ヤマガラとエゴノキ

博物館お隣の樹林地では、エゴノキの果実が実っています。

エゴノキの果実

そこへ、3羽のヤマガラが行ったり来たりしています。エゴノキの果実は、ヤマガラの大好物。

せわしなくエゴノキを行き来するヤマガラ

嘴(くちばし)で果実をつまみ取ると、茂みの中へ消えていきます。またすぐに戻って来るので、おそらく、木の洞(うろ)などに詰め込んで、貯食しているのでしょう。

エゴノキをつまみ取るヤマガラ

おなかも空いているのか、時々、エゴノキの枝上で殻を割って中身を取り出して食べています。

両足指でしっかり固定してエゴノキの果実をつつき割ります

人間が手の指などで割ろうとしても、固くて割れません。でもヤマガラは、嘴(くちばし)でつつくだけでなく、ひねりを入れながら器用に割って中身を取り出しています。

ヤマガラの動きをよく見ると、ひねりを加えています

嘴は、キリやノミ、ペンチなどに相当する万能工具といったところですね。
エゴノキも食べられるだけでなく、ヤマガラが貯食したものの食べそびれた果実のうち、うまい具合に発芽条件の揃った場所から芽生える可能性があります。こんな行動からも、森と鳥の関係性が垣間見えますね。

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地質分野実習 ~展示完成へ~

こんにちは!地質分野の実習生(熱田・木目沢・高橋・森下)です。

9月10日と9月11日は地質分野の実習生全員でパネル展示の完成を目指しました。

9月10日は主に展示に必要なパネルの原稿を完成させ、その他に必要な写真や資料を準備しました。

解説には製作の様子も重要な要素なので、写真を撮って記録します。

イラストレーターを使いポスター等を作ります。たくさんあるので少し大変でした。

9月11日はいよいよ最終日です!はりきってがんばりました。

まず、展示のタイトルを決めなければならないので、皆でアイデアを出し合いました。展示の魅力が伝わるような言葉を選ぶのはとても難しかったです。

展示に使われているパネルはこのように手作業で作っています。まっすぐ綺麗に切り出せるように注意しました。

すべての資料をつくり終えると、展示スペースへの設置が始まります。掲示のわずかな位置の違いや傾きが全体のバランスに大きく影響するので何度も調整を繰り返しました。

展示のテーマは相模原の地層です。身近な場所にも、意外とおもしろい地層のひみつがあるようですよ……!

わたしたちが製作した展示はみなさんに見ていただける日を待っています。緊急事態宣言解除による再開館後に、お時間があれば是非博物館にお越しください。

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トンボの秋

相模川の河原へ植物調査に行きました。
9月中旬のこの時期は、トンボが賑やかです。特に、アカトンボの仲間は成熟して腹部が真っ赤になっているものが多く、秋を感じさせてくれます。アカトンボと総称されるトンボにはじつはたくさんの種類がいます。こちらは、アカトンボの中ではやや小型で赤味が強いマユタテアカネ。

マユタテアカネ

こちらは翅(はね)の先端に茶色い模様がある、リスアカネ。

リスアカネ

同じく翅に茶色い模様がありますが、先端ではなくちょっと内側で帯状にあるミヤマアカネ。

ミヤマアカネ

他にも、住宅地でも見られるアキアカネなどもいますが、胸部の模様の微妙な違いで識別するため、捕まえてみないとなかなかわかりません。
河原の大きな水たまりに出ると、シオカラトンボのオスとメスがランデブーしていました。

シオカラトンボ 上がオス、下がメス

産卵するメスに、別のオスの邪魔が入らないように?ペアのオスが見張っているようです。
そして、エメラルドブルーの模様を光らせて、ギンヤンマも飛んできました。

ギンヤンマ

トンボの季節はまだもう少し続きそうです。

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「軍都さがみはら展」のコーナー解説ブログ③

今回は、緊急事態宣言を受けての休館により会期途中で終了した博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年記念企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」のコーナー解説③を記します。

企画展入口看板です(生き物写真展も同会場で開催していました)

今回は第3章「軍都計画と相模原町の誕生」です。

第3章「軍都計画と相模原町の誕生」コーナー全体

この軍都さがみはら展コーナー解説ブログ①「陸軍士官学校の東京からの移転」②-1「各陸軍施設の移転と建設」前編②-2「同タイトル」後編で紹介したように、1937年(昭和12)~1942(昭和17)にかけて、市域内には8つの陸軍施設が移転・建設されました。

