カメムシ注意報

博物館お隣の樹林地を歩いていると、葉っぱの上のかわいい模様が目に付きました。

アカスジキンカメムシの幼虫

よく見ると、同じ木に5、6匹います。真上から見ると、口を開けて笑っているようにも見えるこの虫は、アカスジキンカメムシの終齢幼虫です。ということは、近くにもう成虫になっている個体がいるのではないかと探すと、いました!

アカスジキンカメムシの成虫

この個体は全体の色味が淡く、薄紫色の筋が美しいのですが、緑色や赤スジ模様がもっとはっきりしたものもいます。個体差が大きいので、他の色合いの成虫も撮影できたらまた紹介します。

“カメムシ注意報”のタイトルは、臭いカメムシ大量発生!という意味ではなくて、とびきり美しいカメムシの成虫が見られるタイミングなので、見逃さないように!という意味でした(成虫は春から発生します)。ちなみにキンカメムシ類は、人により感じ方の差がありますが、あまり臭くないと言われることが多いグループです。

カテゴリー: 生きもの・地形・地質 | タグ: | カメムシ注意報 はコメントを受け付けていません

「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No70・盆の砂盛り)

本ブログのNo.22では、お盆の行事として「砂盛り」と言われるものがあり、その分布には特徴があって、市内では、南区磯部と新戸で濃厚に見られ、当麻・下溝・上鶴間は場所によって作り、中央区田名や上溝は希薄ながら家によっては行い、それ以外の北部に当たる中央区の区域と緑区では見られないことに触れました。

砂盛りは各家の入口のところに土や砂を盛って作りますが、家によっても材料や形に違いがあり、前回のブログでは、主に昭和61年[1986]に南区磯部地区で撮影した写真を取り上げました。今回はいつもとは異なり、今年撮影したものを中心に紹介します。

下の四点はいずれも南区磯部・下磯部地区で、下磯部は他の地区に比べて砂盛りがよく作られているところです。一枚目は缶の中に砂をつめ、線香立ての筒を立てています。こうした缶や植木鉢などを使うことは以前から見られました。そして、二枚目は石の鉢、三枚目では専用の自製した木の箱を使っており、階段も作っています。また、四枚目では容器に土や砂をつめるのではなく、全体が石製です。

 

次の二枚は南区新戸の同じ家で、最初は平成18年[2006]、二枚目が今年撮影です。平成18年は土を固めて作られているのに対し今年は石になっており、下磯部の四枚目のものと同様に毎年作る必要がなく、保管していて盆の時に出して使用するものと思われます。

 

最後は南区下溝で、実はこの場所には、ほかでよく見られるような土で作った砂盛りがありましたが、現在はこのようなブロックで囲った中に土をつめるものに変わっています。

 

ここで挙げたのはわずかな例で、これだけでもちろん現状を捉えることはできないものの、やはりブログNo.22で取り上げた昭和61年[1986]に比べると大きく変化し、作られなくなっていると考えられます。それでも缶などの利用はもとより、自製の箱や石を使うなどの形も現れており、市域の文化や民俗を調べていく上で、今後ともどのようになっていくのか、注目する必要があるといえるでしょう。

カテゴリー: 民俗むかしの写真, 考古・歴史・民俗 | タグ: | 「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No70・盆の砂盛り) はコメントを受け付けていません

生きものミニサロン ウェブ版「ようこそ!小さな昆虫レストランへ」を公開しました!

先日、このブログでも紹介したヤブカラシなどのつる植物について、動画をYouTubeの相模原市立博物館チャンネルに公開しました。タイトルは、「ようこそ!小さな昆虫レストランへ」です。

博物館ホームページの「ネットで楽しむ博物館」のページから視聴できます。
家のまわりの身近な場所でできる自然観察の方法をぜひご覧下さい!

カテゴリー: おしらせ, 生きもの・地形・地質 | タグ: , | 生きものミニサロン ウェブ版「ようこそ!小さな昆虫レストランへ」を公開しました! はコメントを受け付けていません

生物分野実習1日目(8月20日)

こんにちは!生物分野の実習生(近内、宮地、山口)です!

