おかいこさま飼育中 9日目 3齢に脱皮

給桑開始から9日目の6月10日、多くのカイコが脱皮をして、3齢になりました。こちらはまだ2齢の眠(みん)のカイコです。黒い2齢の頭が前の方へずれてきています。

脱皮前のカイコ

こちらは脱皮した3齢のカイコです。頭がベージュ色に変わりました。

脱皮後の3齢のカイコ

大方のカイコが脱皮するのを待って、夕方から給桑を再開しようと思います。

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アナグマの親子

博物館お隣の樹林地にしかけてある赤外線感知式センサーカメラ(無人撮影カメラ)に、6月7日、アナグマの親子が写りました。

アナグマ(2021.6.7)左端が親で、右側3頭が子ども

親のアナグマ(左端)に比べるとまだ小さめの3頭の子どもたちが、元気に動き回っていました。昨年も7月に子連れの親子が写りました(その時は子どもは2頭でした)。野生動物の生息環境としては決して広いとは言えないこの樹林地で、アナグマが繁殖を繰り返していることがちょっと驚きですね。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No61・文化財記録映画「祭礼行事」)

今回、取り上げる文化財記録映画は、昭和63年(1988)度制作の第七作「相模原の祭礼行事」で、相模原地域の神社などで行われてきた祭礼や、その際に行われる芸能などを撮影したものです。本ブログでは、うどんや酒まんじゅう作りの回でも、祭りに伴うご馳走作りとして写真を掲載しましたが、ここでは中心となる祭礼行事を紹介します。

最初の写真は、緑区下九沢・九沢地区のお天王様(おてんのうさま)の山車(だし)です。市内でお天王様の祭りというと、中央区上溝や緑区中野が有名ですが、この夏祭りは各地で行われており、山車をひいたり神輿(みこし)をかついだりします。映画では上溝地区とともに下九沢の様子が撮影されました(7月23日撮影)。

 

お天王様の祭りの際に、山車に乗って祭りを賑やかに彩るのがお囃子(はやし)です。笛や太鼓の音とともにヒョットコやオカメ、獅子などがユーモラスに踊る姿は、祭りに大切なものと言えます。祭り囃子は各地で行われていますが、次の写真は市内でも古くから行われてきた所の一つとされる、中央区上溝・丸崎地区で撮影されました。なお、ここでは映画用として特別に部屋の中で撮影しています(7月24日)

 

また、夏場の民俗芸能として忘れてはならないのが三匹獅子舞です。現在、相模原では、緑区鳥屋(とや)・大島・下九沢と中央区田名で行われており、この写真は大島地区のものです。三匹の獅子とともに鬼も一緒に踊っています(8月27日)。

 

祭りでは、鳥居の横などに幟(のぼり)を立てますが、現在では機械で作業が行われます。南区磯部の御嶽(みたけ)神社では、当時、地域の人々が集まって人力で幟を立てていました。映画ではその様子も撮影させていただきました(8月28日)。

 

中央区上矢部の御嶽神社で行われるのが湯花(ゆばな)神事です。湯立てとも言われ、境内にすえた大釜で湯を沸かし、その湯を神職が笹で四方に撒きます。全国的に見られるものですが市内では珍しいとして取り上げられました(9月10日)。

 

祭りは、餅や魚・野菜などさまざまなものを神前に供え、式典後には人々もいただきますが、南区当麻・芹沢の三島神社では、祭りに大根を削って酢漬け(すづけ)した大根なますを作って食べます。写真はなますを作っているところで、祭り自体の名称も「なますまち」と呼ばれ、ほかにも例えば神社の祭りにもかかわらず寺の住職も祭りに参列するなど、特徴的な内容となっています(11月6日)。

 

最後の写真は、中央区田名の的祭(まとまち)に関わるもので、的祭は1月6日に子どもが大きな的に矢を射る行事として有名です。映画では、もちろん祭礼当日とともに、的や弓矢作りの様子も撮影しています。この的作りは的踏み(まとふみ)と言い、作る家が決まっています(12月19日)。

 

以上、映画の内容にあわせて紹介してきましたが、このほかにも映画に撮影されている祭礼行事があり、また、撮影に至らなかったものもあります。地域の中に、こうしたさまざまな祭礼行事が見られるのを示すことを主な目的とした映画と言えましょう。

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おかいこさま飼育中 7日目 頭が黒いのは2齢まで

給桑開始から7日目の6月8日。昨日(7日)朝までにほぼ脱皮を終えました。大きさも1cmを越えています。1週間で4倍ほどの体長に!