相模原町域の軍事施設

そうした中で1939年(昭和14)に神奈川県より区画整理事業「相模原都市建設区画整理事業計画」が県議会に提出されました。この計画がいわゆる「軍都計画」と称されるもので、内務省の告示、施行命令を受け実施されることとなります。

新磯村役場資料~「軍都計画」は正式名称ではないのに使用…軍都計画という言葉が浸透していたことがうかがえる~

この計画は、相模原に人口10万人の新都市を建設をするもので、相模陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)を中心に放射・半環状の道路を配し、住居地域、商業地域、工場地域に分け、さらに想定人口に合わせて学校・公園を置く先進的な計画でした。現在の国道16号線が横の幹線道路で、造兵廠の西門から当時の中心地上溝に至る現在の市役所前通りが縦の幹線道路など、軍都計画が基になっている場所が現代でも多くあります。

相模陸軍造兵廠を中心にした「相模原土地区画整理地区予定図」

軍都計画を進める上で神奈川県では、周辺町村の合併も目論んでいました。当初は大和村(現 大和市)までをも含む合併が検討されましたが、最終的には上溝町、座間町、相原村、大野村、大沢村、田名村、麻溝村、新磯村の2町6村が合併し、1941年(昭和16)4月に当時国内最大面積の相模原町が誕生しました。

相原村役場資料「町村合併に関する書類」

今回の展示では、軍都計画や町村合併に関する文書資料の他、当館に収蔵されていた「相模原町角印」も展示いたしました。

「相模原町」角印 (大きさ:たて・よことも4.5㎝) ~保存状態も良好~

今回は、軍都計画と2町6村の合併による当時国内最大面積の相模原町誕生について紹介をしました。これらの詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか近現代関係の『相模原市史』などを図書館等でご覧ください。(市役所行政資料コーナーや博物館ミュージアムショップで購入も可能です)

『相模原市史 現代テーマ編』ほか近現代関係

また、当館は緊急事態宣言中は休館のため、軍都さがみはら展の展示解説動画を当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、動画もご覧いただければ幸いです。

当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」

次回は、軍都計画、町村合併のもとで行われた戦時中の相模原の都市整備について紹介していきます。

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初秋の陣馬山

9月12日、相模原市緑区の陣馬山へ生物調査に行きました。
山頂はあいにくの濃霧でしたが、少し霧が薄まって明るくなると、チョウは元気に飛び回っていました。こちらはアサギマダラです。

アサギマダラ

ノハラアザミの花をめぐりながらしばらく吸蜜していたかと思うと、突然上空高く飛んで霧の中へ消える行動を繰り返していました。独特の飛び方をするチョウです。
こちらはキアゲハです。この時期のキアゲハは大きくて迫力があります。

キアゲハ

初秋の草原の植物もよく咲いていました。こちらはツリガネニンジンです。

ツリガネニンジン

こちらはシュロソウ。独特の渋い色合いの花です。

シュロソウ

そして、陣馬山を下山後、近くの山林へ寄りました。目的はこの花です。

ヤマジノホトトギス

一見するとどこにでもあるヤマホトトギスのように見えますが、花被片(花びら状の部分)が反り返らず、葉の付け根に一つずつ並んで花が付くのが特徴の、ヤマジノホトトギスです。神奈川県内ではこの地域にしか現存していない絶滅危惧種です。
ちょっとお天気は良くなかったのですが、秋の訪れを感じさせてくれる生きものをしっかり確認できました。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介㊶ み

宮ヶ瀬の 湖面を染める 紅葉かな

地図で見ると、手のひらのような複雑な形をした宮ヶ瀬湖は、相模川の支川である中津川に造られた宮ヶ瀬ダム(平成12年完成)によってせき止められたダム湖です。
湖岸の北側のほとんどが相模原市緑区に位置し、東側のダム堤体付近は愛川町、南側と西側が清川村に含まれます。複雑な湛水域(たんすいいき)の形は、中津川の他、川弟川(かわおとがわ)、早戸川(はやとがわ)、金沢川(かねさわがわ)と、丹沢山地を源とする大きな支川が流入するためです。

ダム湖にかかる「虹の大橋」

湖岸にはダムの建設に伴って整備された湖岸道路の他、林道によって湖岸を散策することができます(林道入口はゲートが設けられ、一般車は入れない場所が多いものの、歩いて入ることはできます)。

宮ヶ瀬湖畔の紅葉(11月下旬)

新緑のシーズンも美しいのですが、紅葉の頃は赤や黄色に染まる湖岸が水面(みなも)に映ることもあり、多くの観光客が訪れます。

早戸川林道から見た湖畔の紅葉(11月下旬)

