5月星空情報「皆既月食」

5月26日、全国で観察できる「月食(げっしょく)」が起こります。
月食とは、月が地球の影の中に入ることによって起こる現象で、必ず満月の日に起こります。地球の影には「本影(ほんえい)」と呼ばれる濃い影と、その周囲に広がる「半影(はんえい)」と呼ばれる薄い影があります。今回は、月全体が地球の本影の中に入る「皆既月食(かいきげっしょく)」となり、国内では3年ぶりのことです。
(※月の一部が地球の本影に入ると「部分月食」)

今回の皆既月食は、月が本影の中心から離れたところを通過していくため、皆既食の時間が短いことが特徴です。下の図を参考に、月食が何時頃、どちらの方位で見えるのか、予め確かめておきましょう。図の中の月の出の時刻は、東京での時刻です。相模原での月の出は、午後6時40分頃です。その他の月食が進行していく時刻は、全国各地で同じです。
(※月の出の時刻は観測地の標高により多少の違いがあります)

図:皆既月食中の月の位置
(国立天文台 天文情報センター)
※図はクリックで拡大します

皆既月食になっても、月は見えなくなるわけではありません。
地球の大気の層を通過した太陽光の赤い成分の光が、この層を通過する際に屈折して、本影の中にまわり込み、月面を照らします。そのため、皆既月食中の月は、「赤銅色(しゃくどういろ)」と呼ばれる赤黒い色に染まります。この色は毎回同じというわけではなく、月が本影の中のどこを通過するのか、また、地球の大気の状態などによって、明るく見えたり暗く見えたりします。

図:皆既食中の月が赤く見える理由
(国立天文台 天文情報センター)
※図はクリックで拡大します

下の写真は、相模原市内で撮影した2018年の皆既月食の様子です。

2018年1月31日 皆既月食の合成画像
(撮影:相模原市立博物館天文クラブ)

今回はどんな色の変化が見られるのでしょうか。
5月はまだ黄砂が飛来しますので、黄砂の量も月の色に影響を与えるかもしれません。
さらに、もう一つ楽しみがあります。この日は今年一番地球に近い満月、いわゆる「スーパームーン」の皆既月食なのです。これは絶対見逃せませんね。
空のあまり高くないところで起こりますので、周囲に高い建物がない開けた場所でご覧ください。むしろ、月が低いことを利用して、風景と共に写真を撮るのもよいかもしれません。ぜひ、本当の空で皆既月食を楽しんでみてください。

現在(5月30日まで)、当館プラネタリウムで午後2時30分から投影している「星空さんぽ」で、皆既月食について紹介しています。また、天文展示室入口にも皆既月食についての掲示がありますので、ぜひご覧になってください。

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青山学院大学の博物館実習を実施

5月15日午後、当館学芸員が非常勤講師を務める青山学院大学の学芸員資格取得コース「博物館実習」の講義を実施しました。大会議室に、掛物(かけもの=掛け軸)やはく製などの実物資料、梱包資材、演示具などを持ち込み、「資料の取り扱い」、「資料の梱包」、「資料の列品」の実技講習を行いました。
まずは、学芸員から梱包の作業方針や基本技術のレクチャーを受けます。

梱包作業のレクチャー

続いて、二人一組になって梱包作業に挑戦。家庭の食器などの梱包と、中身を保護するという点では同じです。しかし、博物館資料は幾重にも配慮するポイントがあり、一つ一つ確認しながら進めます。

始めての作業に戸惑いながらもがんばっています

こちらの作業では、掛物を実際に設置し、その後巻き取って撤収します。巻くときに巻きがずれていき、いわゆる「タケノコ巻き」になってしまわないようにするのが苦労のしどころです。肉筆の作品を扱うのが初めての学生がほとんどだったので、これもかなり緊張したようです。

