令和3年度津久井城市民協働調査 発掘調査ニュース①

津久井城市民協働調査として、津久井城南部の城坂曲輪群(しろさかくるわぐん)6号曲輪の発掘調査が今月8日から始まりました。

まずは8日の様子から紹介します。

初めに調査区の概要です。5号曲輪の北東に6号曲輪があります。

6号曲輪の位置

5号曲輪から。赤矢印の位置に調査区があります。

6号曲輪は幅約60m、奥行き10mほどのゆるやかな平坦面です。ここに3か所の調査区を設定しました。5号曲輪は庭園に特化した曲輪と考えられ、その上段の6号曲輪にはどのような機能があったのか、明らかにするために今回の発掘調査に臨みます。

はじめに「表土」と呼んでいるフカフカした黒い土を重機(小型のショベルカー)で除去します。この土には遺構はないと予想され、重機を使っています。しかし土の変化や陶磁器などの遺物があるかもしれません。そのため重機の近くで土の変化を見極め、遺物がないか確認します。

調査区①の表土剥ぎ

土の変化を確認中・・・

どうやらフカフカした黒土の下には暗い褐色の土がありました。この土に遺構が残されているかもしれません。入念な確認が必要です。

一方、発掘調査には機材を多く使用します。表土剥ぎと並行して機材庫を設置し、機材を搬入しました。

屋根付きなので雨でも安心です。

8日は調査区①の表土剥ぎを完了し、調査区②の途中まで行いました。

9日は雨天のため作業は中止となりました。

10日は前日の豪雨により調査区内に溜まった雨水を排水しました。その後、表土剥ぎを引き続き行い、調査区の配置を平板(へいばん)という機材で測量しました。下の写真の白いものは「土嚢(どのう)」であり、調査区の壁が崩れないように保護するものです。

調査区①の様子。3m×3mの正方形。写真奥に平板があります。

調査区②の様子。1m×13mの長い溝状。

調査区③の様子。1m×8mの溝状。

現段階では、遺構や時期が特定できる陶磁器などの遺物は残念ながらみつかっていません。今年度の発掘調査はまだ始まったばかりですので、今後重要な遺構や遺物がみつかるかもしれません。発掘調査の進展をご期待ください!

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むかご

博物館周辺の樹林地内では、つる植物のヤマノイモが、美しく黄葉しています。

黄葉するヤマノイモ

つるをよく見ると、ちょっといびつな丸い形で、黒い玉のようなものが付いていることがあります。

ヤマノイモのむかご

これは、むかご(無性芽:むせいが)です。むかごは、葉や茎の一部が肥大化して、地上に落ちるとそこから発芽して新たな植物体をつくる栄養繁殖器官です。

ヤマノイモのむかご

同じように芽を出す種子との違いは、むかごを割ってみると・・

むかごを割ったところ

種子に見られるような胚(はい:根や芽を形成する部分)がありません。地上に落ちるとむかごがそのまま根茎、つまり、芋になって表面から直接芽や根を出します。
むかごの中身は山芋そのものとも言えます。その証拠に、むかごの切断面をさわると、粘り気がありました。むかごも昔から食用にされ、炊き込みご飯(むかご飯)などで食べられてきました。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No80・伝説⑨ 武将の伝説)

今回のテーマとする武将の伝説としては、すでに木の伝説で南区下溝の「さいかちの木」を紹介しました。これは永禄12年[1569]の武田信玄と小田原北条氏の戦いに伴うもので、武田信玄が小田原攻めをした際に、先に戦いに勝つとして幸先(さいさき)を祝って植えたと言われています(平成11年[1999]4月30日撮影)。                  

津久井地域には、小田原攻めの帰路の際に通ったとされる信玄の軍道という信玄道と伝える道が各地にあります(平成18年[2006]6月28日)。                  

さらに緑区寸沢嵐(すわらし)には、武田軍が打ち取った敵軍の首を洗ったとする池があり(写真上・平成20年[2008]2月23日)、緑区青根には、山梨に帰る武田軍と伊勢原市の日向薬師(ひなたやくし)の法印(ほういん・山伏)との間で行われた激しい戦いで戦死した法印を葬ったという塚があります(写真下・平成19年[2007]3月7日)。                                    

津久井城は、現在の津久井湖の東南にそびえる城山にある古城跡です。戦国時代、甲州(山梨県)と相州(神奈川県)を結ぶ交通の要衝(ようしょう)の地に位置し、小田原北条氏の家臣である内藤氏が城主でした。

このブログでも、No.72境川の伝説で八王子城が豊臣秀吉の軍に攻められた際に、津久井城も落城したと聞いて、馬から降りて持っていた梅の枝を突き刺したという下馬梅(げばうめ)や、津久井城が攻められた際に、城兵の首を埋葬したとの江戸時代の資料がある塚(富士塚)をNo.76で紹介しています。