本日は専門実習1日目です。午前中は、ボランティアグループである相模原植物調査会の方々と一緒に、昨年水害に遭った人吉城歴史館(熊本県)の植物標本洗浄作業をしました。

 

泥とカビを残さないように、丁寧に作業を行いました。

全国の博物館が協力して被災した標本のレスキュー作業を行っていることを知って、古い標本の大切さを学びました。

午後からは、博物館周辺の樹林地にて植物採集を行いました。

トゲのある植物、くっつく植物、においのする植物など合計9点採集しました。
今日から乾燥させて、8月27日に標本を作成する予定です。

残り5日間、多くの事を学んでいきたいと思います。

カテゴリー: 今日の博物館, 生きもの・地形・地質 | タグ: | 生物分野実習1日目(8月20日) はコメントを受け付けていません

考古分野の博物館実習が始まりました。

8月に入り、学芸員資格取得のための博物館実習が始まりました。今年度は21名の大学生が参加しており、このうち4名が考古分野の専門実習を受けています。

8月18日の専門実習初日には、資料整理の基本編として、寄贈された土器や石器の注記作業や分類集計を行いました。注記作業とは、土器や石器自体に登録番号や分類番号を直接記入する作業で、資料管理上とても大切な作業です。ザラザラした土器片に数ミリの小さな字をいくつも書いていく作業は大変ですが、実習生はすぐに慣れて、200点以上の注記作業を終えることができました。

注記した土器片

注記のアップ

集計作業の様子

実習2日目の8月19日は、前日に注記した資料の写真撮影と資料カード作りです。ライティング作業に四苦八苦しながら、朝から始めた撮影作業は午後まで及びました。撮影後の資料カード作りですが、実習生が話し合って必要な項目を考え、オリジナルの資料カードを作ることから始めました。作成したカードに情報を記入し、撮影した写真を貼り付け完成となります。前日の集計と写真に写った資料の点数が合わないなど、様々な反省点はありましたが、無事2日目の課題を終えることができました。

撮影作業

オリジナル資料カード

新型コロナウイルスの感染が拡大する中、今年度も感染症対策による様々な制限下での実習となっていますが、考古分野の実習は来週も続きますので、随時レポートしていきたいと思います。

 

 

カテゴリー: 考古・歴史・民俗 | タグ: , | 考古分野の博物館実習が始まりました。 はコメントを受け付けていません

小さな花 その2

先日、このブログで小さな花をいくつか紹介しました。
今回はさらに小さな花の写真を撮影してきたので紹介します。それはヒトツバハギ。

ヒトツバハギ(相模原市緑区)

ハギと名が付きますが、秋の七草、 萩 (はぎ) 、尾花 (おばな) 、葛 (くず) 、撫子 (なでしこ) 、女郎花 (おみなえし) 、藤袴 (ふじばかま) 、桔梗 (ききょう)に含まれるマメ科のハギとはだいぶ違う趣です。七草のハギは秋に野山に咲くハギ類の総称です。例えば相模原市内にも自生するマルバハギはこちらです。

マルバハギ(マメ科)の花

ハギ類独特の桃色が美しい花です。一方ヒトツバハギの花はこちらです。

ヒトツバハギの花

直径3ミリメートルほどで、花びら状のものがかろうじて見えますが、雄しべでどうにか花とわかる程度のものです。確かに、全体としては丸い葉が平面的に並ぶ様子がハギ類に見えなくもないのですが・・

ヒトツバハギ

初秋に実る果実を見ると、いっそう、ハギには見えません。

ヒトツバハギの果実(2019年9月に撮影)

それもそのはず、ヒトツバハギはトウダイグサ科の植物で、マメ科のハギ類とは縁もゆかりもない植物なのです。ただし、相模原市内ではやや珍しい植物です。植物好きの人からすると、マルバハギなどの花も見つけるともちろん嬉しいのですが、ヒトツバハギの方がもっと嬉しい植物なのです。この日見つけたこの株も、枝を一つ採集して持ち帰り、標本にしました。
近くの雑木林では、キツネノカミソリが咲いていました。

キツネノカミソリ

二十四節季の立秋(今年は8月7日)の頃から咲き始めるためか、この花を見ると夏が終わりに近づいていることを感じます。

カテゴリー: 生きもの・地形・地質 | タグ: , | 小さな花 その2 はコメントを受け付けていません

「軍都さがみはら展」のコーナー解説ブログ①

緊急事態宣言を受け、7/17から8/29まで開催予定であった博物館×公文書館共催 相模原町誕生80年企画「軍都さがみはら展~国内最大の町誕生物語~」は、8/5で終了となりました。(当館は緊急事態宣言中は休館の予定です)

企画展入口看板です(生き物写真展も同会場で開催していました)

そこで、「軍都さがみはら展」について、今回から6回にわたりコーナーごとにこのブログにて解説していきたいと思います。今回は最初のコーナー「陸軍士官学校の東京からの移転」です。

陸軍士官学校の東京からの移転 展示コーナー

陸軍士官学校は陸軍の将校を養成する学校で、まさに陸軍の中心的施設の一つです。もとは東京  市ヶ谷(現 新宿区内)にありましたが、昭和初期に軍隊の装備の近代化(戦車など)により広大な演習用地が必要となり、陸軍内では移転候補地を模索していました。

