています。上の写真のようにオスは地面でもさえずりますが、やはりヒバリと言えば、上空でさえずる姿がしっくりきます。

青空をバックにさえずるヒバリ

ヒバリは、羽色は草原に溶け込む保護色のためにちょっと地味ですが、特徴的な外見なのは、親指の爪です。下の写真の矢印の部分を見るとわかるように、とても長い爪を持っています。

とても長い、ヒバリの親指の爪

今年、初めてのヒバリのさえずりはいつ、どこで聞くことができるでしょうか。楽しみですね。

アジサイは市内の公園や街路樹の植込みなどで見ることができます。

アジサイ

しかし、ここではあえて、野生のアジサイも紹介したいと思います。こちらはタマアジサイです。緑区の山地の登山道沿いなどで見られ、夏から秋まで長く咲きます。上のアジサイは装飾花という目立つ花弁のある花の集合花ですが、タマアジサイは装飾花は外側に数個が咲くだけで、内側に両性花が咲きます。じつは、野生のアジサイの多くがこのような花の構造です。

タマアジサイ

こちらはコアジサイです。コアジサイも、山地の林内で咲きます。目立つ装飾花はありませんが、おしべと小さな花弁が集合した星が瞬いているようにも見えて、とてもかわいらしい花です。

コアジサイ

華やかさはあまりないのですが、可憐な野生のアジサイもぜひお楽しみください。

*このかるたは当館のボランティア「市民学芸員」が2017年に制作したものです。
*このかるたは相模原市立博物館の開館日に閲覧・貸出し可能です。(貸出しは要予約)
*貸出し詳細やかるたに関心のある方は、博物館までご連絡下さい(042-750-8030)。
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・消毒を必ず行って下さい。

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考古企画展のうらがわ

今回は、ただいま特別展示室で好評開催中の考古企画展!「古代相模原台地の開発」の裏側をご紹介していきたいと思います。考古企画展は、学芸員だけではなく、市民ボランティアのみなさんと一緒に展示作業を行っています。

2人1組でパネル作り

解説文や写真を印刷したら、糊付パネルに大きさを合わせて、丁寧に貼っていきます。みなさん慣れた手つきで次々と貼っていきます。

展示する部分を慎重にカットします

上下を合わせてそっと貼り合わせます

パネルの準備が出来たら、次はいよいよ展示室での作業です。パネルや展示品のおよその位置は事前にレイアウト図で決めてはいますが、展示室はとっても広いので、パネルの大きさや貼る位置を実際に置いてみて、見やすい場所を確認します。

大体の位置にパネルを置いて場所を確認します

まだ空の展示ケースですが、どんな風に展示されるのでしょうか。

展示されるのを待つ収蔵品たちが作業を見守ります

展示室の壁に貼るパネルや年表も、一定の高さで貼っていきます。学芸員が配置したパネル類を市民ボランティアのみなさんで意見を出し合いながら見やすい間隔を考えて貼っていきます。

この位置ならわかりやすいかな?

約1か月半の展示期間中、剥がれないようにしっかり壁に打ち込みます

 

展示ケースの中でも作業開始!

 

学芸員の助言を受け、貼り付けていきます

さぁ、これで解説や地図、写真のパネルが無事貼り終わりました。

パネルを貼り終えたら、学芸員が展示品を慎重に並べて最後の仕上げです

展示台からの景色 展示物からみた室内の様子をちょっと覗いてみましょう

さて、この先はみなさんもご存じの通り、展示品のそばに簡単な説明や名前などのキャプションを並べて、展示作業は終了になります。すでに企画展をご覧になった方も、これから始めてご覧になられる方も、企画展の裏側を知るとまた展示の見方も変わってくるでしょうか。

考古企画展は令和4年3月13日(日)まで開催されていますので、ぜひ何度でもお越しくださいね。足を運んで頂くたびに新しい発見があるかもしれません。

なお、考古企画展のギャラリートークを2月27日(日)、3月13日(日)に開催します。いずれも午後2時から30分程度です。こちらもお気軽にご参加ください。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No92 相模川の砂利取りと蛇籠)

市内を流れる相模川は県内最大の河川です。相模川で川漁が盛んに行われていたことは、本ブログNo.9~11で鵜飼い(うかい)なども含めて紹介しました。

次の写真は、中央区田名での砂利(じゃり)ふるいの様子です(昭和62年[1987]10月26日撮影)。東京などの都市化に応じて、コンクリートの材料となる砂利を取ることは、明治から昭和にかけて各地で行われました。そして、大規模な機械掘りになる以前は、相模川沿いに住む人々によって手掘りの砂利採取が行われ、冬場の現金稼ぎになっていました。

最初の二枚の写真は「岡ぶるい」です。河川敷の砂と砂利などを、万石(まんごく)と呼ぶ道具で選別するもので、砂など混ざったものを網の上に掛けて振るい分けていきます。ちなみに農具にも米や麦を選別する万石がありますが、それとは別のものです。                                   

 

次の写真は「川ぶるい(水ぶるい)」で、直接川の中に入り、鋤簾(じょれん)で砂利をすくって川底の砂利を振るいます。水で洗われたきれいな砂利が取れたことから、高く売れたと言います。                                   

 

川は魚や砂利を取るなど、人々に恵みを与えるばかりではなく、災いをもたらす存在でもありました。その大きなものが洪水で、田畑や人家が水をかぶったり、押し寄せる水で堤防がいたむこともありました。