一枚目の写真は、緑区根小屋地区から見た城山(平成19年[2007]4月7日)、二枚目は城跡の各所に見られる竪(たて)に掘られた空堀です(平成18年[2006]4月7日)。三枚目は城内にある宝ヶ池(たからがいけ)で、兵士が刀を研(と)いだので水が濁っているとも伝えられています(平成18年[2006]6月2日)。                

なお、津久井城主・内藤氏と伝わる墓が緑区根小屋の功雲寺にあります(平成18年[2006]6月2日)。                 

最後に、やはりこのブログNo.76の塚で、徳川家康の棺(ひつぎ)を、静岡の久能山から日光まで運ぶ際に築かれたと言われる一里塚のことを記しましたが、家康の家臣であった内藤清成(ないとうきよなり)は、領地であった新戸村に陣屋(じんや・屋敷)を設けました。その一角と伝わるところにあるのが南区新戸の陣屋稲荷で、稲荷に至る小道は陣屋小路と言われています(平成11年[1999]8月1日)。                 

これまで数回にわたり伝説に関係した内容を記してきました。次回は伝説の最後として、市内でも著名なデイラボッチについて紹介したいと思います。

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雪虫の飛ぶ季節

11月中旬となり、穏やかなお天気の朝夕に、フワフワと青白い虫が飛ぶようになりました。

手のひらにとまった雪虫

雪虫あるいはワタ虫などと呼ばれる昆虫です。東北地方や北海道では、この虫が飛ぶころに初雪が降ることから、雪虫と呼ばれています。雪の少ない関東地方でもしばしば雪虫と呼ばれるのは、フワフワ飛ぶ姿が雪が舞うように見えるからかもしれません。
11月下旬くらいになると、腹部に生えている青白い毛が、さらに長い雪虫が飛びます。

毛の長い雪虫(2017年11月末に撮影)

これは、だんだんと毛が伸びていくのか、異なる種類が出てくるのか、よくわかりません。雪虫はアブラムシの仲間であることは間違いないのですが、いくつかの種類が含まれるようで、雪虫の姿からは種類を識別できません。

識別が難しい雪虫(2016年11月末に撮影)

園芸植物の害虫としても知られるアブラムシ類は、春から秋の始めまでは、翅(はね)を持たずに単為生殖(たんいせいしょく:メスだけで繁殖すること)して増えます。しかし、冬を前にしたこの時期、翅を持つ成虫が現れて有性生殖(オスとメスが交尾をして繁殖すること)をします。
季節の風物詩である雪虫ですが、よくわからないことだらけの、不思議な昆虫です。

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博物館で麻布大学の実習を行いました

11月6日、博物館で麻布大学の生物実習を行いました。コロナ対策のため、2班を午前、午後に分けての実施です。
まず室内で、博物館で標本を作り、保存する理由や意義についての講義です。生物標本の多くは、過去へさかのぼって標本を採集することができません。私たちにとって過去の標本がとても重要であるように、50年後、100年後の人たちが過去の生物について知ることができるよう、博物館で標本を保存していることなどについて解説しました。
また、植物分類の初歩的なトレーニングをしてみました。こちらの植物の識別です。

これは・・ススキではありません

一般にこの植物はススキと混同されています。しかし、しっかり識別すると、別の種類のオギという植物であることがわかります。

用意したススキとオギの穂をそれぞれじっくり観察しています

違いは、穂についている粒(小穂:しょうすい)ひとつひとつをじっくり見ます。芒(のぎ)と呼ばれる針状の毛が伸びているのがススキです。

これはススキです。芒が一つ一つの粒から1本ずつ伸びています

芒が無く、全体的に毛が長いのがオギです。

こちらはオギです。芒が無く、毛が長いのがわかります。

こんなわずかな違いを見るのが分類の難しさでもあり、おもしろさでもあることを実感してもらいました。
続いて、実際に標本をつくる実習です。標本の作り方の解説をした後、野外へ出ます。せっかくの秋晴れなので、ミニ自然観察会も実施しました。「落ち葉のグラデーション」というプログラムでは、拾った落ち葉の色の近いもの順に並べて環を作ります。

落ち葉を並べて色のグラデーションを作っています

2グループに分かれて作ると、落ち葉の色のバリエーションが多彩なだけでなく、グループの個性が作品に出ることにみなさんちょっと驚いていました。

美しい紅葉のグラデーション

植物採集は、花か果実のついたものを選びます。

植物を選んで採集しています

ふだん気に留めていない駐車場にも、意外にもたくさんの花や果実があります。再び室内に戻り、押し葉にします。
作った押し葉を学生さんたちは大切そうに持ち帰りました。
身近な植物も、じっくり向き合うことで面白いことがいろいろとあることに気づいてくれたようです。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No79・伝説⑧ 女性の伝説)