ダム湖の湛水域の面積は4.6平方キロメートルで、ダムの規模も関東屈指の大きさを誇ります。観光放流の際は、県立あいかわ公園側から入り、宮ヶ瀬ダム下流側に敷設された副ダムの石小屋(いしごや)ダム側から放水の様子を見ることができます。

宮ヶ瀬ダムのダム堤体(観光放流の様子:11月下旬)

宮ヶ瀬ダムは、生活用水、農業用水、工業用水などの利水の他、相模川水系の治水を担う多目的ダムで、さらに宮ヶ瀬湖により新たな自然環境を生み出しました。オシドリやヤマセミなどが生息し、県内でも有数の野鳥観察の名所となっています。

宮ヶ瀬湖のオシドリ

宮ヶ瀬湖のヤマセミ

これから秋が深まり、11月中旬から下旬が紅葉の見ごろとなります。ぜひ宮ヶ瀬湖畔を訪れてみてください。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No72・伝説① 境川の流れに沿って)

伝説は、例えば木や石、あるいは神仏など、具体的なものにまつわる言い伝えですが、市内各地にも数多くの伝説があります。今回は、境川流域のいくつかの伝説を取り上げますが、写真は基本的に、本ブログNo.28でも紹介した平成16~17年[2004~05]に実施した民俗講座「境川流域を歩く」の際に撮影したものです。

最初の写真は、緑区川尻の「雨降地蔵」です。「雨降(あめふらし)」は地域の地名で、地蔵の先を進んでいくと境川の源流部になります。この地蔵に子どもが授かるようにお願いしたとか、近くに医者がいないので、地蔵様にお参りして病気が治ったという話が伝えられています。なお、この付近は旧城山町の最北部で、多摩丘陵を背にした農村の風景が広がっています。

 

次の写真は緑区広田の「下馬梅(げばうめ)」です。八王子城が豊臣秀吉の軍に攻められた際に、津久井城へ伝令に走った武士がこの地で津久井城が落城したと聞き、馬から下りて鞭(むち)の代わりに持っていた梅の枝を逆に突き刺したところ、その梅が根づいたと言われています。逆さに花が咲くので、逆さ梅とも呼ばれてきました。現在の梅は、以前のものが枯れてしまったため、新たに植樹したものです。

 

緑区東橋本の「蓬莱(ほうらい)橋」と、橋のたもとにある「勢至菩薩(せいしぼさつ)」は本ブログNo.28でも紹介しました。蓬莱橋は、橋のたもとに小豆洗いバアサマの妖怪が出る、花嫁行列は通ってはいけないなど、さまざまな話が伝えられています。また、勢至菩薩は足の神として祀られ、草履(ぞうり)や絵馬などが供えられていたと言います。

                 

最後の写真は、中央区東淵野辺の「縁切り榎(えのき)」と「中里橋」です。南北朝時代に淵辺義博(ふちべよしひろ)という武士が、宮城県の石巻に落ちのびるに際し、妻子と縁を切った場所なので「縁切り榎」(この写真は平成13年[2001]6月撮影)、中里橋は別れを惜しんだ「別れ橋」「縁切り橋」で、前の蓬莱橋と同様に、嫁入り行列は通ってはいけないとされていました(かつては別の場所だったとも言われます)。なお、淵辺義博の伝説は改めて紹介します。

このように市内には興味深い伝説が数多く残されており、これまで取り上げてきた内容も交えながら、今後とも毎回テーマを決めながら伝説を紹介していきたいと思います。

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どっちが頭?

久しぶりに晴れ間がのぞいた9月7日、コヒルガオのつるの下で、もぞもぞ動くものがいました。捕まえてみると、すぐにカチッと丸まって、防御姿勢になりました。

エビガラスズメのイモムシ

これは、エビガラスズメというスズメガの仲間の幼虫です。動く様子がないので、食草の一つであるアサガオの葉と一緒に容器に入れてみました。しばらくすると、葉を布団のようにして頭を出して・・・

頭を出している!?