そうした中、1936年(昭和11)4月、移転候補地は次の表のとおり八王子附近、富士南麓、原町田西方、愛知県豊橋の4つの候補地に絞られました。このうち、原町田西方が現在の相模原市南部から座間市北部にあたります。

士官学校移転4候補地~相模原市史 現代テーマ編より~

拡大画面は下記をご覧ください

士官学校候補地

移転候補地の条件は、大部隊の演習が可能であること、買収のため土地が安く地主も少ないこと、建築工事に際し基礎工事がしやすいこと、そして天皇陛下が卒業式に臨席(りんせき)するため行幸(ぎょうこう)がしやすいこと等々がありました。最終的に原町田西方は、「実現確実且容易なり」とあり最終候補地に決定しました。

1936年(昭和11)6月27日、座間村役場に集められた座間・大野・新磯・麻溝村の4村長と陸軍主計官(しゅけいかん)との間で、初めて用地買収会合が開かれました。

麻溝村の士官学校・練兵場関係書類

内容は陸軍士官学校用地として座間・新磯村で66.7町歩(66.1ha)、演習場用地として新磯村250町歩(247.8ha)、麻溝村340町歩(336.9ha)の土地を買収したいという申込みでした。

相模原市域の陸軍施設…右下部に陸軍士官学校と相武台演習場とある

練兵場予定図~麻溝村役場資料 士官学校関係書類より~

各村は村内で議論を交わし、特に耕作地の大半を失うことになる新磯・麻溝村は紛糾しましたが、陸軍側の強い態度もあり、村側は失業対策を陳情した上で買収に協力します。

新磯村内磯部地区の買収地請求書類

士官学校の建設工事は、同年10月に起工、翌1937年(昭和12)9月に第一期工事と本科生徒隊1300人の移転が完了しました。

また、同年12月20日の第50期生徒の卒業式に昭和天皇が行幸され、この時に現在も市内の小田急線沿いを通る行幸道路が作られました。卒業式に臨席された昭和天皇はこの地を「相武台(そうぶだい)」と命名されました。

行幸の際における奉拝者の心得

相武台の碑~キャンプ座間内~

また、このコーナーでは、士官学校当時の写真を展示しました。

士官学校当時の写真

その他、現在のキャンプ座間内に残る士官学校当時の建造物などを写真パネルで紹介しました。

旧陸軍士官学校大講堂…戦後劇場として使用されていた

旧陸軍士官学校地下室(天皇陛下の防空壕ともいわれる)

なお、士官学校の用地の約2/3は現在の座間市域です。陸軍士官学校の移転の詳細は、『相模原市史 現代テーマ編~軍事・都市化~』ほか『相模原市史』や『座間市史』などを図書館等でご覧ください。

『相模原市史 現代テーマ編』ほか近現代関係

また、本企画展の展示解説動画を、当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」に掲載しておりますので、そちらもご覧いただければ幸いです。

当館ホームページ「ネットで楽しむ博物館」

 

カテゴリー: おしらせ, 報告, 考古・歴史・民俗 | タグ: , | 「軍都さがみはら展」のコーナー解説ブログ① はコメントを受け付けていません

小さな花

真夏の強すぎる日差しを避けるように、樹林内では小さな花がたくさん咲いています。その一つがこちらのヌスビトハギです。鮮やかなピンク色と、マメ科特有の立体的な花がとても美しいですね。

ヌスビトハギの花

ただ、この植物は花よりも、こちらの果実の方がじつは有名です。実ると、かなりやっかいな“ひっつき虫”になるからです。

熟すとやっかいなひっつき虫になるヌスビトハギの果実

ハエドクソウも、大きな植物体のわりに小さな花を咲かせます。

ハエドクソウの花

日差しに負けずに咲く小さな花もあります。ヤブカラシです。

ヤブカラシ

よく見ると、ピンクの花とオレンジ色の花があります。色によって昆虫の群がり方も違うようです。

ヤブカラシの花 こんぺいとうのような花

ちょっと面白い観察ポイントがある植物なので、先日公開した「生きものミニサロンウェブ版」(初回はアブラゼミの羽化など夜の自然観察の様子を紹介しました)の第2弾を撮影してみようと思いつきました!公開の準備が整ったら、またこちらのブログでお知らせします。

カテゴリー: 生きもの・地形・地質 | タグ: , , | 小さな花 はコメントを受け付けていません

「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No69・大山への道しるべ②)