伝説には女性を主人公としたものもたくさんあります。今回はその中から、高貴な身分であったとされる姫や女性にまつわるものを取り上げてみたいと思います。

前回のブログで、中央区淵野辺地区に館があった淵辺義博(ふちべよしひろ)が護良親王を殺害したと見せかけて、実は石巻にともに逃れたという伝説を紹介しましたが、緑区青山にはまた違った伝説が残っています。

それは、護良親王の首とともに鎌倉を出発した親王の側室(そくしつ)の雛鶴姫(ひなづるひめ)が青山にたどり着き、ここで親王の三十五日忌をして霊を慰めました。下の写真は青山の千部塚(せんぶづか)で、護良親王の三十三回忌にまつられた供養塔と言われています(平成18年[2006]6月21日撮影)。

 

山梨県との境に当たる緑区青根には折花姫(おりばなひめ)の伝説があります。戦国武将の武田勝頼が戦いに敗れた際に、その家臣である小山田氏にも追手が及び、娘の折花姫に翁(おきな)と姥(うば)を付けて先に逃がしましたが、結局、姫も自害して果てました。地元の人々は折花宮を建てて姫の死を弔い、別に「じじい宮」と「ばばあ宮」もまつりました。次の写真はそのうちの「ばばあ宮」です(平成19年[2007]3月7日)。

 

姫と言うと、これまで本ブログでも木や水に関わるものとして、照手姫(てるてひめ)の伝説を紹介してきました。緑区の小原・底沢地区の照手姫の化粧場だったとされる「七ツ淵」はその際にも触れましたが、近くにはその言われを記した解説板も立てられています(七ツ淵・平成20年[2008]11月18日、解説板・平成28年[2016]5月2日)

また、中央区上溝の照手姫が産湯(うぶゆ)や成長してからは化粧の水に用いたとされる泉は、これも前回取り上げたように河川改修によって今はありません。写真は、水源から流れ出ている姥川の様子(平成11年[1999]11月18日)です。なお、その跡に建てられていた照手姫伝承遺跡の碑は、横山丘陵緑地の姥沢地区内に移設しています(平成25年[2013]3月13日)。

 

最後に、南区下溝の堀之内地区は、戦国時代の小田原北条氏四代当主・氏政の弟である氏照の娘が山中氏と結婚する際に与えられた地とされ、この方は夫の死後に髪をおろして貞心尼(ていしんに)となりました。堀之内はその屋敷跡と言われ、集落では山中貞心神社をまつっています (平成12年[2000]12月7日)。

今回は、姫など女性について記してきましたが、次回は男性の武将に関するものに焦点を当ててみたいと思います。

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4年越しの足環

毎年秋の終わりころ、博物館お隣の樹林地で鳥類の標識調査を実施しています。これは、標識調査の資格を持った人(バンダー)がカスミ網で野鳥を捕獲し、足環(あしわ)を付けて放鳥するものです。その足環が今後、どこかで回収されると、その野鳥の移動や生きた年月が明らかになるもので、環境省が山階鳥類研究所に委託して行っている専門的な調査です。今年も10月末から11月3日にかけて実施しました。

捕獲のためのかすみ網を設置

その中で、4年前の2017年に同地で捕獲、足環を付けて放鳥したガビチョウが、再び捕獲されました。

4年前に付けられた足環

ガビチョウは特定外来生物に指定されていますが、この調査では外来種か在来種かということは区別せず、捕獲されたすべての野鳥に足環を付けます。それにしても、この場所で4年前に足環を付けた鳥に再会するというのは感慨深いものがあります。
他にも、普段双眼鏡越しに見ている野鳥を間近に見られる機会なので、短時間ですがじっくりと観察します。こちらは、クロジです。

クロジ(オス)

冬は暗い林内に潜伏する鳥なので、なかなか明るい場所で見ることがありません。まだ若いオスですが、独特のグレーの色合いがとても美しい鳥です。
こちらはコゲラです。この林内ではごく普通に見られますが、オスが頭の後ろ側の側面に持つ真っ赤な羽は、ふだんは他の羽に隠れてなかなか見ることができません。

コゲラの頭部(後ろの方に赤い羽がわずかに見えます)

また、捕獲した野鳥の各部位の計測をしていると、頭の羽から小さな虫が飛び出しました。捕まえてみると・・

シラミバエの仲間

シラミバエの仲間のようです。この昆虫は、野鳥にとりついて吸血するため、常に鳥の羽の内側に潜んでいます。これも、こうした捕獲調査でなければなかなか見ることができません。
身近な生きものの中にも、知らない世界がまだまだたくさんあることに気づかせてくれる貴重な機会となりました。

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津久井城市民協働調査 講習会・研修を行いました。

今年度の津久井城の城坂曲輪群(しろさかくるわぐん)6号曲輪の発掘調査を行うにあたり、10月20日に市民調査グループの方を対象に講習会・研修が開催されました。

場所は南区磯部の勝坂遺跡公園です。

午前中は発掘調査の基礎知識や図面の作成方法など、座学です。

「発掘調査の基礎知識」

「図面作成」など

重要な点は2つあります。①なぜ発掘調査が必要なのか?②発掘調査をすると遺跡はどうなるのか?