本物の掛物を扱い、背中にも緊張が見えています

こちらは資料の固定です。演示台に、虫ピンやテグス、被覆チューブなどを使っての固定にチャレンジしてもらいました。

はく製を演示台に固定する作業

通常の講義は大学の教室で行いますが、今回は博物館の実際の資料や演示具を使用して実習を行いました。どの作業も資料を“守りながら”、“見せる”、“移動する”ことになり、その上で必要な作業方針やスキルをしっかり学んでもらいました。実習後のアンケートにも、本物の資料や演示具を使って作業体験できたことが印象的だった様子が多く綴られていていました。
今回は、学外の実習で、しかも通常の授業日ではないイレギュラーな日程だったにも関わらず、受講生全員が出席してくれました。真剣に、そして前向きに実習に取り組む学生たちの様子を見て、たくさんの資料や道具を準備した苦労が報われたと感じました。

 

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生きものミニサロン「木や草についてるへんなもの」を実施!

5月15日(土)、毎月恒例の生きものミニサロンを実施しました!今回のテーマは「木や草についてるヘンなもの」です。
博物館では6月からカイコを飼育します。その餌にもなるクワの木のまわりで観察開始です。

クワの木の前で観察開始

まず、地面の上の♡型を探してもらいました。いくつかの草の葉が♡型ということに気づいた参加者がいたので、次に、その植物の一つについている、角(つの)のようなものを触ってもらいました。いくつか触っていると、時々その角がパチパチッっと弾けます。

地面にあるハート形を探します

カタバミという草の仲間で、果実が熟すと、何かにちょっと触れただけで弾けて種子が飛び出すしくみになっています。

カタバミの仲間

実際に手の指でその感触を味わってもらいました。

カタバミの果実(写真はまだ未熟なもの)

続いて、クワの葉の裏についている白いもじゃもじゃを観察。初めは「なにコレ?」と不思議そうに見ていた方も、そのもじゃもじゃがもモゾモゾ動いているのを見て「ひゃ~!」
クワキジラミという昆虫の幼虫で、セミやカメムシに近い仲間であることを、顔つきをルーペで見て確認してもらいました。

クワキジラミをシャーレに入れて観察

さらに、別のクワの木に移動し、前回のミニサロンでじっくり観察したクワコのその後を確認。5齢の大きな幼虫が、枝にしっかり擬態(ぎたい)しているところや、ちょっとつつくと眼状紋を出す様子などを観察しました。

クワコの5齢幼虫

眼状紋を目立たせているクワコ

見事な擬態や、まるで大きな目を見開くように眼状紋を目立たせる様子に、参加者から歓声が上がりました。
天気予報に反してすばらしい五月晴れの中、楽しく観察できました。
次回は6月26日(土)の実施です。

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白い花が目立つ季節

春はなんとなく、黄色い花が目立ちます。タンポポをはじめ、たくさんの花が一斉に咲くからでしょうか。ただし、これはあくまでも感覚的なものです。ある観察会で、種類に関係なく、咲いている花の数を色別に記録してみたことがあります。すると意外なことに、赤や紫系や白も多く、黄色が特に多いという結果にはなりませんでした。
それでも、初夏へと移り変わる今ごろの季節は、花の色合いも変化しているように思えます。この季節は、白い花。博物館のまわりでも次々に咲きだしました。こちらは、ガマズミです。

ガマズミの花

ちょっと薄暗い林内で灯(ともしび)のように咲きます。
こちらはエゴノキです。大木になることもなく、葉や枝ぶりにあまり特徴がないため、ふだんは目立たない木です。しかし、花の季節には存在感を示します。

エゴノキの花

下へ垂れ下がって咲く花は見上げると枝いっぱいに付き、時間が経つと躊躇なく地面へ花を落とします。エゴノキの下には花のじゅうたんが敷きつめられることになります。
こちらはスイカズラです。いつの間にか木々に巻き付いて伸び、初夏から梅雨のころ、純白の花が咲いてその存在に気づきます。