体長1cmを越えた2齢のカイコ(6月8日朝)

こちらは脱皮殻(だっぴがら)です。葉の上に古い皮膚を固定し、前に進みながら靴下をずるずると脱ぐように脱皮をします。

脱皮殻

脱皮したカイコは2齢になり、またモリモリとクワの葉を食べています。

2齢のカイコ

2齢までのカイコの大きな特徴は、頭部が真っ黒なことです。

頭が黒い2齢のカイコ

3齢からはベージュ色の頭部になります。2齢の期間は短くて、3日弱です。ということは、明日には2回目の眠(みん)に入ります。黒い頭のカイコも、あと数日で見納めです。

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天使のらせん階段?

通勤途中の歩道に、ひょっこりとネジバナが咲いていました。

路傍に咲くネジバナ

芝生や街路樹の植込み、庭先などに普通に咲くので、“雑草”のカテゴリーに入ってしまいますが、ラン科に分類される、正真正銘の野生ランです。拡大すると、ゴージャスな花!ネジバナとは、らせん状に咲く花にちなんだ種名です。ちょっと味気ないというか、単純すぎるというか・・。

拡大すると、まぎれもなくランの花です

以前、植物好きのある方がこの咲き姿を見て「ネジバナなんて風情(ふぜい)の無い名前ではかわいそうだから“天使のらせん階段”と呼びたい」とロマンティックなことを言いました。

美しいらせん状の花序(かじょ:花の集まり)

しかし、まわりにいた現実主義的な人から「天使は翼を持って飛べるから、階段なんか使わないよ」と言われて、ロマンティストはがっくり肩を落としていました。
天使が登るかどうかは別としても、整然と並ぶこの花を見ていると、いろいろと創造力がかき立てられますね。

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おかいこさま飼育中 5日目 1回目の眠に入っています

給桑開始から5日目、カイコのほとんどが1回目の眠(みん)に入りました。眠とは、脱皮前に新しい皮膚を内側に作っている時期で、1日~1日半ほど、食べずにじっとして動かなくなる期間です。

眠に入っているカイコ(6月6日朝)

安定の良さそうなところに腹足(ふくそく:幼虫時代だけにある腹にある足)を固定し、胸と頭を少し持ち上げるようにして静止します。眠なのか、単にお腹がいっぱいで休んでいるのかは、頭が少し前にずれているのでわかります。

古い頭の殻が前へずれているのが眠のしるしです

新しい大きな頭が、古い頭の殻(から)を前に押し出したようになっています。
今日から明日にかけて脱皮し、2齢になります。脱皮するとすぐにまたモリモリとクワの葉を食べるのですが、脱皮した順にクワをあげていくと、成長の差が広がって不揃いになってしまうため、大方のカイコが脱皮をするまで、給桑はおあずけとなります。

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おかいこさま飼育中 3日目 飼育展示も開始しました!

6月2日から給桑を始めたカイコを、3日から飼育展示も実施しています。

カイコの飼育展示の様子

まだルーペ越しでないと見にくいくらい小さいです。

ルーペで拡大して見られるようになっています

それでも、4日の朝にはずいぶんとカイコらしい色と体つきになってきました。

6月4日朝のカイコ(1齢2日目)

大きさも5mmを超えるくらいになり、ふ化した時の3mm弱から、たったの2日で倍の大きさになりました。
1齢の期間はだいたい3.5日程度なので、明日(5日)には最初の眠(みん:脱皮前の休眠期間)に入るはずです。

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カイコの飼育が始まりました!

6月2日、毎年恒例となった、カイコの飼育が博物館で始まりました。
取り寄せた蚕種(さんしゅ=カイコの卵)がほぼふ化して出そろったため、2日のお昼に給桑を始めました。タネ紙(卵の付いた紙)の上にいる、ふ化したばかりのカイコです。

タネ紙の上のカイコ(ふ化直後)

ここに、クワの葉を刻んでそっと載せます。

最初は、食いつきやすいようにクワの葉を刻んで与えます

すると、クワのにおいを感知して、すぐにカイコがクワの方へ寄っていき、食べ始めます。初めての給桑の瞬間、生命の不思議にまず驚かされます。10分後の様子です。

すでにたくさんのカイコが葉の上で食べています

誰に教わることもなく、必死にクワに食いつくカイコ。立派な食べ痕がすでにできています。

食べ始めたばかりのカイコ

そして、小学校への出張授業も始まっています。この日は午後から、清新小学校(中央区)の4年生へお話をしに行きました。

清新小での出張授業

カイコを飼うということが、繭の生産を目的とした農作業であることや、成虫まで育てるとしたらどのようなことを考えておかなくてはいけないのかなど、いろいろな問いかけを含めて話しました。カイコの命について、農業について、真剣なまなざしで聴いてくれました。
エントランスでの飼育展示も間もなく開始となります。ご来館の際には、めざましく成長していくカイコをぜひご覧ください。