次の写真は、南区新戸河原地区で蛇籠(じゃかご)を作っています(平成2年[1990]6月26日・8月7日)。竹を粗く長円形に編んで中に石を詰めた蛇籠は、大蛇が伏せている形に似ているところからその名があります。川の岸に杭(くい)を打ち、蛇籠を並べて置いて堤防などを水からまもりました。

一枚目の写真は蛇籠を作っているところ、二枚目は出来上がった蛇籠で、三・四枚目は石を詰めています。石はたくさん必要で、中でくずれないように詰めていきます。                                   

 

今回紹介した砂利採取や蛇籠作りは、このブログで紹介してきたほかの行事や作業と同様に、当時でもすでに経験された方はかなり少なくなっており、いずれもしばらく振りに再現していただいて撮影することができました。

市内のなかでも相模原地域は台地上に広がり、水に乏しい地区と言われますが、こうした川辺でのさまざまな生活や民俗も営まれていたのです。

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早春の河原

2月16日、緑区の相模川の河原へ行きました。河川敷のあちこちで、梅が満開となっていました。

ウメの花 木全体としては満開でしたが、枝先にはまだつぼみもあり、しばらく花が楽しめそうです

梅の咲く季節は、ヤマアカガエルの繁殖期です。河川敷の水たまりに、新鮮な卵塊(らんかい)がありました。卵を包むゼリーが透明で形も整っているので、この数日以内に産卵したようです。

ヤマアカガエルの卵塊

エナガが枝にとまって、何かに狙いを定めていました。

エナガの目線の先には・・

食べ物を狙っていたわけではなく、枝についている蛾の繭(まゆ)を引っぱっていました。繊維を取り出して、コケ類などの植物素材と絡み合わせて巣材にするのです。

小さな体をめいっぱい使って繭から繊維を引っ張っています

つまり、エナガはもうすでに巣を作り始めているということですね。不思議なことに、博物館周辺の樹林ではまだ10羽前後の群れで行動し、巣作りは始まっていない様子です。これは毎年同様の傾向で、河原の方が、半月くらい繁殖期が早いようです。
上空ではノスリが旋回していました。

ノスリ

そろそろ移動を始める冬鳥もいて、河原は再び慌ただしい季節を迎えようとしています。

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考古企画展の展示資料から(その1)

当館特別展示室では、1月29日(土)~3月13日(日)の期間、考古企画展「古代相模原台地の開発」を開催しています。

今回の展示では、古墳時代から平安時代にかけて行われた市内相模原台地の開発や人々の生活をテーマに、当時の村から出土した土器や農具などの生活用品のほか、仏教など信仰に関連した遺物などを展示しています。

では、展示品の中から、特に注目していただきたい資料をご紹介したいと思います。

今回紹介する資料が展示されているコーナー

今回、ご紹介するのは、Ⅱテーマ「集落と道」で展示している新戸釣瓶下(しんどつるべした)遺跡の畿内産土師器(きないさんはじき)です。

畿内産土師器

新戸釣瓶下遺跡は南区新戸に所在し、古墳時代と奈良時代の住居跡が発見されています。畿内産土師器は古墳時代の住居跡から出土しました。土師器とは、弥生土器からの系譜上にある素焼きの土器で、古墳時代から平安時代にかけて使用されたものです。用途に応じて様々な形がありますが、今回ご紹介するのは坏(つき)と呼ばれる食器です。

畿内産とされていることからわかるとおり、この土師器坏は畿内地方で生産されたもので、飛鳥地方にあった宮都でも使用されていたものです。年代的には7世紀後葉頃と考えられます。相模地方では古墳の副葬品として用いられる例があるため、貴重な威信材(いしんざい)として扱われていた可能性があります。なお、市内では唯一の出土例となります。

畿内産土師器の暗文

土器の内面には暗文(あんもん)と呼ばれる放射状と螺旋(らせん)状の文様が描かれています。焼成前の生乾きの土器表面に、ヘラを擦って付けた文様で、文様部分は光沢を帯びています。

このような貴重な土器が出土した理由ははっきりしませんが、一つには有力豪族の存在が考えられます。また、時代は下りますが、遺跡に近い座間市域には、奈良時代に東海道の駅家(うまや ※馬が置かれた中継地)である「夷参(いさま)駅」が置かれたとされる説があります。このことから、古墳時代当時から遺跡の近くに重要な交通路が通っていた可能性が考えられ、そうした道の存在が、遠隔地の貴重な土器をもたらした要因になっているのかもしれません。

新戸釣瓶下遺跡の位置

ぜひ、都の薫りがするこの土器を展示室でご覧になってください。

なお、ギャラリートークを2月27日(日)、3月13日(日)に開催します。いずれも午後2時から30分程度です。こちらもお気軽にご参加ください。

 

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「さがみはら縄文遺跡マップ」のご紹介

博物館ホームページで、2月12日から「さがみはら縄文遺跡マップ」を公開しました。このマップは昨年10月から11月にかけて、市教育委員会生涯学習部の連携イベントとして開催した「世界遺産じゃないけど相模原にもある縄文遺跡群」で配布したものです。

さがみはら縄文遺跡マップ(表紙・施設紹介)

さがみはら縄文遺跡マップ(マップ)

市内の主な縄文遺跡24遺跡の場所とその特徴を紹介するマップで、国指定史跡や図書館、博物館の場所なども載っています。

イベントはすでに終了していますが、縄文時代についてもっと学びたいという方々のために、この度、ホームページ上で公開させていただきました。

ダウンロードはこちらからのページから可能です。

どうぞ、縄文時代、考古学の学習にお役立て下さい。

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