スイカズラの花

花は時間とともに淡いベージュに色が変化し、たくさんの甘い蜜を出すことから、昆虫たちに大人気となります(かつてこの花の蜜を子どもたちが好んで吸ったことから“吸い葛(かずら)”の名が付いたと言われています)。
今の季節に白い花が目立つというのも一種の錯覚なのですが(地面を見れば、色とりどりの花が咲いています)、そう感じることで、自分なりに季節に区切りをつけているように思えるのです。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No57・養蚕の祈願④)

前回は、特に津久井地域の養蚕に関わる石仏を紹介しました。次に取り上げる緑区与瀬の「永代蚕施餓鬼塔(えいたいかいこせがきとう)」は、江戸時代末の弘化4年(1847)に地元の商人たちによって造立されたもので、繭から糸を取り出す際には中の蛹(さなぎ)を殺さなければならないため、その供養のため造られたと考えられます。

また、緑区三井(みい)の「蚕蛹供養塔(さんようくようとう)」は、造立年は不明ですが大正から昭和初期に繭を乾燥させるための共同乾燥場があった場所に、やはり中の蛹を供養するために造られました。近代の養蚕の工業化に伴うものとしても注目されます。

 

もちろん養蚕に関係する石仏は相模原地域にもあり、緑区大島の嘉永2年(1849)「鬼子母神(きしもじん)供養塔」には安産守護とともに「蚕守護」と記されています。一般に鬼子母神は、子どもの出産育児の神として信仰されていますが、養蚕が盛んであった市内では蚕の守護も願われていたことが分かります。

 

南区磯部地区を歩いていると、いずれも明治5年(1872)に建てられた同じような形をした「庚申塔(こうしんとう)」がたくさんあるのが目につきます。地区内に80基以上、なかには34基が並んでいるところなどもあります。

そして、前の写真の庚申塔が並んでいる場所の向かい側には、やはり明治5年のひときわ大きな庚申塔が見られます。庚申塔に彫られることも多い「青面金剛(しょうめんこんごう)」と記され、台座には三匹の猿が舞う姿が彫られています。

地区内の勝源寺(しょうげんじ)にまつられている青面金剛像は、養蚕の神として蚕の作業が始まる4月には多くの参詣人がありました。まるで勝源寺への道しるべのように立つこれらの庚申塔は、地域の養蚕信仰を今に伝えています。

 

最後に、今では位置が少し移動していますが町田市相原地区にある繭の形をした「蚕種石(こだねいし)」は、養蚕の時期が近づくと緑色に変わるといわれ、農家に蚕の飼育を始める準備を知らせる石として近隣の市内でも有名でした。

 

養蚕に関わる石仏にはさまざまなものがあり、こうした石仏を見ることでも、人々の生活と養蚕との多様な関係をうかがうことができます。

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調査のご褒美

5月9日、自然環境観察員制度の全体調査、タンポポ調査も終盤となりました。担当の割り当てが決まっていなかった調査区画で、しかも市内緑区の一番西側、県境に近いエリアの調査に出向きました。道が細くて勾配もあり、タンポポを探すのも容易ではありません。そんな苦労の多い調査をしていたら、とんでもないご褒美がありました。
沢沿いの樹林地内を通る林道で調査をしていたら、近くで「ギィギ、ホイホイホイ」という軽やかな鳥のさえずりが・・これは紛れもなく、サンコウチョウ(カササギヒタキ科)の声です。明るい場所へあまり出てこない鳥なのですが、ライバルのオスがそばで鳴いていたためか、かなり激しく鳴きながら移動し、そのうち、長い尾をなびかせて目の前の木に飛んできました。

長い尾をなびかせて飛ぶサンコウチョウ

サンコウチョウ(オス)

なんと美しい!サンコウチョウの英名は「パラダイス・フライキャッチャー」と言います。楽園のヒタキという意味です。その名にふさわしい造形に息をのみました。

サンコウチョウ(オス)