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シリーズ「相模原ふるさといろはかるた」でみる名所紹介㊲ ㋚相模湖

相模湖は 花火にボート 遊覧船

相模湖と対岸から見た神奈川県立相模湖公園周辺

相模湖は、1947年(昭和22年)に完成した相模ダムが相模川をせき止めてできたダム湖です。相模湖の水は、農業、工業、発電や飲み水などに利用されています。相模湖の北岸の一部は神奈川県立相模湖公園として整備され、花火大会や遊覧船などにより、観光客に親しまれています。

相模ダムの下流の相模川は渓谷となっており、相模ダムは川幅が狭くなった場所に建設されたことがわかります。

相模ダムの下流側。相模ダムのさらに下流にある沼本ダムのため水の流れは緩やかになっているが、本来は相模川がつくった渓谷である。

相模湖は新緑や紅葉、四季折々の自然豊かな表情を見せてくれます。遊覧船に乗れば湖上からの眺めを楽しむこともできます。

新緑の相模湖

紅葉の相模湖

遊覧船からの眺め

湖岸には約6千〜3千万年前の砂岩や泥岩が分布しています。

約3千万年前の相模湖層群瀬戸層の砂岩

勝瀬橋より上流は川幅が狭まります。元々は渓谷だった場所が相模湖の水によって満たされています。

上野原市の境界に近い相模湖の上流部。

川幅が狭くなった相模湖の上流部には、約500万年前の海底火山の噴出でできた岩石が分布しています。

約500万年前の愛川層群名倉層の凝灰岩。凝灰岩は火山灰が固まってできた岩石。

相模湖は時代も成り立ちも大きく異なる地質の境界部に位置しています。この境界はかつてのプレート境界であると考えられています。

・このかるたは、当館のボランティア市民学芸員が2017年に制作したものです。
・貸出しの詳細やその他このかるたに関心のある方は、博物館までお問い合わせください。(042-750-8030)
*貸出し使用時には感染症予防のため、事前・事後の手洗い・手指の消毒などを必ず行ってください。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No60・機織り)

この職員ブログでは、昭和57年(1982)度から平成6年(1994)度にかけて、市教育委員会が制作した文化財記録映画(全13作品)の際に撮影した写真も紹介してきました。  それらは例えば、年中行事や養蚕・畑作・炭焼き・川漁・下駄作りなど、さまざまな内容に及びますが、映画ではこれまでほとんど取り上げてこなかったものも撮影しています。これから数回にわたり、そうした文化財記録映画の写真を紹介していきたいと思います。

今回は昭和60年(1985)度の第4作目「さがみはらの機織」です。この映画は、緑区相原にお住まいだった阿部クニさん(明治23年<1890>生・当時95歳)の糸取りを含めた機織り(はたおり)の作業を記録したものです。

最初の写真は、糸取りのために繭を煮ており、2枚目は座繰り(ざぐり)と呼ばれる道具で糸を取っています。3枚目の写真のような、足踏み式の糸取り機(博物館に展示されています)での糸取りではなく、足踏み式以外の古い道具とされる座繰りでの糸取りの様子が撮影されており、注目されます。

なお、余談ですが一枚目の写真は、最近、日本テレビで放送された「有吉ゼミ」内で、養蚕のイメージ写真として使われました。

 

次の写真は、取った糸を強くするために、糸車などを使って撚り(より)を掛けているところです。

 

また、糸を染粉(そめこ)で色を染めています。こうした作業も自宅で行いました。

 

機織りを行うまでには、複雑でさまざまな工程があります。次の写真はそのごく一部で、たて糸をほぐし整えているところです。

 

機織り機にたて糸を取り付け、たて糸の間によこ糸を入れて機織りをしていきます。緑区川尻生まれの阿部さんは、12、3歳の頃から母親に機織のやり方を教わりました。阿部さんは八王子の機屋(はたや)から頼まれ、下請け(したうけ)で機を織って賃金を得ていました。最後の写真は、織り上がったものを確認して整理しています。

 

蚕が盛んであった市域では、糸取りや機織りが盛んに行われていましたが、撮影当時、すでに実際にそうした作業を行っている方はほとんどいなくなっていました。そして、繭から機が織り上がるまでの一連の作業を文字で説明するのは非常に難しく、この記録映画はさまざまな意味で貴重な映像と言うことができるのです。

 

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