前回に引き続き、津久井地域の大山道標(おおやまどうひょう)を中心に紹介します。

最初の写真は、緑区原宿で、町田市大戸から緑区川尻に入り、川尻八幡宮の前を通って、相模川の小倉の渡しに至る道にあったものです。安永9年[1780]造で上部に不動尊の座像が乗り、「大山」の文字のほか、「西 津久井みち」「東 江戸八王子道」などと記されています。

実はこの大山道標には、位置の関係で写真撮影が難しい反対の面に「小くら船場道」とあり、船による運送を生業とする高瀬講中の者たちが建てたもので、大山へ行くための参詣人を、自分たちが営む渡船場に向わせる目的があったものと考えられています。

次の写真は緑区青野原・梶野地区の明和5年[1768]造で、庚申塔(こうしんとう)ですが「南大山道」「西道志路」などと記されています。この場所は、青野原から緑区鳥屋(とや)を経て清川村宮ヶ瀬(現在は宮ヶ瀬湖のため水没)に至るところに当たり、さらに、ここで北及び西方面からの道が合流しました。

                  

 

次のものは西側の道にあった道標の一つで、同じく青野原・西野々〈にしのの〉地区の享和3年[1803]造です。正面の「大山道」ほか、「右まきのみち(緑区牧野)」「左あおねみち(緑区青根)」と記され、北側の牧野からの道が、西側の青根からの道に合流する地点であることが分かります。

 

最後の写真は、緑区牧野・大鐘地区の代参講中による安永3年[1774]造です。大きな角柱塔に深く立派な彫りで大山道とあり、この3文字の中に米一升が入るよう祈りを込めて彫られたとされています。作った石工名も記されており、江戸時代に石工の職人が多くいたことで有名な信州(長野県)高遠(たかとお)の田原村儀右衛門の作です。

なお、この大山道標のある場所にはほかにもいくつかの石仏があり、閻魔(えんま)像が目を引きます。念仏供養塔として延享2年[1745]の造立です。子どもが嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれると言ってしつけをしたという話が残されています。

 

2回にわたって大山道標を中心として石仏を取り上げてきました。博物館にももちろん多くの石仏の写真を保管しており、特徴的で興味深いものも数多くあります。今後、そうした石仏なども紹介していきたいと思います。

カテゴリー: 民俗むかしの写真, 考古・歴史・民俗 | タグ: | 「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No69・大山への道しるべ②) はコメントを受け付けていません

コナラの受難

博物館の敷地内には、かつて相模野台地の雑木林の主要な樹種であったコナラが多く植えられています。秋の実りの季節に備え、すでに若いドングリが大きくなりつつあります。

コナラの若いドングリ

しかし、比較的大きなコナラの株の多くが今、葉が茶色く変色し、枯れようとしています。

博物館駐車場のコナラ(中央の木が枯れて葉が茶色く変色している)

これは、全国的に蔓延する「ナラ枯れ」という現象によるものです。ナラ枯れは、コナラの幹を食害するカシノナガキクイムシ(通称カシナガ)という甲虫の一種が、コナラの病原菌であるナラ菌を媒介して起こす病気です。ナラ菌に感染した幹の細胞は死に、道管(幹の中で水分を通す組織)が目詰まりを起こします。その結果、梅雨明けの頃から急に葉が茶色く変色して枯れてしまいます。

カシノナガキクイムシ(コウチュウ目ナガキクイムシ科)の成虫

比較的老齢のコナラがナラ菌に侵されて枯死すると言われ、大きな太いコナラに被害が多く見られます。博物館でも、カシナガが増殖、分散しないよう、幹に粘着テープを巻くなどして対策していますが、周辺の罹患木(りかんぼく)すべてに巻くわけにもいかず、抜本的な対策はできないのが現状です。

ナラ枯れのコナラを下から見上げたところ

ただ、コナラはもともと長寿の木ではありません。生活エネルギーとして炭や薪を利用していた時代には、伐採によって更新され、健全な雑木林が育成されてきました。しかし現在はそうした管理がされず、放置林となっていました。そこへナラ枯れによって自然界がコナラの老齢林の更新をはかっているようにも見えます。

カシナガの幼虫の食痕であるフラス(木くず)が根本にたまっている

すでに西日本ではナラ枯れのピークが過ぎていると言われており、関東地方でもナラ枯れですべてのコナラが枯死するわけではないと考えられています。
そうは言っても、枯死したコナラは落枝や倒伏の危険があるため、これから伐採、除去を進めなくてはなりません。キアシドクガによるミズキの食害に続き、コナラにも受難が降りかかり、博物館周辺の樹林も様相を大きく変えようとしています。

カテゴリー: 生きもの・地形・地質 | タグ: , , | コナラの受難 はコメントを受け付けていません