コバルトブルーの嘴(くちばし)とアイラインがオシャレです

しばらく近くを飛び回りながら、森の奥へと消えていきました。
野外調査をしていると、時々こんな幸運に恵まれます。そのあとのタンポポ調査もがぜん、はかどりました。

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今週の一品 ~埋葬に使われた土器~

5月9日(日)まで、当館では考古企画展「変化の時代を生きた縄文人―相模原市域の縄文時代中・後期文化―」を開催しています。展示期間中の毎週火曜日に「今週の一品」と題して、展示資料の中から学芸員が選りすぐった一品を紹介しています。

展示期間も残りわずかとなりましたが、最後に取り上げるのは、大島下台(おおしましただい)遺跡で発見された縄文時代後期の埋設土器です。

大島下台遺跡は緑区大島の相模川沿いに位置する縄文時代と平安時代の遺跡で(地図を表示する(外部リンク))、紹介する土器は、平成11年(1999)に行われた発掘調査により、人為的に掘られた径87cm程の穴の中に据えられた状態で発見されました。

出土状況

土器の大きさは、口径40cm・高さ46cmと大型で、口の部分に大きさの異なる5つの突起を持ち、胴上半部には横方向に連続する逆S字状の渦巻文様が描かれています。この土器は、その特徴から今から約4,000年前にさかのぼる縄文時代後期前葉の堀之内式(ほりのうちしき)土器であることがわかっています。

埋設されていた土器

土器内部からは何も出土しておらず、その用途は明確ではありませんが、後期の初頭から前葉にかけて、土器の中に小さな子供を葬った例や、大人の再葬骨(いったん埋葬した遺体を掘り出し、改めて埋葬することを再葬(さいそう)と言います。)を納めていた例が千葉県や埼玉県で確認されていることから、この土器も遺体や遺骨を納めていた甕棺(かめかん)であった可能性が考えられます。通常、骨は土の中で分解されてしまうため、その証拠をつかむことは難しく、用途が不明確なものは「埋設土器」などと表現されているのが実情です。

今回紹介した資料は、考古企画展「変化の時代を生きた縄文人-相模原市域の縄文時代中・後期文化-」、「5 豊かな恵みを願って」のコーナーで展示しています。

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元気なイモムシたち

博物館のまわりでは、いろいろな昆虫が活発に活動しています。先日(4月24日)の生きものミニサロンでも主役となったクワコは、だいぶ大きなものが目立ってきました。まるで隠し絵のようですが、何匹いるかわかりますか?

クワコがこの中に何匹いるかわかりますか?

ピントのあっている真ん中の1匹と、左に1匹、そして奥にもう1匹の、3匹でした。
そして、生きものミニサロンで時間外に見つけられたミノムシも、ミノ(繭)の形がだいぶできてきました。

アカメガシワの葉を食べて、さらに若葉をミノにして成長しています

クワの葉の裏には、こんな大きなイモムシもついていました。

オカモトトゲエダシャク

オカモトトゲエダシャクの幼虫です。大きな鳥のフンにそっくりです。
そして、春先から注目していた、キアシドクガは終齢幼虫になっていて、さすがにミズキの木の一部がかなり食べられています。

キアシドクガに食べられたミズキ

当初は大発生が始まってから(2014年~)では一番少なく感じていましたが、終齢期の様子を見ると昨年よりも多い印象です。おそらく、このような増減の波は普段からあるのでしょう。それでもこうした木は一部で、特に樹林の外縁部に多いのですが、奥に入るとほとんどありません。
そして、イモムシたちの天下かというと、天敵もちゃんといます。

イモムシを捕らえて巣へ運ぶシジュウカラ

シジュウカラは子育て中で、ひっきりなしにイモムシを捕らえては巣へ運んでいます。
こちらは巣立ちが楽しみです。

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「写真で見る相模原~昭和・平成の生活と民俗~」(No56・養蚕の祈願③)