①は津久井城の内容を知るために、地下に埋蔵されている堀、建物跡、池跡などの遺構(不動産)や陶磁器・かわらけなどの遺物(動産)などの情報を得るためです。

これらの情報から津久井城の特徴は何か、城坂曲輪群にはどのような施設等があったのかを知ることができ、津久井城の機能や曲輪ごとの性格などをより明らかにできます。

②では発掘調査は遺跡の破壊であり、元には戻りません。例えるなら犯罪の現場捜査や外科手術のように失敗は許されず、二度とやり直しができないことを話しました。そのため実際に発掘調査として地面を掘る場所を設定する場合でも、発掘調査の目的を明らかにし、最小限の範囲しか掘らず、遺跡の破壊を極力抑えます。また、どこに何があったのか客観性をもたせるために、平面図などの記録を必ず作成します。

以上の点を踏まえ、座学の後に図面作成の研修を行いました。発掘調査では、地面を掘る作業と同じぐらい記録作業があります。

勝坂遺跡公園の敷石住居(復元)付近にて。

大きく分けて3種類の図面があります。3種類の図面でそれぞれ異なる情報を記録します。どれか一つだけでは十分ではありません。

1)地形図:調査区がどのような地形にあるのか、記録します。

城坂曲輪群の地形測量図

2)平面図:住居であれば石があるところや炉の場所など、城跡なら堀や土塁など遺構の状況を記録します。またそれぞれの遺構の配置を表すためにも作られます。

3)断面図:調査区の土層堆積を示した土層断面図と、遺構の凹凸から形状や構造を記録するエレベーション図に分かれます。

平面図と土層断面図(土の堆積を図化)

平面図とエレベーション図(住居の床とその上にある土器や石を図化)

 

今回は、平板測量による地形測量と遣方(やりかた)測量による平面図・エレベーション図の作成を実際に行いました。

平板測量 敷石住居(復元)がある地形の状況を作成

敷石住居(復元)の敷石を平面図で記録

敷石住居(復元)のエレベーション図を作成。

市民調査グループの方にとっては日常的に行う作業ではないので、一つ一つ確認しながら一緒に作業を行います。方眼紙の目盛りに苦戦しつつも、作業手順を入念に復習します。

晴天の中、研修は粛々と進み、あっという間に定刻になりました。概ね測量などの感覚を思い出していただいたようで一安心です。

今月から安全第一で津久井城城坂曲輪群6号曲輪を発掘調査します。発掘調査の内容は本ブログで掲載していきますので、ぜひご覧ください。

 

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川原石のふしぎ

10月23日に相模原市教育委員会の旧石器ハテナ館の主催事業「川原石のふしぎ〜自分だけのお気に入りの石図鑑をつくろう〜」が開催されました。相模原市立博物館の学芸員が講師を務めました。

旧石器ハテナ館に集合し、近くの相模川の川原で石を採集します。当日は気持ちよく晴れて、川原の石を観察するには最高の天気でした。

採集した石は水で洗って、雑巾で水分を拭き取ります。

各自が持参した箱の中に石を木工用ボンドで貼り付けていきます。上流から運ばれてきた川原の石のふるさとの山や相模川を台紙に描いたりして、自分だけの石図鑑を作ります。

完成した図鑑はどれも力作ばかり。

参加された方々の、石への愛着が伝わってきます。これをきっかけとして、さらに岩石や地質に興味を持っていただければと思います。

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秋色増す木の葉

博物館周辺の木々は、全体的に紅葉にはまだ早いのですが、中には色づき始めたものもあります。ミズキは少し早めに黄色く色づき、青空に映えます。同じミズキでも、もう少し遅く色づくと、赤く紅葉するものもあります。

ミズキの黄葉

地面近くでは、ヌルデがすでに紅葉しています。

ヌルデ(ウルシ科)の紅葉

ウルシの仲間は全般的に早い時期から鮮やかに紅葉しますが、ヌルデはその中では渋い色合いのグラデーションを見せてくれます。

ヌルデの紅葉

イロハモミジのように決まって赤く染まるものもありますが、多くの落葉樹がその年の気温や天候などによって、黄色くなったり赤くなったりします。これからしばらく、そんな木の葉の色の変化を楽しめます。

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