いやいや、だまされてはいけません。見えているのは、おしりの方です。角のように見えているのは、尾角(びかく)という突起です。
もう少し様子を見ていたら、本物の頭を出していました。

左側が本物の頭です

左側の小さな方が頭です。エビガラスズメに限らず、多くの蛾のイモムシの最後部には、尾角と呼ばれる突起がついています。この突起の役割については、以前のブログでも紹介しました。その時は、敵(小鳥)へ、いかにもつまみやすそうな突起に見せて、惑わせるしくみではないかと推測しました。エビガラスズメの尾角も同じでしょうか。
それにしても、ご丁寧におしりを頭のように見せているのは、敵を驚かすため?でも、小鳥が恐れるヘビの頭にはイマイチ見えません。どちらかというとカナヘビかトカゲですが・・国内のカナヘビ・トカゲ類は小鳥の餌になっても小鳥を襲うことはありません。頭と思って鳥がクチバシをつまんだとして、本物の頭を攻撃されるようりはマシということでしょうか。最初の写真の防御姿勢を見るとそんな気もします。
再び防御姿勢を取ろうとしたエビガラスズメです。

知らないと人間でもだまされそうです

効果があるのかどうか不明ながら、懸命な擬態(ぎたい)を見ているとちょっとけなげで、あまりいじめてはかわいそうと思い、食草であるコヒルガオのつるに戻しました。

 

 

 

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博物館実習分野別<歴史>3日目

みなさんこんにちは。歴史分野の実習生です。分野別実習三日目は、ミニ展示に向けての資料調査をしました。

資料採寸中

 

八王子千人同心に所属し、幕末の長州征伐にも従軍した旧小山村(現 中央区内)の萩原安右衛門という人物に関連する資料などを収蔵庫で探しました。

資料の採寸や写真撮影を行い、実際に展示できる状態なのか調査しました。

 

作業風景

 

ミニ展示に向けて方向性を決め、順調に話し合いをしています。

 

ミニ展示に向けた内容の話し合い中

 

展示検討のための図…日記をもとに長州征伐の行程を記入

 

私たちの展示開始日は実習最終日の9月23日です。

お楽しみに!

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No71・人生儀礼)

人が生まれてから死ぬまでの間には、節目ごとにいろいろな行事や儀礼が行われます。本ブログでも、子どもに雛人形や幟(のぼり)が贈られる三月・五月節供を取り上げてきましたが、それぞれ個人や家庭を単位とするものであるため、なかなか撮影の機会もなく、博物館が保管する写真は多くはありません。

最初の写真は、ブログNo.48でも紹介した、結婚して初めて三月節供を迎えた際にお嫁さんの実家から贈られたオクリビナです。大正5年(1916)に中央区上溝から同区田名に嫁入りした方のもので、結婚に伴う贈答品の一つです。

 

結婚式には御祝儀を包むことは現在でも見られますが、次の写真は、そのお祝いの金を挟むのに使った三つ折りにした半紙です。これはダイ(台紙・ダイガミ)と呼ばれ、右肩のところに「のし」と書いて、下には自分の名前を添えます(写真では名前を伏せています)。台は、このほかにも出産祝いや正月のお年玉などのお祝いにも使われ、病気見舞い等には使いません。                  

 

人が亡くなると持って行く香典は、かつてはその家と関係が深い家ではお金とともに米一升の両方を出しました。これを両義理と言い、米は絹の着物などの良い布の端切れを集めて縫い合わせた、義理袋と言われる袋に入れました。また、赤ん坊が生まれた際に嫁の実家から持って行く力米(ちからごめ)なども義理袋に入れるなど、義理袋はどこの家にもあるものでした。

 

次の写真は、昭和58年[1983]・緑区下九沢で撮影した墓地の様子です。まだ墓石はなく、また、新盆に吊り下げたと思われる盆提灯(ぼんちょうちん)が置かれています。二枚目の写真は平成13年[2001]緑区大島ですが、墓石に「大人命(うしのみこと)」「刀自命(とじのみこと)」と彫られており、大人命は男性、刀自命は女性に用いられるものです。大島地区の一部では葬式を仏式ではなく神式で行う「神葬祭(しんそうさい)」が見られます。

 

一般的に、死後の年忌の供養は三十三年回忌まで行われることが多く、この弔い上げの時はトリジマイなどと言って、杉の木の幹を削って年忌の文字を寺で書いてもらった塔婆を立てることがありました。写真は、昭和60年[1985]の南区下溝です。

 

最後に取り上げる昭和33年[1958]の南区上鶴間本町での写真は、博物館の保管ではなく相模原市史 民俗編』に掲載された写真です。お嫁さんが嫁ぎ先の家に入る様子で、子どもたちが持つ松明(たいまつ)をまたいで進みます。また、傘を差しかけていますが、市内の北部に行くと傘ではなく、笠を用います。こうした人生儀礼に関わる古い写真は、市史民俗編やそのほかの写真集などにも載せられていますのでご参照ください。

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