前回・前々回には、主に相模原地区を中心とした養蚕に関する行事や信仰の写真を紹介しましたが、もちろん津久井地域も養蚕は大変盛んでした。

最初の写真は緑区佐野川地区の蚕影山(こかげさん)神社で、津久井地区の各地にこうした蚕の神がまつられていました(平成19年[2007]3月29日撮影)。

 

前々回紹介した、女性が集まって繭がたくさんできるように祈る講も行われており、次の写真は緑区青野原地区の「おこもり」と呼ばれる行事です。養蚕の作業が始まる5月には火事よけと養蚕がうまくいくように、6月は火事もなく無事に養蚕ができたお礼として、女性たちがおこもりを行いました(平成25年[2013]6月10日)。

 

津久井地域には、二十三夜塔が100基以上というようにかなり多く、二十三夜塔は蚕の神がまつられているとする伝承もあって(『津久井町郷土誌』)、地域の養蚕の進展に伴って各地に建てられたと考えられます。

写真は、緑区三ヶ木(みかげ)地区の文化14年(1817)建立の二十三夜塔で、津久井地域の二十三夜塔の中でも早い時期に造立されたものです。下の写真は、緑区千木良地区の二十三夜講で飾られた掛軸で、蚕の女神が描かれています(平成22年[2010]1月9日)。

また、緑区根小屋(天保5年[1834])には、破損が大きいものの二十三夜と蚕影大明神(こかげだいみょうじん)の文字が並んで記されたものがあり、緑区長竹の養蚕大権現塔(ようさんだいごんげんとう・寛政9年[1797])は勢至菩薩(せいしぼさつ)が彫られており、二十三夜講では勢至菩薩をまつりました。

今回は、養蚕に関わる石仏として主に津久井地域の二十三夜塔について触れましたが、このほかにも例えば、緑区与瀬の蚕霊塔(慶応元年[1865])など、市内各地には注目されるものが見られます。次回はそうした石仏を取り上げたいと思います。

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寄生植物ヤセウツボ

5月1日、博物館のお隣の樹林地に、ニョキニョキと何本も立ち上がってきた植物があります。

ヤセウツボ

寄生植物のヤセウツボ(ハマウツボ科)です。市内でも散発的に確認されていますが、これまで博物館近くでは見たことがありませんでした。

葉緑素を持たない寄生植物なので、葉はおろか、緑色の部分がどこにもありません

出始めると一気に増える、ちょっとやっかいな外来植物でもあるので、除去することにしました。でも、せっかくなので抜き取る前に、なんの植物に寄生しているのかを見ることにしました。1株をスコップで掘り取って土をほぐしてみると・・

掘り取ると、別の植物と根がつながっていました

キク科の植物の根に食い込んでいました。

根の接合部のアップ

葉が一枚しか無くて小さな植物体だったためよくわかりませんが、ヒメジョオンの幼植物のように見えます。
もう一つのちょっと大きな株は、いくつかの植物が絡み合っていて、直接寄生しているものが何かよくわかりません。

根はカタバミとアカネにからんでいました

ただ、明らかに根茎に食い込んで(食い込まれて?)いたのはオッタチカタバミでした。そして、太い根どうしがつながっていそうだったのは、アカネでしたが、これはほぐしている間に切れてしまったようで推測でしかありません。ヤセウツボは、いろいろな植物に寄生することが知られているので、また出てきたら掘り取ってみようと思います。
ヤセウツボを観察していたら、近くにこんな植物もありました。

カラスビシャク

カラスビシャクです。明るい草地に生えるサトイモ科の植物で、こちらは在来の野草です。サトイモ科は、マムシグサやウラシマソウなどちょっとゴツい植物が多いのですが、カラスビシャクはほっそりと伸びて涼しげです。

花はウラシマソウなどと、ほぼ同じ構造です

春の生きものが日替わりのように登場するので、目が離せません。

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